ALBATROSS

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あなたの夜が悲しそう

夏が少し落ち着いた季節だった。日が落ち冷えた空気とアスファルトが吸った熱が少しずつ抜けてきて、ぬるく肌を滑る風を小窓から感じ、夜道をヘッドライトが弱々しくも明るく照らした。3年前に中古で購入したラングラーを走らせ家へ帰る途中、何ヘクタールもの大きな畑に沿った道路脇でベンさんが大声をあげて何かを蹴っていた。ベンさんは癇癪持ちで普段から事ある毎によく怒鳴っていたが、夜も更けたいい時間にそんなことをするなんて不自然だった。車を脇に止めて、窓から声をかけるとベンさんはかんかんに怒った真っ赤な顔で八つ当たりをするように「なんの用だ!」と怒鳴るように言った。怒鳴り声に少し怯んだが、女性の金切り声よりはまだいい。「いったい何をそんなに怒っているの」普段ならばもう夢の中でしょう。その証拠にだらりとした寝間着姿のベンさんに、いかぶり聞くと、ベンさんは耐えきれないというように「野良犬がうちの畑を荒らそうとしやがった!」とまたなにかを蹴った。「野良犬?」茶色いサンダルに浅黒いベンさんの足元によく目を凝らすと、夜の闇に溶けてしまいそうな色合いの犬が確かにそこにいた。犬なんて、気がつかなかった。僕は犬を見るのは初めてではないが、その犬は僕が街で見た犬よりも痩せこけて、なんというか、今にも死にそうな様子で、ベンさんの行動に逃げようともせず、いや、逃げられないほどに憔悴しているようだった。このまま放っておいたら、ベンさんは犬を殺してしまうかもしれないし、もしベンさんが許したとしてもこの犬はこのまま死んでしまうかもしれないと思った。別に僕は優しい性格ではないし、動物を愛護しなければなんて高尚な精神も持っていない。しかし、そのとき、僕はなぜかベンさんに「その犬、僕が引き取るよ」と言ったのだ。

怒鳴るベンさんを諫めて、車の後部座席を開けた。ぐったりと鳴き声もあげない犬を乗せて、道を引き返し街の動物病院へ連れて行く。犬と共に車内で数十分いたが、犬の呼吸音はひどく小さかった。夜中に突然訪問したというのに、獣医は犬の様子を見てすぐに診療をしてくれた。見かけはひどかったものの、幸いそんなにひどいわけでもないらしく極度の栄養失調だと診断され、点滴と少しと栄養剤を出された。どこの犬だ、という問いに、拾っただけだからわからないと答えれば、獣医は一応検査するか、と準備してくれたが、残念なことに手持ちが全くなかったから断ってしまった。獣医は、油のにおいがしみ込んだジーンズや、赤や緑などの色のシミが取れないよれよれのシャツという恰好からも予想はついていたようで、犬の世話をするにあたったアドバイスをいくつかくれ、診療代と薬代を請求した。提示された値段を見て胃がひっくり返るかと思った。動物なんて飼ったことがなかったから知らなかったんだ、あんなに値段が高いなんて。僕自身滅多に病院に行かないが、これじゃあみすみす病気もできないようだ。正直、自分が食べていくのでやっとの環境で、犬の世話ができるのかも賭けだったが、それでも僕は体格と見合わない軽い体重を抱き上げてまた車に乗せたのだった。

7年前に安く買い、リフォームをして暮らしている我が家に犬を連れ帰り、獣医のアドバイス通り外に近い場所にダンボールを敷き、バスタオルや布切れを置いてその上に寝かせた。外に近い場所というのは居間を選んだ。目の前がテラスだからすぐに外へ出ることが出来るし、僕も居間にいることが多いからだ。犬の近くに水を入れた皿を置いておく。犬は途中何度か目を開けたものの、何もアクションを起こさず大人しく眠ったままだった。きっと疲れ果てていたのだろう。
自分のかなり遅くなった夕食を作るついでに、犬の食事も考えたが、何を食べさせたほうがよくて何を食べさせたらいけないのか、さっぱりわからなかった。とりあえず食べれそうな、パスタの麺を塩コショウだけで味付けしてくったくたに茹でたものを置いておいた。食べてくれるかわからないが、ダメだったら明日なにか買いに行けばいいだろうと眠る犬を残しそっと居間を出た。部屋が違えど、家の中に自分以外の気配がするのは久々のことで、少し緊張しながらも、あの犬が無事に生きてくれることを祈って眠りについた。

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