ALBATROSS

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最愛の人と過ごすよる

太陽の日差しが強く、ジリジリと肌が焼けるような暑さの日だった。光熱費を節約するために家中の窓を全て開け、あらかじめ冷凍庫に氷を作っておいた。その氷を少しずつ舐めながらキャンバスに色を重ねていく。口の中で10個目の氷が溶けた頃、太陽に雲が薄く陰り少しひんやりとした涼しい風がゆっくりと吹いた。筆を幾度ものせた白い箱は僕が思い描いていた風景とは少し違った。「ワウン」「……もしかして、ずっとそこにいたの?」
ずっと同じ体制でいたからか、犬が僕の足の上に鼻先を乗せたとき、足にビリッと電撃が駆けずった。全く気が付かなかったが、犬はいつからか僕の足元で丸まっていたらしい。気付けば太陽が大きく傾いていた。
「ご飯、今あげるよ」僕も少しお腹が空いたため、若干痺れる足をゆったりと動かしながら画材を片付け、匂いと色のついたシャツを着替えた。そういえば犬は匂いに敏感だと本に書いてあった。あの犬は大丈夫なんだろうかという疑問もあったが、シンナー臭い僕の服も部屋も今更だったので大丈夫なんだろうと考えた。他の動物がどうなのか知らないが、短期間で犬というのはかなり人間に近いことを知ったのだ。たとえば、野菜も食べるし肉もよく食べる。あの犬は特にチキンが好きなようで、チキンを出した日は僕の分まで食べようとするのだ。ドッグフードという犬専用の食べ物もあるらしく買ってみたものの、犬はドッグフードを食べずに普通の食事をぺろりと腹に収めた。何がダメなのか、よくよく成分を見てみたが、僕にはさっぱりわからなかった。ドッグフードというのは人間でいう健康食のようなもので、身体にはいいが不味いのかもしれない。それから、綺麗好きなこと。僕は週に3度くらいシャワーを浴びるが、犬は毎回と言っていいほど僕がシャワーを浴びているとバスルームに入ってくる。拾ったばかりの汚い襤褸のような姿とは一転して、今は毛並みも艶が良くなったようで埃が毛に含まれていることもない。下手したら僕よりも綺麗かもしれない。
犬に湯がいたチキンと温めた野菜を混ぜたサラダと、軽くトーストしたパンを食べさせる。同じもので犬よりも少ない量を自分の腹にも納め、食器を片付けると僕は犬に声をかけて外に出た。「散歩に行こう」犬は微妙な顔をしながらも大人しく僕の後ろをついてくる。最近、僕は犬のリハビリを兼ねてこうして毎日散歩している。最初はもたもたして家の中を動くのも精いっぱいだった犬も、今やこうして外を歩き、ときには走れるようになった。パキリと足元の小枝が音を立てる。葉の青臭い匂いがスッと僕の中に入ってきた。向かい風が薄らとあたり、前髪がふわりと上がりオレンジに染まっていく空がよく見えた。ふと犬がちゃんとついて来ているか振り返ると、犬は家の近くの森へ行こうとしていた。「こら、こっちだよ」犬はじっと僕を見た。そんな顔をしてもだめだ、と言うと、犬は仕方ないというようにまた僕の方へゆったりと歩いてきた。どうして僕がわがままみたいな反応をするんだ。

あの森には魔物がいる、と言って僕が住む場所をここに決めたのは僕の父親だった。魔物というのが何か僕には全く分からなかったが、その態度さえ父は気に入らなかったのだろう。「ワウッ」いつの間にか僕の隣で座っていた犬の鳴き声にふるりと体に震えが走り、藍色に呑まれそうな薄いオレンジを認識した。「……もう暗くなる、帰ろうか」犬はくるりと踵を返し、今度は僕を先導するように家へ向かう。大人しく犬のぺたりと下げられた尻尾を手綱に見ながら歩く。じゃり、と踏んだ小石が靴越しなのに痛く感じた。
「……あれ、おかしいな」家の鍵は開けていったのに、開かない。がちゃがちゃと何度もドアノブを回すが、ドアは開かなかった。犬がバウ、と威嚇するように何度か大きく鳴いた。すると、犬の鳴き声に返事をするように家の中からゴトゴトと音が聞こえた。こんな辺鄙なところに窃盗をしに来るとも思えなかったが、もしかしたら、もしかするのかもしれない。ザッと青ざめた僕を見て、犬が代わりに家の裏手、テラスの方へ回った。「ま、まって」か細い声は聞こえているはずなのに、犬はそれを無視して行ってしまう。どうしよう、と玄関前で立ち尽くしていると、少ししてテラスの方から犬の強く吠える声と、どこかで聞いたことのある悲鳴が聞こえた。「きゃあ!やめっ、やめてっ!いやぁっ!」「……ねえさん?」慌ててテラスの方に足をもつれさせながらも行くと、少し窓が開いたその先の居間に1年ぶりに見た姉と、その姉の服の裾を噛み、姉を睥睨してグルルと唸る犬がいた。「や、やめて、大丈夫だ、その人は、大丈夫」急いで家の中へ入り犬を落ち着かせる。姉は不思議な力を使うため、犬にけがをさせてはいけないと後ろに庇い声をかけた。「……ねえさ、」「あんた…、あんたついに私をころそうとしているのね!」姉が杖を僕に向けて何か術を放ち、僕はテラスに投げ出された。パラパラとガラスが散らばった。「ガウッ!」「ひいっ!」ガツンとぶつけ、痛む後頭部を押さえて立ち上がると目の前がくらくらと点滅した。ふらふらと覚束ない足で割れた窓からまた中に入る。「……ねえさん、なにしにきたの」犬が姉を威嚇した。姉は犬の剣幕に怯えながらも、僕を睨み杖を向けた。「なんでもいいでしょ!さっさとその犬をつまみ出しなさいよ!」「バウッ!」「どうどう、だいじょうぶ、おちついて、……ねえさん、こいつを追い出すことはできない。姉さんが出て行ってくれ」僕の言葉に姉は顔を真っ赤にして唇を噛んだ。何か呪文を唱えようとして、犬が飛び掛かり杖を奪った。姉は襲われると驚き怯え、その場で消えた。パチン、という音が静かに部屋に響く。カタン、と足に何かが当たった。見ると、破られたキャンバスが散らばっていた。全く気が付いていなかったが、姉は僕が居間に置いておいたものを何枚か破っていたらしい。僕と犬の呼吸音は荒く、杖を銜えた犬は僕に傍に来て労わるように頭を僕の膝に押し付けた。僕は膝をついて犬の口から姉の杖を抜き、犬を頭を撫でた。犬の頭を撫でるのは初めてだったかもしれない。「ごめん、怖がらせちゃったかな。昔は優しかったんだけど」あれでもね、おどけるように意識して少し笑うと、犬はぺろりと僕の頬を舐めた。今までこんなことしたことなかったというのに、少しずつ犬との距離は縮まっているらしい。
キャンバスの破片を片付けて、割れた窓の掃除をした。窓ガラスが全体的に割れていて、すべて取り換えなければいけないようだった。夏だ、とはいえ夜の風は冷たい。風がするりと入ってくる枠越しに空を見ると、星が薄い雲の先からちらちらと光っていた。「窓が割れたから今日は僕の部屋で寝ようか」犬は返事をするようにくぅん、と鳴いた。

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