ふたりのあいだに横たわる鋭利

理不尽と苦痛が横行する場所から一転して、ホグワーツはまるで天国のようだった。美味しくお腹いっぱい食べれるご飯、息の詰まらない広い空間、気の合う友達。
僕が何をしたのかはイマイチよくわからないけれどちやほやされるのも満更でもない。スネイプやスリザリンの連中は最悪だけど、あの家に帰るよりもよほどマシだ。ホグワーツは人生で初めての救いのようだった。魔法だって、特別なもので。

「ミスミョウジ!よろしいですか、杖はこう持つのです、そのような持ち方をしてはなりません!」
「ウス」

だから、心底面倒くさそうに授業を受けるあの子はよくわからなかった。僕が一日にハリー・ポッターだと言われる回数と同じくらい、あの子はミスミョウジ!と言われていた。『ハリー・ポッター』は陰口や噂話の入口だけど、『ミスミョウジ』は怒られるときに呼ばれるのだ。どちらがいいかと言われれば『ハリー・ポッター』だろう、本人の意思には関係ないものか本人次第で変えられるものかとなれば、誰だって自分から怒られたくはない。

「あいつ、また寮点減らされてるぜ」
「モンキーのおかげで学期末が楽しみね」

クスクスと彼女を揶揄う皮肉と陰口の中に僕はいて、同意を求められれば頷いた。少なからず同じ気持ちだったからだ。
魔法薬学は特に寮点が減らされやすいというのに、『ミスミョウジ』は全く気にしない様子で口答えまでする。僕は言い返すのを諦めてひたすら唇を噛んでいるのに。まるで僕の我慢という努力が目の前でぐしゃぐしゃにぶち壊されるようで不快だった。

「……ミスミョウジ、ふざけているのかね?」
「いえ全く。お腹も私も大真面目です」
「グリフィンドール1点減点」

教卓の前、スリザリンカラーに混じった赤色がちらちらと視界に入っては顔をしかめる。スリザリンの連中が楽しそうに笑っていた。もちろん嘲笑の意味でだ。
そんな中で平然と手順を進めている孤独な背中は、恥ずかしくないのだろうか。

「またかよミスモンキー。いい加減黙ってほしいぜ。ハリーもそう思うだろ?」
「……うん。やる気がないならやめればいいのに」

あの子はホグワーツに何しに来てるんだろう。
『ミスミョウジ』と誰かが言う度に、苛立った。



フレッドとジョージはロンの兄たちで、気のいいやんちゃな人たちだが少し遊びすぎるきらいがある。
あまり印象の良くない『ミスミョウジ』でも、カボチャジュースまみれの姿は少し気の毒だと思ったし、おそらくロンもそうなのだろう。
犯人たちは『ミスミョウジ』をからかうにしてもやりすぎだとすぐさまアンジェリーナに怒られ、「やりすぎたかもな」「本物のモンキーになっちまったかも」「ジョージ!」「悪かったって!」というやりとりをした後に謝るため『ミスミョウジ』を探していたけれど、猫背気味の背中はいつの間にか大広間から消えていた。寮に帰ったのかもしれない。そのときはそう思っていたが、クィレル教授が大慌てでトロール侵入の報せを持ってきたとき、ハーマイオニーを探すと共に『ミスミョウジ』も危ないと思った。そして予想は見事に的中して、僕とロンが女子トイレに飛び込んだとき、彼女たちはトロールと対峙していた。
『ミスミョウジ』は杖さえ持っておらず、しかし腰を抜かしたハーマイオニーを庇うように立っていた。2人の元に向かおうとしたとき、トロールの棍棒が僕目がけて振り回された。のろい動きでも、その場の緊張感と恐怖に呑まれかけ避けられないと思った。しかし、僕の身体は吹っ飛ぶことなく、骨が軋む衝撃とともに横に倒れ、視界は黒に覆われ、直接的な傷はないのに至近距離から血の匂いがした。なぜなのかはハーマイオニーの悲鳴でわかった。『ミスミョウジ』は僕のことを庇ったのだ。

「うるせえくそったれ!!」

ぷらぷらと揺れている片手を庇いながらもそう叫び、トロールの顔にローブをかける姿は勇ましく、僕は何かから目覚めた気がした。 その後、トロールの暴れた被害によって彼女が床に伏せ、さらに木片が背中に刺さっているのを見たときは恐怖で体が凍りついたが、かけつけた先生たちの迅速な手当によって事なきを得た。
暴風雨のようなハロウィーンはこうして終わり、そしてこの日から僕の中で『ミスミョウジ』はナマエになった。

