32.5

ナマエはブチャラティにとって遠い存在だった。ずっと小さい体で暗い世界を1人で生き抜いてきた彼女を、憧れと憐憫が混じった感情で見てきた。言葉も不自由で、文字が読めず、力だけでのし上がったその背中に畏怖と尊敬の念を向けていた。だからこそ、いとも容易く倒れてしまった姿が信じられなかった。気絶したナマエを見て、ブチャラティの身体は凍ったように動けなくなり、言葉にならない叫びが口から溢れ出る。名前を呼んでも彼女は起き上がらず、かふ、と過呼吸気味に口から血を吐き力なく横たわっている。
コツコツと杖先が床にぶつけられ、気を引くように鳴らされた。焦点がブレつつある視界でそちらを見やると、ナマエよりも幾分か大きい程度の身長の男がブチャラティを見ていた。

「名は」
「……ッ、ブチャラティ、」
「お前か?」

ガツン。勢いよく顎が蹴られ舌を噛む。口内に血の味が広がり、うつぶせの状態から仰向けになって倒れこんだ。白と黒が点滅する。耳元でゴリ、と何かが押し付けられる音がした。ひやりと冷たい感触がこめかみに、覚えのある硝煙の匂いに身体が震え出した。

「わしの縄張りで癇癪を起こしていたのはお前か?」
「オラッ答えろよクソガキが!」

ガツン、ガツン、まるで鉄が腹に何度も打ち付けられるような音がする。内臓がぶちぶちの破られ、身体の中をエマージェンシーコールが駆け巡るように、全身が鼓動する。痛覚が指先まで敏感になり、あまりの痛みに人とも言えぬ呻き声しか出なかった。この痛みをナマエにも味あわせてしまった後悔と、何も出来ない己の情けなさに泣きわめきたくなる。ナマエはブチャラティの弱さを見通していた。殺しを躊躇したあの日が全ての真実だ。認めなかったのは、自分だけだった。ナマエは被害者なのに。自分が巻き込んでしまっただけだ。ただ焦って先走っていたブチャラティを引き留めようとしてくれたのに、こんな目に合っていいはずがない。しかし、彼女をそうさせたのは誰でもないブチャラティだった。目の前が暗くなっていく。

「……さい……め……」
「ア?聞こえねえな?」
「ごめん、なざい……ッ!ごめん、なさい、ナマエ、ごめんなさい……」
「謝る相手が違えんだよ!」

ガツガツと息付く間もなく身体のどこかが蹴られ、その度に全身が痺れ、意識は懺悔に呑まれていく。醜く鼻水と涙を垂れ流して目覚めぬ子供に謝り続けた。

「……フェオ、やめろ。ガキ相手に弱いものいじめをするんじゃあない」
「Capo!」
「わしの言うことが聞けんのか」
「! ……いいえ、すみませんでした」

首領らしき人物のため息と共に部屋が静まる。己の嗚咽が耳を痛ませた。杖先がブチャラティの顎に向けられクイ、と顔を上げさせられた。無言の威圧感が肌を指す。品定めされているようだった。頬に伝う涙の筋がヒリヒリと痛む。頬を張られ、粒が舞った。

「根性は甘いが、目は悪くないらしい……ポルポに連絡を」
「……チッ…………Si!」

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