やさしさの奥行きのはなし

「厨房のしもべ妖精?」

 ミンスパイにナイフを入れて切り分ける。私のオウム返しにそう、と頷いたのは同級生のアリッサだ。
 アリッサはすんすんと涙をすすり、レースのハンカチを目に当てている。

「お父様があの子を捨ててしまって、マクゴナガル先生がホグワーツに雇い入れてくださったようなの。ほんとうによかった……」
「そうなの。なら会いに行けばいいじゃない」
「どの面下げて会いに行けばいいのよ!」

 アリッサが拳を机にたたきつけてドンッと机が揺れた。ゴブレットの中の液体がぽちゃりと跳ねたりナイフの方向が狂ったりして、卓上に集う同級生たちから「気をつけろ!」「またかよ!」と声が飛んだ。
 ホグワーツの家事は城に雇われているしもべ妖精が行っている。私はマグル育ちだからしもべ妖精の存在自体に驚愕したが、魔法界ではごく一般的なものらしい。一昨年卒業して魔法省に就職されたグレンジャー先輩が彼らにも人間と同様の権利を、と活動しているが、その活動も魔法界からしたら眉を顰めるようなもののようで、しかしマグル育ちからしたら権利の主張というのは特に違和感は無いのだ。今の時代奴隷制は無い。だがしもべ妖精は奴隷というよりはそういう存在なのだと言われても、それこそ首を傾げてしまうような理解が難しい生き物だ。魔法界はそういう生き物が沢山いる。

「わたくしはあの子に何もしてやれなかったどころか、あの子に頼りっぱなしで、あの子は何も悪くないのに、お父様ったら歳をとったからって若い子に変えてしまったのよ!」
「その言い方だとなんか含みあるよね」
「? どういう意味かしら?」
「なんでもないよ」

 にっこりと笑いティーカップに紅茶を注いだ。ほわほわと湯気が頬にあたり、ぬるいお湯が喉を通る。鼻に抜ける匂いをゆっくり楽しみながら、なかなか泣き止まず父親の文句を言い続けるアリッサの話に相槌を打つ。

「だからお父様はそういうところがよろしくないのよ、わたくしに代を渡して早く隠居なさったらいいのに!そうしたらあの子もすぐに取り戻すわ!」
「野心大きいなあ。お兄さん二人いたよね?」
「適当に女を仕掛ければお馬鹿さんたちなんてすぐに飛びつくわ」
「The apple never falls far from the tree...」
「わたくしがお父様と似てると言いたいの!?」
「わわわごめんって!」

 アリッサが両手を机にたたきつけ、ドォンッと机が揺れた。「おい!」「教科書にシミが!」「そのゴリラをさっさとグリフィンドールへ持っていけ」

「失礼な、わたくしはれっきとしたレイブンクロー生でしてよ!」

 二発目がドンッと机を揺らした。教科書が!という悲鳴にそっとアリッサの手を取り、寮に戻ってから話そうかと席を立った。
 廊下に出た途端アリッサはまたすんすんと鼻をすすって「お父様が…」と話し出す。半分聞き流しながらも、彼女の熱いしもべ妖精への思いはわからなくもないと感想を抱く。乳母のようなものだったのだ、思いが強いのは当然だ。
 廊下ですれ違った一年生がぱたぱたと掛けていく。ハッフルパフ生だ、黄色のネクタイが光に当たり眩しく見えた。彼らの手にラッピングされたお菓子が見える。カラフルなクリームののった、マフィンだろうか。アリッサがそれを見て「あ……」と小さく声を出した。

「確か、厨房ってハッフルパフ寮の近くよね」
「……ううっ、ゾーイ…わたくしのゾーイちゃん……」
「……そんなに気になるなら行けばいいじゃないの。私も付き合ってあげるから」

 つい、とアリッサの袖を引き方向を変える。うだうだと言いながらも机を揺らしたパワーを出さずにいやいや言っているだけなので、彼女に実際抵抗する気はない。
 階段を降りて地下に入る。絵画を見つけ、梨を指さしてアリッサを見た。アリッサは首を振り私を見る。頷いて、私が梨をくすぐった。扉が開く。アリッサが私の片腕を掴み、恐る恐る足を踏み入れた。後ろから私も中に入ると、キーキーとたくさんの声がした。お嬢様、いらっしゃいませ、と私の腰よりも低い背丈のしもべ妖精たちがわらわらと集まってきて紅茶をくれたりお菓子をくれたりと忙しい。その中からひときわ高い声がした。

