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ギアッチョとの不思議な暮らしは、悪いものではなかった。アジトで見るギアッチョの性格上、理不尽な怒りと暴力は我慢するしかないと思っていたが、ギアッチョは私に対して暴力を振るうことはなく、気まずい空気はあるものの、最近ではだんだんと空間が自然になってきているような気もするのだ。
生活のリズムが狂うこともお互いなく、寝床もあるし満足だ。ギアッチョが料理をしたのはあの2度だけで、というか彼はあまり家にはおらず、食事は変わらず買っている。あのぼったくりだというパンではなく、ギアッチョの家からほど近いマーケットでだ。マーケットのおばさんたちはとてもいい人で、おまけもよくくれるし、あまり話せない私を相手にたくさんお話をしてくれる。最近、少しずつ普通に話せるようになってきたような気がする。

今日も仕事は特になく、唯一仕事が振られたジェラートは情報戦だと楽しそうに目をギラギラとさせていた。ギアッチョは朝、寝息を聞いたくらいだ。もういないかもしれない。夕飯のためにマーケットに寄ると、入口側のピザを売っているおばさんがニコニコと笑い手招きをされた。ここのはカロリーが高めで、1切れで3日分くらいお腹いっぱいになる。ただ他のお店よりちょっとお高めだから注意だ。とはいえ、腹持ちがいい分プラマイゼロだと思う。最近はちゃんと金銭感覚もわかってきた、私はだんだんと暮らしに慣れてきている。

「丁度いいときに来たね、採れたての出来立てさ」
「グラッツェ」
「ひとつだけかい?」
「……デュエペルファボレ」
「おまけをつけて3つだね」

違う種類のピザを1切れおまけにつけてくれたおばさんにもう1度グラッツェを言い支払う。これで今週は持つだろう。最近では身体が省エネになったのか、以前より食事を減らしても平気になった。ほとんど仕事がなく動いていないからかもしれない。あのデブに呼び出されることも減った。袋を受け取り、マーケットをあとにアパートへ向かう。まだ、帰る、とは言えないが、この道のりはしっかりと頭に入ったし、鍵を開けドアノブを回した先のリビングの光景も普通になってきた。白が汚れクリーム色になった壁と茶色い床にソファとテーブルと椅子。それを想像し階段を上がったところで気づいた。──あれ、いつもとは違う。鍵を回しドアを開けると、案の定ギアッチョがいた。それもリビングのソファに、車の雑誌を片手に座っている。ちらりとこちらを見て一瞬目が合ったが、ギアッチョは何も言わずに雑誌に目を戻す。赤いオープンカーの表紙がくたりとしていた。何か言ったほうがいいのか、閉じた口の中でもごりと舌を回すが何も言うことが出来ず、逃げるように台所へ行く。だって、珍しい。
ギアッチョはあまり家にいない。夜はいる日といない日があって、食事も外でとっているようで、きっと私がアジトにいる間に家にいるのかもしれない。夜家にいるときは大体部屋にいて、リビングの隅かソファで寝てるかの私はギアッチョと過ごすことなんてほとんど無かった。だから、実質こうして帰ったら真正面にいるなんて初めてのことだ。まだ温かいピザが入った袋を台に置き、冷蔵庫からオレンジジュースを出す。コップに注ごうとしたとき、ギアッチョが台所に入ってきた。
振り向くと、目が合う。お互い無言でしばらく見つめあった。ゲンさんがふわりと出てきて、オレンジジュースを急かすようにコップを動かした。ギアッチョは何も言わないが、目をそらすこともしない。

「……プ、プレンディ、ウン……オレンジジュース?」

ゲンさんがぐいぐいとコップを私に押し付けオレンジジュースを急かし、しかし私は上手く反応出来ず、下手くそな発音でギアッチョに問いかけた。ギアッチョは眉間に3本くらい皺を寄せる。50秒くらいか、いや2分を越えたか、時間の感覚はわからないがかなり待った頃にギアッチョは絞り出すように言った。

「…………succo d’arancia」

スッコ、ダランチャ。なんと言ったのかわからず、首を傾げる。ついにゲンさんが私の手からオレンジジュースを奪い、勝手にコップに注ぎ始めた。ギアッチョはそんな私の様子にチッと舌打ちをした。

「オレンジジュースは英語だろうが」
「…………イタリア、語?」
「succo d’arancia」
「スッコ、だらんちゃ」

私の下手くそな発言にギアッチョは舌打ちをしたが、何も言わずに近づいてきてゲンさんからコップを奪い飲み干す。ゲンさんが怒るようにギアッチョをぽかぽか叩くが、きっとギアッチョには叩かれている感覚はないのだろう。私にも叩いている感覚がない。スッコダランチャ、もう一度口の中で言い、どうして教えてくれたのか疑問でギアッチョを窺い見るが、ギアッチョは感情の読めない瞳で私を見ていた。

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