さあ、準備は全て整った。
後は標的が現れるのを待つだけだ。
標的の顔は知らないが、容姿は目立つらしいし、何より生徒達を侍らせているのだ。すぐに解る。
今日は月に一度の商人や農民、町人が揃って出店を出す市の日で、人が多く雑多しているが、千里が見過ごす事はないだろう。
男狂いだという天女に合わせ、見目麗しい男に変装した千里が、柔和な微笑みを浮かべ、町の入り口近くにある茶屋で団子を店の娘から受け取れば、娘は頬を朱色に染めた。
店の前を通っていく娘達からちらちらと熱い視線を感じる。
少し気合いを入れすぎたかと思いながら、団子を口に頬張る。
モグモグと咀嚼していると、少し甲高い女の声が聞こえてきた。
視線をやれば、柔らかな色をしたふわふわの髪の毛を揺らし、小花柄の小袖を着た小柄な少女と、少女を囲むようにして歩く六人の若い男が見えた。

(……来たか)

千里はお茶を飲みながら、視線の端で少女を捉え観察する。
白い肌に、白魚のような指、細い足首、大きな眼を縁取る長い睫に筋の通った鼻、桃色の薄い唇、艶やかな淡い栗色の髪……成程、聞いていた通りの美少女である。
だが、聞こえてくる声と口調、その媚びたような動作から、見た目だけの残念な女のようだと一息ついたふりをして息を吐く。

「娘さん、馳走になった。代金はここに置いていく」
「はい! ありがとうございました!」

軽く呼べば、すぐに駆け寄って来た店の娘に微笑みかけ、立ち上がる。
一歩踏み出した所で、トン、と誰かにぶつかってしまった。
倒れそうになったその小柄な身体をそっと腕を伸ばして受け止める。

「これは失礼した。怪我は御座いませんか?」
「え? あ…う、うん。大丈夫よ」
「それは良かった。それでは」
「あ…‥」

少女…天女が何か言おうとしたが、千里はそのまま町の中へ歩いて行った。
背後では、周りの男達が天女に大丈夫ですか等と声をかけているのが聞こえたが、天女は上の空なようだ。
千里は、全身を品定めするようなねっとりとした天女の視線を振り切るように通行人の波に混ざった。

(気持ち悪い)

第一次接触を終え、天女に触れた手を、取り出した手拭いで拭き、千里は時が来るのを待つ。

(にしても驚いた。天女は教養がなくても天帝に仕えることが出来るらしい)

敬語すら使えないなんて、と千里は息を吐く。

(いや、下賤な地上人に謙るなんて高貴な天女様には出来ないのかもしれない)

先程も述べたが今日は市があり、人が多い。
千里は目を細めて、天女と男達を見つめる。

七人でこの人混みの中、店を見て回るのは大変だろう。
はぐれても不思議じゃぁない。
六人の内の誰かが抜け駆けするかと見ていたが、誰かと手を繋ぐ事もしない。
どうやら互いに牽制しあっているようだ。
天女はそれを見て、気づかないふりをして楽しんでいるように見える。
さらに一人一人の体にさりげなく触れ、男心と嫉妬心を煽っているようだ。
成程、色を巧いこと使ってる所からただの馬鹿ではないと千里は考える。

(だが、あれでは天女じゃぁなくて悪女だな)

楽しそうに笑う天女を見ながら、千里は今回の仕事は胸糞が悪いと無表情で思う。
快楽の為に、弄ばれている生徒達を見て、ふと気付く。
知っている顔があった。
いや、見覚えがある顔、といった方が正しいだろうか。
千里の記憶の中での彼は、まだ下級生であり、歳が下だということもあって、幼くまだ可愛らしい印象が強かったのだが、今の彼は、もう上級生であり、プロの忍者に一番近いという歳だ。
大人びた顔、筋肉のついた体躯に、成長したなと思うが、色に溺れ、いいように踊らされている姿に少し…いや、かなり情けなくなる。

(今まで一体何を学んできたんだか)

目を細めて、どこか遣る瀬無い気持ちでいると、六人の内の二人が言い争いを始めた。
最初は口争いだけだったが、その内互いの胸倉を掴み、やがて殴り合いの喧嘩になった。
天女が、悲しい顔で「私の為に喧嘩なんて止めて」と大袈裟な動作で言うが、二人は聞こえていないようで、喧嘩は止まらない。
周りの出店を出している者や客達が迷惑そうに顔をしかめ、二人から距離をとれば、元々濃かった人口密度がぐっと増し、更には二人を嫌煙してこの場から離れようと皆が動くので、あっという間に小柄な天女は、人混みに紛れ流されてしまった。
はぐれては敵わないと天女も流れに逆らおうと藻掻くが、外見通りで非力な天女は逆らえず、生徒達とはぐれてしまう。
人混みの中で誰かが転倒でもしたのか、盛大な音が聞こえたが、千里は構わず動き出す。
この期を待っていたのだ。

人混みから弾かれ、危うく地面に投げ出されそうになった天女の体を、千里は素早い動作で受け止める。

「――おっと、危ない」
「きゃっ……あ、ありがとう」
「いえ、―――おや、貴女は先程の…」

千里の腕の中でホッと胸を撫でおろした天女の姿を見て、千里は何かに気付いたように声をあげた。
その声に、天女も視線を上げるとその目が驚いたように丸く見開かれ、次の瞬間嬉しそうにニッコリ微笑んだ。
千里も、つられたように柔らかに微笑めば、天女は頬を朱色に染めた。















(全ては計画通りに進行中)

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