19.5

影に溶け込み、無意味に引きずり出されず、いないものとして扱われる。訳ありしかいない世界というのは互いの領分を理解している、かつ他人へ目を向ける余裕のない奴らばかりでイルーゾォは呼吸がしやすかった。
しかし時には主張しないと殺される、と気づいたのは暗殺チームに入れられてからだ。「何してんの?」という一言が境界線だった。こればかりは初めて組んだ相手が悪かった。イルーゾォは、マン・イン・ザ・ミラーが無ければ既に命はなかったはずだ。メローネという男は時間の見えぬ時限爆弾、時差で爆発する地雷のような男だった。

チームメンバーといえど背中を預けても腹の探り合いを続ける日々で、イルーゾォは次第に己の鏡を理解していく。しかしスタンド持ちしかいないチームの中で、スタンドが発現したてのイルーゾォの歩幅はひとより小さかった。
焦る気持ちもあった。それなりに悪さをしてきたし腹は括ったつもりで、やっていけると思っていた。だがメンバーとの間に見えない壁が聳え立つ。スタンド歴や慣れとは違う、圧倒的な経験の差だった。人を殺したことがある人間とない人間は別物だ。また殺しをなんとも思わない者と少しでも良心や理性がある者の差もまざまざと見せつけられた。そもそも人の命を奪ったことがないイルーゾォに壁を越えることへの恐怖心があることはきっと見透かされていた。
リゾットは、イルーゾォが初めて殺しを任される仕事にナマエをつけた。ナマエ・ミョウジ、ジェラート曰くパッショーネの中でも古参に当たり暗殺チームの創立メンバーでもある。最初はリゾットとナマエの2人だけだったというのだから驚きだ。イルーゾォの身体の半分より少ししたの背丈で見るからに子供、そして女という姿形でギャングとはそもそも不自然だというのに、ナマエがアジトにいることには何の違和感もなかった。ナマエがあまりにも存在を主張しないというのも要因の一つだろう。最低限しかコミュケーションをとらず仕事だけをこなし決まった時間に来ていなくなる。イルーゾォがアジトに連れてこられたとき、あまりに動かないものだからそういう趣味の悪い置物かと思ったものだ。カファロという元幹部の犬として育ち、カファロの死後ポルポに引き取られたというナマエは、人を殺すために生かされていると酒の席でリゾットがこぼしていた。メローネはナマエの殺しはただの呼吸だと言う。つまり、イルーゾォの初仕事には最適なパートナーであった。
しかしナマエ自身のことを、イルーゾォは倫理観はイカれているがそのほかは普通の子供と変わらないと思っていた。それにはギアッチョがいたから、というのが大きいだろう。いつからか、ギアッチョと共に暮らし始めたナマエは少しずつ表情が生まれ、瞳が動き、言葉が与えられ、感情が芽生えていった。アジトで気づいていたのはそのさまをときおり鏡の中から見ていたイルーゾォだけだろう。犬が人に変わるのも子供が大人になるのも同じようなものかと思っていた。だが、それも違った。ナマエはただの可哀想な子供ではなかった。

地下の賭場、湿っぽく換気の悪い空間、煙がくゆり空気が薄らと白く見えその中で香水と酒と煙と色々な匂いがごった混ぜになった気色の悪い場所だった。鏡の中でも再現されたそれらを外へ追い出し、様子を伺うナマエに従う。自由に動くナマエのスタンドはピエロの姿をしており、これが幼子の本性なのか、はたまた独立したスタンドの自我なのかは不明だが見ていて心地よかった。まるでぬるま湯だ。それも次の瞬間には血に濡れていた。

「……なんだ?なんなんだ!?お前たちは、アッ、ギッ、ギャアアアア」

イルーゾォの目には、まるで映画のフィルムが切り替わったように映った。ナマエの手足らしい帽子の男が標的と接触し鏡の中へ”許可”した瞬間、標的は床に転がっていた。赤黒い血が流れていく。足の腱をザクリと切られ、ロープで縛られ転がる男はまるで芋虫のようだった。
じっと黒さに底の無い目玉がイルーゾォを見つめていた。これまでも鏡の中、自分のテリトリーに引きずり込むことは多かったが、イルーゾォはこのとき初めて鏡の世界を怖いと感じた。他に音がなく、逃げ場もなく、権限はイルーゾォにあるはずだがその時間イルーゾォは全てをナマエに支配されたような気になった。血の匂いが濃くなるにつれて、標的の声が弱々しくなっていく。ソルベから「初めての殺人だから」と珍しくタダでもらったナイフを使おうと思っていたのに、ポケットから出せそうになかった。ひ、ひ、と次第に標的の呼吸と己の過呼吸が混ざっていく。命の時間が刻々とと迫る中、ナマエは黙ってじっとイルーゾォを監視しているだけだった。準備はしてやった、あとはお前次第。言われずともわかっている。わかっているのに、身体は動かず指先は震える。

「ころしてくれ」

蚊の鳴くような声だった。もはや生きることを諦め、死に救いを求めている。──そうだ、救いだ。もう死に行くしかない運命に、救いを与えてやらねば。
そう思った瞬間イルーゾォの身体は動いた。コキリと最後の音がする。標的の瞳孔が開き、身体からいっさいの力が抜けてただの抜け殻になっていく。

「ベネ」

呼吸停止を確認し、死体をゴミ置き場へ捨てたあと。イルーゾォに向けていた目と同じ瞳で、暗い路地裏から出ずに街灯が明るく光り蛾が群がるさまを見つめながら、ナマエがぽつりと言った。じわりと胸になにか、感じたことの無い感情が広がる。ナマエにとって殺しは呼吸と同じ──メローネの言う通りだ。喚き命乞いをしていた標的は、彼女にとって路傍の石と大差のないようなもので、イルーゾォが出来なかったら一瞬にして魂の灯火を消し去ったのだろう。ベネ。ベネだと。命を奪った人間に対して向ける言葉ではない。しかし、ナマエは言った。ナマエが向けられていたものかもしれない。殺す度に褒められて、犬になって、人になったらやられたことを今度は与える側になって。己の欠落にも気づかずに。


心の半分を失った重たい気分でアジトに戻ると、ソルベとジェラート、ホルマジオ、プロシュートの4人が酒盛りをしていた。奥にいたリゾットに報告書を出し帰ろうとすると、ソルベに「ナイフは?」と聞かれ綺麗なそれをポケットから出す。すると、の前で金銭のやり取りが始まった。目を白黒させていると、訳知り顔のジェラートが言う。

「賭けてたんだ、お前がちゃんと刺せるかどうかをな」
「……は?」
「ナマエにやってもらったっつー顔じゃあねえな?おらちゃんと札出せよ」
「はあ、しょうがねえなァ。泣いて帰ってくると思ってたんだけどよ」

イルーゾォの残りの心がさらに欠けて行く音がした。ソルベが「使わなかったんだろ?」と言ってナイフを回収していった。新品は取り返すらしい。ナマエは、と聞かれ帰ったと答えると、プロシュートはジェラートから巻き上げた金を握りしめて鼻で笑う。

「おいガキ、同情なんかするんじゃあねえぞ。あいつは俺らとは比べ物にならねえ別格だ。……お前は覚えておけ、そして考えておけ。言っとくが、忘れようとしたって無理だぜ」

主語はなかった。だが、十分だった。イルーゾォはその日背負ったばかりのそれが重たくて、重たくて、どうすればいいかわからずにその場で泣き崩れた。

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