初めて孤児院に行った日、トムに会いに行った日から一週間が経ち、今日またトムに会いに行く。父さんは昨日の夜あの例の庭じゃない部屋へ入りガタンゴトンと色々探し物をしていたが、整理整頓が下手っぴな父さんがあのたくさんの部屋を管理出来ているのかは怪しい。
「ルシール、準備は出来たの?」
「うん」
「そう、ハンカチは持った?」
「ポケットに入ってる」
「オーケー、じゃあ行こうかお姫様」
「わっ」
 お出かけ用のワンピース、私には似合わない花柄のそれは母さんのお気に入りで母さんは私によく着せたがるけど、実はあんまり私の好みじゃない。でも、こうやって後ろから抱き上げられたときにふわっと揺れるフリルはちょっとだけ可愛いと思っている。ちょっとだけね。
 父さんの腕に運ばれて車の座席に座り、シートベルトも父さんがつけてくれた。ついでにジュースをねだると、苦笑した父さんは後で買ってあげる、と言った。魔法でジュースは出せないらしい。なんだ、なんでも出来るわけじゃないのか。私は少しがっかりした。
 父さんと母さんが前の席に乗り込む。私は自分の隣を目を向けた。
「何これ」
 私の隣には箱が置かれ、その中には私が小さい頃に読んでいた絵本たちが詰まっていた。
「トムに見せてあげようと思ってね」
「懐かしいでしょう」
 無邪気な両親の答えに私は気を遣って大人しく相槌を打ったけど、八歳のトムにたくさんの絵本が喜ばれるんだろうか、不安なところだ。
 いつの間にか無くなっていて、でも読むことも無かったし捨てたんだろうと思っていた絵本は父さんの隠し部屋に仕舞われていたらしい。昨日探していたのもこれだろう。でもこんなカラフルで目立つ絵本たちが夜中までなかなか見つからないのなら、やっぱり父さんは整理整頓が出来ていないみたいだ。私はこっそりため息を吐いた。

 前に一度見た風景はあまり新鮮味が無く、私はつまらない移動時間を絵本を読み潰した。父さんが持ってきた絵本の半分ほどを読み終えた頃、孤児院が見えてくる。心做しか前よりも建物に罅が入っている気がしたが、私の記憶力なんてアテにならないから気のせいだ。車から降りて伸びをすると、母さんからはしたないと怒られてしまった。小言から逃げるように父さんと手を繋いで孤児院へ入る。
「こんにちは、シスターテクラ」
「こんにちは」
「こんにちは、ようこそいらっしゃいました。ミスターグラッドストン、今日はお荷物が多いのですね」
「ええ! トムに見せたいものがありまして!」
 ニコニコと笑う父さんから伝染したようにシスターの表情も柔らかくなった。父さんの笑顔はたまに人を柔らかくする。近所の物知りだけどとても気難し屋のノートンさんも、父さんと少し話すと眉間の皺が解れていくしお菓子もくれちゃったりするのだ。でも、これはきっと魔法使いだからじゃなくて、父さんの人柄というものだと思う。私もつられるようにニッコリ笑って、母さんもわくわくしたようにうふふと笑った。
 ニコニコのまま案内された部屋は前と同じ応接間で、そこには既に大きなソファにぽつんと座ったトムがいた。猫背で俯いているから、前よりも小さく見えた。
「こんにちは、トム」
 父さんがソファに座る前にトムに話しかけると、トムは喋らず小さく会釈した。トムは人見知りでシャイなのかもしれない、と挨拶が下手な自分を棚に上げて思う。トムの向こう側には窓が空いていないのに揺れるカーテンがあった。ここ、もしかしてどこか隙間が空いているのかもしれない。見た目よりボロボロな建物なのかな、なんて、母さんが聞いたら失礼だと怒られそうなことを考えながら勝手にソファに座ると、母さんとぱちっと目が合って慌てて立った。そのときこほん、とシスターが咳払いをしたから勝手に座ったことを怒られるのかも、と肩が跳ねたけど、シスターは私ではなくトムに少し厳しい声をかけた。
「トム、ご挨拶なさいな」
「…………こんにちは」
 小さな小さな声だった。私には聞こえたけど、老齢──じゃなくて、初老──でもなくて、ええと、ご婦人のシスターには聞こえにくかったらしい。トム! とシスターが大きな声を出して、私も父さんもびっくりした。
「ふふふ、ちゃんと聞こえたから大丈夫よ、トム」
 母さんが声をかけたことで、シスターは不服そうながらも私たちに席を勧めた。
 トムとシスターの向かい側のソファに私、父さん、母さんの順に座る。そこへ前にも会ったシスターエルフラシアがナイスタイミングでお茶を持ってきた。少し細かな傷のついたティーカップの中には紅茶が入っていて、ジュースが良かったなあと思いながらも口をつけて、一緒についてきたビスケットを齧る。
