少年は懐かしい夢を見ていた。
大好きな家族の夢。
だが少年の顔は歪んでいた。
何故なら、両親との会話で、自分が見ているのはいつの事なのか解ってしまったからだ。

明日になれば、あの子が学園から帰ってくる、楽しみだねと両親とまだ幼かった少年は笑い合い、皆で待ち焦がれていた。
少年は、帰ってきたら色んな話を聞かせてもらうんだ、一緒に遊んでもらうんだ、何して遊ぼうかな、とはしゃいでいた。
だからだろうかなかなか寝付く事が出来なくて、両親が寝てしまっても少年は起きていた。
子供ながらに、これではまずいと少年は起き上がり、気分を鎮めようと外に出た。
静かな夜だった。
この時期いつもは忙しい蛙の鳴き声も聞こえない。
だが不振がることはなく、少年は長屋から少し離れた所にある小川に蛍を見に行った。
蛍の幻想的な光をぼーっと見ていると、先程まで全く訪れなかった睡魔が襲ってきて、少年はうつらうつらと舟をこぎ出す。
ああ、長屋に帰らなくちゃと思うが体が重くて動きたくない。
やがて、少年は自分の膝を枕に眠ってしまった。

(駄目だ、早く起きろ! 早く起きて、二人を起こさなきゃ!)

少年は、幼い少年に向かって声を張り上げるが、幼い少年は起きない。
声が届かない。

(駄目だ、駄目だ、このままじゃあ…ッ)

少年が涙声で叫ぶが、少年は眠り続ける。

(起きろよ! 起きなきゃダメなんだ! 父ちゃんと母ちゃんが…村の皆がッ!!)

少年の声が遂に悲鳴混じりになった時、村に隣接している森の近くの長屋から甲高い悲鳴が響いた。
幼い少年は、その声に飛び起きた。
何が何だか分からず戸惑う少年は、次々とあがる悲鳴に顔を険しくする。
次いで立ち上がり、駆け出した。
カタカタと震えているのは、幼い少年かそれとも見ている少年か。
幼い少年の口から現実を否定する声が洩れる。
暗闇の中、多数の影が悲鳴をものともせずに蠢いている。
少年の長屋はすぐ側だ。

(見たくない。行くな、行っちゃ駄目だ……家には…ッ)

先程とは正反対の声を張り上げる。
だがやはり声は届かない。

「父ちゃん、母ちゃん!?」

駆け付けた少年の目に飛び込んできたのは、父と母の……





「――――――!!ッ」

声に成らない悲鳴を上げて、少年は跳ね起きた。
忙しい鼓動の音を体で感じ、乱れた呼吸を整えようと肩が上下する。
額に溜まっていた汗が流れ落ち、少年は辺りを見渡した。
自分の部屋であることに小さく息を吐く。
手が、足が、身体中が震えていた。

(最悪だ…)

膝を抱えるようにして布団に顔を埋める。
布団が汗と涙で濡れたが、気にしている余裕はない。
幸い、同室の友人は安らかな寝息をたてており、少年はその事にホッとしつつも胸に渦巻く感情を落ち着かせようと立ち上がる。
友人を起こさないよう静かに部屋を出て、あてもなく歩き出す。
夜空にはあの日と同じように星が瞬き、月がやんわりと少年の足元を照らしている。

「父ちゃん……母ちゃん…」

見上げた月は、恐ろしい程に青白い。
漂う空気は雨の匂いを含んでいた。
肌にジットリとした空気に、自分が汗をかいていた事を思い出し、井戸で顔を洗おうかと踵を返す。
今いる場所から一番近いのは、医務室近くの井戸だ。

(医務室といえば――…)

ふと、今医務室で治療の為面会謝絶だという噂の天女のことが気にかかった。
少年の先輩方も級友達も、保健委員も、そして利吉さんも、皆その目覚めを待っている。

(何があるか分からないから、絶対に近付くなと先輩方に言われたけど…)

少年は顔を洗ったが、手拭いなど持ち合わせていなかった為、適当に頭を振って医務室を見る。
天女は嫌いだった。
先輩方の変貌に、級友達は皆悲しみ、 怒り、涙を溢した。
かくいう少年も、夜中に皆に隠れて泣いた事があった。
その時は、部屋にいない少年に気付いた同室の友人や級友達に探し出され、一人で泣くなと泣かれてしまった。

(本当に、また天女が来たのか?)

友人の保健委員は、あの人は天女じゃないと言う。
少年は、その友人の言葉は信じていたが、自分自身で確かめたくなった。
医務室にそっと近付き、外から中を覗き込むが、誰も居ない。

(いない?)

居ない筈はない。
保健委員の友人が、夜は当番制で医務室に居る事に決まったのだと話していたし、実際少年の友人も当番で医務室にこの間泊まったばかりだ。

(また例の不運が発動したかな)

苦笑いを溢しつつも、少年は医務室の戸をそっと開け中に入った。
薬の臭いが鼻をつく。
物が散乱しているので、やはり保健委員の誰かの不運が起こったらしいと、湯飲みが二つ薬や包帯等と転がっているのを見ながら考えた。

(湯飲みが二つって事は、もしかしたら利吉さんも居ないかも知れない)

少年は、足音を発てないように忍び足で病室のある奥へと進んだ。
一つ目の戸を開けたが誰も居なかった。
続いて二つ目の戸も違った。
最後の部屋の戸に手をかけた時、鋭い声で名を呼ばれた少年は、ビクリと肩を揺らし動きを止めると、声のした方を見る。

「善法寺伊作先輩…」
「駄目じゃないか。気になるのは分かるけど、面会謝絶なんだ」
「―――はい」

普段おっとりとして柔らかい雰囲気の先輩の鋭い声と顔付きに気圧されつつも少年は頷き、そっと戸に添えていた手を降ろす。

「部屋に送って行くよ。…すみませんが利吉さん、暫くお願いして良いですか?」
「構わないよ」

伊作の背後に立っていた利吉は軽く頷き少年の頭をクシャリと撫でた。
少し疲弊の見える利吉の姿に少年は軽く顔を歪め、伊作と医務室を後にした。

「利吉さん……寝てないんですか?」

医務室から少し離れてから徐に口を開けば、伊作は少年を見て眉を下げる。

「全く寝ていない訳じゃないんだけどね。――あの人の怪我は自分のせいだ、と責任を感じているようなんだ。……売れっ子の筈なのに、仕事を全てキャンセルしてまで、あの人が目を覚ますまで側に居ると言って……少し、僕達も困ってるんだよ」
「そうなんですか…」

少年の返事に伊作は少し夜空に視線を彷徨わせ、幾何かして視線を戻す。

「ところで、君は何で彼処に居たの? あの人が……やっぱり気になるかい?」

問われて、少年は視線を落とす。
少年が口を開こうとした瞬間、前方から歩いて来た人影に名を呼ばれ、視線をやれば、同室の友人だった。
少年はどこに行っていたのか問う友人に適当に厠だよと嘘を吐き、伊作に向き直ると頭を下げる。

「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました、善法寺先輩」
「あぁ、うん。お休み、二人とも」
「「お休みなさい」」

伊作と別れ、部屋に戻る道中、少年はまたぼんやりと思い出したかのように家族の事を考えていた。
優しい笑顔の母、厳しくも逞しい快活とした父、そして――…

「      」

少年がソッと呟いた名は、友人の耳にすら届かぬ程小さくか細い声で、風の音に混じって消えた。
少年が部屋に入って暫くして、雨が降りだした。















(貴方は今どこに居るの?)

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