「クソッ、はめられた!」

千里は負傷した左腕を庇いながら山の中を駆けていた。

此度千里が請け負った任務は、要人護衛だった。
城の内部に不穏な動きを察した城主から、姫君を内密に指定された場所まで護衛するのが今回の仕事だ。
城からは二名の武士が同行し、千里は姫付の女中に変装し、同行していた。
城主には、誰が謀反を企てているかまだ定かではないので、護衛に同行する者にも決して気を許すなと言われていた千里は充分に警戒し、任務にあたっていた。
だが、山の中腹辺りをを歩いていた時、それは起きた。
慣れない山道を歩いていた姫君が足の痛みを訴え、千里達は、木陰で暫し休憩をとる事にした。
千里は姫君に竹筒に入った水を渡し、足の具合を診ようと一言入れて足元にしゃがみこむ。
姫君の足をとって、千里は違和感に眉を上げた。

(―――傷がない?)

擦れて痛いと言っていた足には、傷どころか擦れた跡すらなかった。
更に足の裏は姫君とは思えぬ程しっかりとしており、城主から聞かされていた蝶よ花よと甘やかされて育ったという情報とは明らかに相違している。

(この御方は姫君では、ない…?)

まさか、と脳裏に瞬時に浮かぶ予想に思考を巡らせている千里の背後で、ゆらりと動く影。
走る殺気と白銀の光に、千里は咄嗟に姫君を庇うように抱き寄せた。
鋭い痛みが左腕に走る。
ポタタ、と赤い滴が地面を濡らした。

「……く…ッ」

千里は痛みに僅かに眉を寄せながらも、姫君の無事を確認する。

「しくじったか」
「相手は名高い噂の忍者だ。仕方あるまい」
「! 私が忍だと知っていたのか?」

千里は、既に刀を抜いている武士達を睨み付ける。

「知っているとも」

トス、と軽い衝撃を受けて、千里は目を瞠る。
腕の中に居る姫君がニヤリと笑みを浮かべていた。
その手に持つのは、苦無。
磨きあげられて鈍く光るその刃先は、千里の胸元に埋まっていた。

「―――な…に……ッ」

驚きに見開かれた千里の視界の端で、再度一閃する白銀。
千里は姫君から体を放し、飛び退きそれを躱す。

「チッ、ちゃんと捕まえていろよ」
「ふん。あんたらの腕が悪いんだ」

武士の一人が、千里に躱された事に姫君に文句を言えば、姫君は今までの淑やかな口調とは打って変わり、乱雑な物言いで言葉を返す。
千里がその会話に、自分の推測した嫌な方が当たったと歯軋りする。

「姫君の護衛だなどと言って、実の狙いは私だったのか」
「アラ、賢い人。噂通りだね」

姫君が立ち上がり、着物を脱ぐ。
華やかな着物から一変し、忍装束に身を包んだ女人は妖しく微笑む。

「貴方、前に、城から巻物を盗んで行ったでしょう。アレ、実はうちのお殿様の物なのよねー」
「何だと?」
「うちの城と、このくの一の城は同盟国。その同盟の証があの巻物だったんだよ」

武士がくの一に捕捉するように話せば、千里は眉間に皺を寄せる。
城から盗んだ巻物とは、以前山田利吉と組んで奪還したあの巻物の事だろう。
あの城主は、自分の巻物が盗まれたので奪い返して欲しいと言っていたが、どうやら違ったらしい。
くの一と武士の話に寄れば、今回依頼した城と、千里が利吉と組んで侵入した城が同盟国で、今回依頼した城の城主が同盟の証として贈った巻物だとか。
武士は、千里が女中として忍び込んだ城の家臣であり、今回の依頼は、巻物を盗んだ不届きな忍を亡き者とするべくして仕組まれたものであったのだ。
巻物は既に奪還した後らしく、千里はギリリと歯を鳴らす。

「さて、自分の立場は理解出来た?」

武士とくの一は千里をズラリと取り囲み、くの一が問う。

「理解出来たが、私は殺られるわけにはいかない」
「ざーんねーん。その苦無、痺れ薬が塗ってあるの」

千里に未だ刺さったままの苦無を差し、ニヤニヤと笑うくの一に、千里は目を細める。

「こんな粗末な薬では、私には効かない」

千里は無造作に己に突き刺さる苦無を掴み、引き抜くとそのままくの一に向かって打った。
くの一は体を反らせてそれを避けるが、武士達がくの一の方を見た一瞬の隙を千里は逃さなかった。
懐から取り出した楕円形の玉を武士達にぶつける。
ボワッと煙が武士達を覆い、それを吸い込んだ武士達は噎せ返った。
忍者相手に戦い慣れていなく、咳き込んで動けない武士達の間をすり抜けて、千里は駆け出す。
千里が投げた玉は、焔硝、生姜、塩、烏梅、酢、胡椒、唐辛子などを卵の殻に入れ、吉野紙で張ってくっつけたもので、簡単に言えば目潰しだ。
吸い込んでも効果はある。

「馬鹿!! 煙を吸い込むな!」

くの一の怒声を背後に聞きながら、千里は駆ける。
痺れるような痛みが千里を襲い、胸元に手をやれば、血でベットリと手を赤く染める。

「チッ、もう良い! アタシが追う!」

身悶えする武士達を放り、くの一のが千里を追って駆け出す。
いつもならこの程度で上がることはない呼吸が上がり、痛みに顔を顰めつつも構わず千里は駆ける。
戦闘は不得手ではないが、千里は今は負傷している。
相手の腕は解らないが、弱くはない筈だ。
勝ち目の解らぬ勝負はすべきではない。
足の速さならば自信があったが、相手はくの一であるし、加えてまだ太陽が出ている。
相手には土地勘もあるようだし、今の状況ではやがて追い付かれるだろう。
千里は自分の不利ばかりの苦境に、舌打つ。

(くそ! どうする? 冷静になれッ)

木から木へ飛び移るように駆けながら、策を練ようと思考を巡らせる。
だが、考えているそばから気配が段々と近付いてきていた。
飛んでくる手裏剣を躱し、いくつかを車返しの術でくの一に打ち返しながら千里は駆ける。

(―――覚悟を決めるしか…ない、か)

距離を詰められていた。
千里は深い息を吐き、ザリ、と土を踏みしめる。
背後から追って来るくの一を視界に捉えた。
血が、地面を濡らす。

「もう観念したの?」
「―――そうだな、流石にしんどい」

可笑しそうにくの一はクスクスと笑う。

「すぐ楽にしてあげる」

息を大きく吸って吐いて、呼吸を整える。

「そうして貰おうか」

千里は、スゥ、と目を細めた。















(さっさと終わらせてしまおう)

← →