噂の忍の正体を、男は知っている。
と、言うのも、千里がまだ忍者として働く前に、助けた事があったからだ。
助けた、と言うよりも拾った、と言った方が正しいのかも知れない。

千里は、ボロボロな姿で人通りの少ない道端に倒れていた。
着物も手足も顔も泥だらけ、煤だらけで、着物は所々破れており、悲惨な姿だった。
拾った後に診た医者が言うには、飲まず食わずでさらには過労で身体が限界になったのだとか。
普段なら、男は素知らぬ顔で通り過ぎる。
関わる事などしない。
だが、意識を失う寸前に、男が気配を消していたにも関わらず、千里はしっかとその黒い姿を見つめ、殺気を放った。
地面に這いつくばりながらも、男を睨み付ける鋭い目。
男は、それが気に入った。
普段なら捨て置く所を、態々自分で運んで介抱した。
それが、男と千里の出会いだった。
その当時はまだまだ未熟だった千里を、噂が流れるような忍に育てたのは男だ。
故に、千里の性別も年も顔も声も、本当の名も、そして忍をしている理由も男は知っていた。
本当の千里を知っているのは自分だけ……千里の噂を聞くたびに、その成長に、そして優越感に男は笑む。
男にとって、千里は今では自分の子のような存在になっていた。

「お断りします」
「えー」

仕事の内容を聞いた千里は、すぐに無表情で断った。
男が幼子が駄々をこねるような声音で不満の声を上げると、千里は呆れたように息を吐く。

「彼処には手を出さないと言っていた貴方が、どうしてまた……大体何ですか? 天女って」
「天から舞い降りたそれはそれは見目麗しい少女らしくてね、不思議な術を使うらしいと専らの噂で、うちの殿が御所望なんだよねー」

それに、その天女のせいでお気に入りの子が泣いててね、あの雌豚は学園から出した方が良い、と先程までとは違い、鋭い眼光を放つ男に、千里は目を瞠るも、やはり嫌だと頭を降る。

「そんな怪しい女、仕事といえど近付きたくもありません。関わりたくありません」
「男狂いの天女だけど、君の探し物を見つけてくれる術を持っているかも知れないよ?」
「!」

男の言葉に千里の目の色が変わる。
それに男は先程の簡単な説明とは違い、細かに現状を説明し出す。

不思議な術で生徒達を虜にしているという天女。
頼る者もなく、地上の事は何も知らないという状況の天女を、学園の簡単な手伝いをするならばという条件の元、学園で保護されているらしいのだが、天女はその簡単な手伝いを放棄し、上級生を侍らせて遊んでばかりいるのだとか。
ただの穀潰しである。
おまけに、天女の尻を追っかけるのに一生懸命な上級生は、委員会活動も鍛練も怠り、学園は正常な下級生のおかげでなんとかギリギリの所で保たれているらしい。
天女は、百害あって一理なしな存在だと千里は思うが、上級生も上級生だて千里は呆れる。
一体何をしているんだ。
馬鹿馬鹿しい。
そして、教師陣や学園長は何をしているのか。
生徒を助け、生徒が間違えば正しい道に戻し、その成長を促し、学園の秩序と安定な運営に努めるのが教師ではないのか。
男が言うには、教師陣は傍観に撤しているのだとか。
生徒が辞めても構わないのだろうか。学園が潰れても構わないのだろうか。
それとも、生徒達でなんとかさせるつもりなのか。
聞けば聞くほど不可解だった。

「学園の内情はなんとなく理解しましたが、良いのですか?」
「ん? 何がだい?」

口布の上の隙間から器用に竹筒の中身をストローのような物で口にしている男に、千里は視線をやる。
足を揃えて座る癖はやめた方が良いと何度言ってもやめない男に、千里は内心男の部下を不憫に思いながら疑問を口にする。

「貴方のお仕えしている城が、同じ状態になるやも知れませんよ」
「あぁ、そんな事か。心配してくれたのかい? 優しいね」
「――お得意様が減るのは、私にとって不利益ですから」

ツイ、とニヤニヤ笑いの男から視線を外し、千里が言えば、男はおかしそうに喉を鳴らす。

「大丈夫さ、あんな怪しい女を殿に会わせるわけないでしょ。かと言って、他の城へ連れていかれるのも頂けないね」

そこまで聞いて、男が何をする気なのか察した千里が呆れたように一つ息を吐いた。

「―――…では、私は天女を学園から攫ってくれば良いのですね」
「そう。相手は非力な女だし、学園自体も衰弱している状態だからね。楽な仕事だと思わない? おまけに、天女に本当に不思議な力があるなら、探してるものも見つかるかも知れない」

あともう一押しだと男が言えば、千里は寸の間思考を巡らせ、やがて一つ頷いた。















(関わるつもりはなかったけれど、君の為なら何でもしよう)

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