「──ですがまだ面会は二回目で──」
「ええ────ですけれども私たち夫婦も──」
「────ではトムの様子を見つつ──」
 大人たちの話をもぐもぐ口を動かしながら右から左へ聞いて、ちらりとトムを見ると、トムもまた私を見ていたけど目が合うとやっぱりそらされた。そういえば、トムのお皿にビスケットは無かった。私のお皿の上にはもう一枚ビスケットがあったから、そのままトムに向かって差し出す。トムの目が見開かれて、ちょっと面白かった。そういう顔もするんだ。
「食べなよ」
「…………」
 トムは返事をしなかったし、私からビスケットを受け取ろうともしない。ただ、話をしている大人を見た。
 トムの目線とたどると、シスターの顔に行きつく。……なんというか、これは、多分シスターの顔色を伺ってるのだろうけど。
「私がいいって言ってるんだけど」
 ため息を吐きながら言うと、トムはムッとして私を睨む。その表情の中に怒りのようなものが見えて、私もムッとした。
「じゃあいいもんね。食べちゃお」
「……あっ」
 これはちょっと、意地悪だったかもしれない。私はトムにあげようと思っていたビスケットを二口で全部口に入れて食べた。私が齧り付いたときにトムが小さく声を上げたのに聞かなかったふりをして、紅茶を飲む。トムは、唇を噛んで俯いた。少し罪悪感が湧き上がる。でも知らんふりをして、窓を見た。やっぱり窓は空いていないがカーテンはさっきよりも揺れていて、外の風が結構強いのかもしれないとカーディガンを持ってこなかったことを少し後悔した。
「さて、さて、お待たせしました。トムに見せたいものがあるんだ!」
 大人の話が終わったようだ。父さんが体をトムの方に向けて、弾けるように言った。トムはまたびっくりして目を見開いていた。
 父さんは茶器を端に寄せて、机の上にドン、と持ってきた箱を置くと、蓋を開けて中を見せる。
「…………えほん」
「そう、絵本!」
 ぱしぱしとトムが瞬きをした。長いまつ毛が揺れて、母さんが前会ったときに綺麗な子だと言った理由がわかった気がした。父さんは箱から本を次々と出して机の上に並べる。
「トムは本が好きと聞いていたから、色々持ってきたんだ。これはルシールが小さい頃に大好きだったものでね、ああこっちは僕が大好きだった本だ! 綺麗だろう、トムの好みに合う本はあるかなあ」
 机の上に並べたはいいが、トムが手に取る暇もなく父さんがペラペラと話し本を開いていく。これではトムに選ばせるというより、ただ父さんが懐かしい話をしているだけだ。私の小さい頃も父さんの小さい頃も、まだ二回しか会っていないトムからしたら意味の無い話だろう。父さんのこういうところは良くないところだと思う。
「あなた、トムがびっくりしているわ。もう、家じゃないんだからやめてちょうだいな」
「ええ、そうかい? ごめんよクリス、トム」
 へにゃりと眦を下げた父さんの横からそっと絵本をとり上げて、トムの前に置いた。ぽかんとした表情のトムが、そのまま置かれた本を見る。でも手に取ろうとはしなくて、ぼうっと本の表紙を見つめてから、恐る恐るとまたシスターの顔を伺い見た。私はそれにまたムッとした。
 何故だろう、なんだか不機嫌になってしまうのだ。先程自分がトムにした意地悪を思い出して、頭の中に曇り空が現れる。それが嫌で、私は立ち上がった。トムの視線がシスターの顔から私の顔に移ったが、私はトムと目を合わせないまま部屋の扉に向かう。
「ルシール? どこに行くの」
「ちょっとトイレ」
「レストルーム、ね」
 母さんの小言にはあいと返し、レストルームと言い直す。何か言おうとしたシスターよりも先に部屋を出る。多分トイレ、いやレストルームの場所だと思うけど、別にレストルームに用はない。あそこから出るただの口実だ。
 部屋を出て玄関の方へ歩くと、廊下ですぐ知らないシスターに会った。
「あら、見たことない子だけれど……」
「トムの面会に来ているグラッドストンの娘のルシールです」
「……そうでしたか。どうしてここに?」
「レストルームに行きたくて」
「ああ、その角を曲がったところですよ。では失礼」
 シスターは貼り付けたような笑みで私に笑いかけ、スタスタと去っていった。妙な様子だが、そういう人もいるだろうと納得した。レストルームに行くつもりはなかったけど、レストルームと口にするとなんだか行きたくなってくるような気がして、私は教えられた通り階段下の角を曲がった。