「お嬢様!」
「……ゾーイ!」

 アリッサが耳にリボンをつけたしもべ妖精に飛びついた。小さなからだをぎゅうと抱きしめてわーっと泣き出す。ざわつきだしたしもべ妖精たちに軽く説明をすると、彼らもまた感動して泣き出す。それには私もぎょっとしたものの、盛り上がるアリッサと彼女のしもべ妖精を横目に勧められた席に着いた。

「お嬢様、わざわざわたくしめにお会いに…!」
「ゾーイ、ゾーイ、ごめんなさいね、わたくしがなんの力にもなれずに、ああっゾーイ!」

 仕事の邪魔をするつもりは無い意を伝えると、しもべ妖精はぺこぺこしながらも少しずつ戻っていく。マフィンとクッキーをもらいちみちみと食べつつアリッサを待つ。厨房の存在は知っていたものの来たのは初めてだ。料理の匂いが多数混じる空気、少し熱気の籠った部屋は換気扇の音が大きい。しもべ妖精たちはそれぞれ分担した仕事をしながらも、軽く雑談する様子も見られる。
 その中で、一人(一匹?)だけ黙々と掃除をしているしもべ妖精が気になった。皆が皆人懐こい性格では無いのだろうと察する。

「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「えーと、あの子のことが少し気になって」
「あの子? ……クリーチャーでございますね!」
「クリーチャー?」

 しもべ妖精は皆顔に皺が多いから私の個人的な意見だが、こちらにきょろりと大きな目を向けたしわくちゃの顔は周りよりも年かさがあるように見える。
 軽く手を上げて振る。ふいっと無視された。それに怒った声を出したのは私に話しかけてくれたしもべ妖精だった。

「クリーチャー!なんと失礼な態度を!」
「ああいやいいんですよ、私が悪いので」
「そのようなことはございません!クリーチャーは以前よりも厨房に遊びにいらっしゃるみなさまに失礼な態度を取るのです!」
「そういう性格なのね」

 無視程度が失礼な態度かと言われると確かにそうだが、別に気にするほどでもなかった。不思議ね、スリザリンに無視されるととても腹が立つのに。
 無性に気になり頬杖をつきながらクリーチャーというしもべ妖精をじっと観察していると、いそいそと先程とは違うしもべ妖精がやってきて紅茶におかわりを注いでくれた。お礼を言うと感激して泣くのはしもべ妖精共通なのかな。
 その日はアリッサとゾーイが感動の再会をして絆を深められた良い日だった。付き添いの私もたっぷりのお菓子を食べられて良かったんだけど、あれからクリーチャーというしもべ妖精が頭の隅にいる。





「あら、なら会いに行けばよろしいわ」

 教科書を片付けながらサラッと言ったアリッサにジト目を送る。クリーチャーの話をしたら、アリッサは何を悩むことがあるのかと笑った。なんならわたくしが連れて行ってさしあげましょうか、と言われてはなんだかデジャヴというやつだ。

「あのねえアリッサ、そうは言うけど赤の他人だよ?顔見知りという訳でもないし、きっと私が一方的に彼を知っているだけ」
「みな出会いはそのようなものよ、ナマエ。それに相手は妖精だもの、わたくしは必然と言っても良いような運命を感じるわ。我らが寮監の専門はなあに?」
「呪文学」
「そうだけれど、欲しい答えとは違うわ!では、あなたの得意魔法はなあに?」
「…………妖精の呪文」

 ねえ、決まりよ!高らかにアリッサが宣言して、急かすように私の手を取る。次はDADAだからダメだよ、と言うと、アリッサはじゃあ放課後のお約束ねとウインクして私に手紙を書くように言った。クリーチャーにお誘いの手紙を出す必要があるらしい。

「……口頭じゃいけないの?」
「情緒が無いわ。手紙のやりとりのほうが互いの遠慮と気遣いが光るものよ」
「そういうのって無い方が距離が近づきやすいんじゃ」
「あなた、実はグリフィンドールなのではなくて?」