友達になったナマエは、以前の印象とは違い明快かつ潔かった。少し面倒くさがりで頭が弱いところがあるが、はっきりと物を言い、そして少し血気盛ん。英国にはまだ慣れていないらしく、時折無意識に母国語を話しているようで会話が成り立たないこともあったが、不思議と腹が立つことはなく、ナマエがにこりと笑えば僕もつられて笑うようになった。
ナマエはマグル出身で魔法界のことに関してはからっきしだったし、その知識は僕と同じスタート地点にいたはずなのに僕よりも少なかった。どうして棒切れが杖になるのか、つか魔法って何?と、毎日魔法の授業を受け杖を振っているくせに言うのだ。同室者たちとはあまり仲良くなく、今まで一人でいたせいでその疑問が宙ぶらりんのまま来たらしい。これには魔法界育ちのロンがあんぐりと口を開けて、まるで宇宙から到来した奇妙な生物を見るような目をしていた。逆に、カエルチョコを食べているロンにナマエは引いていた。
だから、僕の予想通りナマエは『ハリー・ポッター』のことを知らなかったし、説明されてもなにもピンときていない様子だった。

「へえ、すごいね、雑誌とか乗っちゃうの?」
「本には載ってたらしいけど…よくわからない」
「らしいってそれ肖像権の侵害じゃね?訴えた方が良いよ?」

クッキー片手に言われ、なんと返事をすればいいかわからずモゴモゴとした。名前が独り歩きしていて自分でも実感がないのだ。言われてみれば確かにそうかもしれない。そんなことはどうでもよくなって、初めて地上に出てきた人魚のような気分だった。少しずつ溜まり始めていた個人を無視されるストレスが、「ハリーポッターって語呂いいね」なんて言っている口馴染みのないアジア系の名前の持ち主によって、生き残った男の子のビッグネームと共にサラリと流れていった気がした。

僕は最初の頃、ナマエは柔軟なダーズリーなのかもと思った。魔法族を否定せず迫害しないが存在の理解に苦しむマグルのようで、だがその実彼女自身も魔法使いなのだからちぐはぐだ。ナマエのいないときにぽそりと吐き出すと、同じくマグル出身のハーマイオニーが同意した。
しかしその考えもクリスマスの夜に変わった。

「家がない」

クリスマスのご馳走を食べながら、明日の天気を答えるようなニュアンスでナマエはそう言った。遠くて帰れないと言っていたが、僕はその真実をみぞの鏡の前でダンブルドア校長先生から聞いてしまった。
彼女の両親も13年前に闇の魔法使いに殺され、たった一人マグルの中で育ってきていた。僕と違うのは、彼女はマグルとしての自我がほぼ完璧であること。魔法族としての意識は生まれてもない胎児のようなものらしい。
その事を知ってから、僕はナマエに対して一方的な親近感を抱いていた。それと同時に、魔法界のことを何も知らないナマエに知られたくないと思った。額の傷の痛みもヴォルデモートのこともナマエには言いたくなかった。知られてしまえば、言葉に上手く出来ない僕たちの何かが変わってしまう気がした。

ナマエのせいで寮点が減ることは変わりない事実でやはり苛立つことはあったが、それもドラゴンを逃がした夜から滅多に無くなった。ナマエが励ましてくれたように、ナマエが無くした分は僕がスニッチを取ればいいのだ。そのための、というわけではないけれど、僕が最年少シーカーに選ばれたことが役に立つと思うとワクワクしたし、以前ナマエの陰口の輪の中にいたという罪悪感が緩和される。しかしその頃には、ナマエが点を減らせばハーマイオニーが回収してしまうルーティーンが出来上がっていた。仲間の減らした点を取り戻すこともまた、学年一位の友達の勉強へのモチベーションのひとつになっているらしかった。

「へぇいぐっもーにー……」

学期末、クィレルに取り憑いたヴォルデモートの悪夢と戦い、恐怖と興奮と疲弊に塗れた夜が明けた朝。乱雑に髪に手ぐしをかけているナマエを見て、昨日の夜のことはすべて夢だったのかなと思った。それくらいギャップがあった。トラップを突破したことも、ヴォルデモートに襲われたことも、クィレルが目の前で消えたことも、幕の向こう側の出来事のように俯瞰したようで。ぼうっと目の前から記憶が通り過ぎさって、映画でも見ていたんだと思っては現実に首を振る。

「ちょっとナマエ、昨日私たちが戦ってる間も寝てたんでしょう?起きなさい」
「ハーミー朝からげんきだね…」
「君ってほんとう呑気だなあ」

ロンがため息と呆れと笑い混じりに言ったそれに頷いた。つか戦いって何?試験のあとだから徹夜フィーバーしちゃった系?などとぼそぼそと喋りながら、ナマエはゆらゆらと大広間へ向かう。その隣に立てば、まだ眠気の中にいる眼が僕を見てへらりと笑った。全身がふっと緩み、自然と気が抜けていく。
ナマエがハーマイオニーの名前を発音しきれず、舌足らずな子供のようにハーミーと呼ぶ。なぜか、ハーマイオニーのことを羨ましいとおもった。

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