 とすん、とお腹辺りに何かがぶつかり立ち止まる。角の隅にしゃがみこむ男の子がいた。私は彼にぶつかってしまったらしい。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「…………お前、トムの面会に来たんだって?」
 人の心配を無視して話し出した彼にムカっときたが、おそらく私の方が年上だし、落ち着いてにっこりと微笑んだ。
「そうだけど」
「ふうん、あいつなんかより俺の方がいいと思う」
「……私に言われても」
 困るなあと頬を掻く。
 でも、そうか、少しわかった気がする。自分を売り込むということは、ここは競争社会なのだ。父さんはゆくゆくはトムを家族に、と言っていたから、この子たちに家族はいないし、だからこそ孤児院なのだし……プライマリースクールの成績なんかよりよっぽと厳しい競争だ。
 ビスケットをあげなかったときのトムの顔を思い出して、また雲がもくもくと現れた。私はこれを知っている。自己嫌悪だ。罪悪感と自己嫌悪、こんなので姉が務まるんだろうか。でも、父さんも母さんもトムと家族になりたいのだし、私はまだよくわからないけどそうなるんだろうなって思ってる。次はトムにビスケットをちゃんとあげよう、そう心に決める私の一方で、男の子はぺらぺらと自分の方がトムよりも優れていることを話す。トムよりも賢いとか、足が早いとか、トムは口が悪いとか。
「……私はまだトムのことをよく知らないから、言われてもわからないんだけど」
「知らない? じゃああいつが悪魔だってことも?」
「……悪魔?」
 変なことを言う子だなあと思うと同時に、トムの悪口を吹き込んでくるその根性が気に入らなかった。
「トムのことを嫌っているのか知らないけど、そういうのはよくないと思う。じゃあね」
 引き止める声を無視して私は駆け足で部屋に戻った。
 気づけば部屋を出る前よりも頭の中の雲はもくもくと増えてだんだん黒くなっていて、外に出た意味が全くないじゃないかと憤慨しながら扉を開けると、母さんが遅かったから迷子になったのかと思ったわ、と笑った。私も笑って誤魔化し、またソファに座ると向かい側のトムがちらちらと私を見る。トムは、一冊の本を持っていた。
「ではその本をトムに──」
「いいえ、ミスターグラッドストン。お気持ちはありがたいのですが、諍いの種になりますので子供へのプレゼントは禁じているのです」
 父さんも母さんも驚いていたが、さっき男の子の話を聞いた私は驚くことは無かった。トムの私を伺うような視線に、ふつふつと怒りが湧いてくる。トムは悪魔なんて言われていることを知っているのだろうか。やっぱりあの子のことをちょっとこらしめてやればよかった。
「そうですか……では、貸すというのは? トムはその本を気に入ったようですし、次回まで貸すというのは良いでしょう」
「ミセス……子供は扱いが丁寧でないので破損してしまうかもしれませんし、」
「いいんですよ、子供ですもの。ねえパパ、ルシール」
 母さんの問いに私も父さんも頷いた。
「壊れたらまた新しく好きな本を探せばいいし、こだわりがあるなら同じものを買えばいい、直すって手もあります。トム、気にせず好きに読んで欲しい、君の気持ちに合ったことが僕たちは嬉しいんだよ」
 父さんが微笑みながらトムに言う。私だって本の一冊や二冊ダメにしたことがあるし、でも大体翌日には──そうか、今思えば私が水槽に落としてダメになった本も、八つ当たりで壁に投げてバラバラになった本も、ついでに八つ当たりで投げた本に当たって壊れた時計も翌日には元通りになっていたけど、あれはきっと父さんの魔法だったのかもしれない。今まで母さんの怒りを恐れて敵の懐にいるスパイのように息を潜めて父さんのところへ謝りに行っていた私が馬鹿みたいだ。一気に気が抜けてしまった。
 だらりとソファに背を預けた私とは対照的に、今にも落ちそうなくらい浅く腰かけているトムが絵本を抱きしめるように抱えた。
「……ありがとうございます」
 父さんは、小さなトムが小さい声で言ったお礼の言葉がそれはもう嬉しかったようだ。私にオーラが見えたなら今父さんの周りでは花が咲いたはずだ。そのくらい父さんはニコニコしていて、伝染するようにトムの表情も柔らかくなった気がした。

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