口を噤んだ。言外に人と距離感が掴めない野蛮で理性的ではないと言われているのだ。わかった、と頷き、私はほとんどポッター先輩が既に教えてくれているつまらないDADAの授業中、クリーチャーへの文章を考えるのに頭を悩ませ続けた。

”はじめまして、クリーチャー。私はレイブンクローの五年生のナマエ・ミョウジと言います。あなたのことを教えてください”

「……まるで子供の手紙じゃないの」
「だって子供だもの」
「そういうことじゃなくて!もう、でもいいのではなくて?あなたの良いところが出ていると思うわ」
「幼稚なところとか?」
「ええそうね、それから実直なところよ」

 放課後アリッサに提出したら合格と一言余計な皮肉を貰った。少しカチンとくるものはあったが、もう慣れっこなので飲み込んで、封筒にきっちりと封蝋を押してから厨房へ向かった。
 梨をくすぐりドアを開けると、アリッサは真っ先にゾーイの元へ向かい二人はまた感極まって泣きながら感動の再会をしていた。この前も見た光景だ。それを横目に、私は恐る恐るクリーチャーの元へ行く。しもべ妖精はみんなシワシワで一見見分けがつかないこともあるが、クリーチャーだけはわかった。一際シワシワで、一際ボロボロの服を着ていて、そして一際仏頂面で、ほかのしもべ妖精とは違い歓迎してくれる気配が一切無いのだ。クリーチャーは戸棚の前で銀食器を丁寧に磨いていた。

「あの、クリーチャー……さん……」

 声をかけると、クリーチャーは大きな目をぎょろりと動かし私を見た。しかし、私を視界に入れたと思ったらすぐに体ごと逸らしてしまう。それを見ていた周りのしもべ妖精がぎゃんぎゃんと騒ぎだした。だがその騒ぎもなんのその、しもべ妖精たちの声をクリーチャーは鬱陶しげに一瞥もしない。

「……あのう、クリーチャーさん、少しだけ……」

もう一度声をかけるが、今度は完全に無視をされた。外野の文句の声は大きくなるばかりで、厨房は喧騒に満ちていく。アリッサとゾーイが両手を握りしめて私にエールを送っていた。それに頷き、勇気をだして90度にお辞儀して手紙をクリーチャーに差し出した。

「あ、あの!これ、お友達からお願いします!」

 パシン、と手紙が弾かれた。
 手ではなく。自然とパッと、手紙が自発的にダストボックスへ入っていく。明らかに魔法だ。背後から悲鳴が上がり、私は吸い込まれたダストボックスを呆然と見ていた。

 あまりの出来事にぼーっとしていた私は憤慨するアリッサに手を引かれ、気づけば寮にいた。私の手紙は今頃綺麗な灰になっていることだろう。暖炉の中で燃える炎の下の灰に謎のシンパシーを感じた。温度管理が完璧な紅茶を淹れながらアリッサが言う。

「信じられないわ!しもべ妖精があんな、許されるはずがないわ!ああ、可哀想なナマエ、わたくしがなぐさめて差し上げ……どうなさったの?」
「……ううん、なんでもないよ。付き合ってくれてありがとう、またリベンジするね」

 ぐ、と握りこぶしを作り強く決意すると、アリッサは驚いていたが諦めたように笑い、「あなたはそうよね」と言った。
 手紙を読まずに無言で捨てる、しかも目の前で。きっと今開心術をかけられたら真っ先に開かれる光景だろう。ショックな出来事だったが、一連の流れが脳に焼き付いて離れない。ドキドキと胸が高鳴っている。ああ、こういうのをなんと言うのだったか。恋、興奮、いいや違う、確か以前図書館にあった東洋の書籍にあったのは──

「……おもしれー妖精」

 夕暮れ、ホグワーツの鐘が鳴り響く。私の耳にはそれがゴングのように聞こえた。期待に胸を弾ませ、新しい便箋を呼び寄せた。

 マグル生まれの私と純血主義のクリーチャーはこの後も私が卒業するまで大いにバトルを繰り広げることになるのだが、さて結果はどうなるのか。かの英雄ハリー・ポッターが言う世界一の魔法使い、故ダンブルドア前校長先生でもきっと想像がつかないことだろう。

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