- ナノ -

1991

 クィレル先生が帰ってきた。もっと長く、それこそ10年以上の旅も予想していたがまさか一年で帰って来るとは…いや、いいことなんだけどね。(バーベッジ先生とお別れしてしまうのは寂しいが、またきっとご縁がある気がする。)魔法界はマグルの世界と比べてデンジャラスだし、無事に五体満足で帰ってこられてよかった。
 そんなクィレル先生は復帰後の職についてマグル学の先生ではなく闇の魔術に対する防衛術、つまり私が今担当しているDADAを志望されたらしい。とは、後にダンブルドア先生から聞いたことだ。
 ダンブルドア先生は一度は頭を悩ませたが、クィレル先生の強い意思の籠ったスピーチに心打たれたらしい。曰く「クィリナスは一年の旅で更に成長した。わしはそれがとても嬉しいのじゃ」、というわけで私はマグル学担当になるらしい。やっとDADAに慣れてきたと思ったら新天地だ。

「で、では、よ、よろし、よろしくお、お願い、します」
「こ、こちらこそ…わからないところあったらお気軽にどうぞ…」

 移動の荷物を持って研究室に行くクィレル先生の後姿を職員室から見送る。心配になりそっと廊下に顔を出したが、クィレル先生はどうもどこかふらつく足元で階段を上がっていた。
 なんというか、帰ってきたクィレル先生は変わっていた。見た目はそんなに変わらない──いや、変わっている、性格も若干変わった。以前はつけていなかったターバンによくわからないネックレス(魔除けらしい)をつけるようになった。それも常に。そしてスラスラと話し、気遣いが多かったが同時に少し人を鼻で笑うところもあった性格が、おどおどと吃り人に怯えるようなところもある。(たまに独り言を喋っているところもある。)
 一体旅の間に何があったのか、たった一年であんなに人が変わるなんて信じられない。
 大丈夫かなあ、と姿が見えなくなるまで見続けていると、「邪魔だ」と上から低い声が振ってきた。「スネイプ先生、お疲れ様です」「退け」「うわお」挨拶をすると、それを無視して首根っこを掴まれ職員室の中に戻された。
 スネイプ先生は今日も黒い姿を城に溶け込ませ、サッと今年の教科書リストと受注品のリストを私の机の上に置くとさっさと出て行こうとする。(どうして私の机に置くんですか、受注品くらい自分でやってくださいよ! ……なんて、言えないのである。)
 仕方なく受注品リストを受け取りぼんやり眺める。一年生の次の授業はおでき薬かな、あれ爆発すると痛いんだよなあ…。

「……クィレル先生、あれ大丈夫なんですか?」
「猿でも出来るようだから容易い」
「いや別にDADAのことだけじゃ……もしかしてスネイプ先生根に持ってるんですか? 教務異動届却下されたこと」
「…その口を閉じろ、猿」

 少しの間を置いた後にとーっても低い声で返される。失言だったか……。すみません、と謝ると舌打ちをされた。一気にご機嫌斜めになってしまった。数年経ってもスネイプ先生の不機嫌ラインはよくわからない。
 大人しく教科書リストをまとめてある専用のボックスに入れて中を確認すると、退室しようとしていたスネイプ先生に「ミョウジ」と名前を呼ばれた。

「はい」
「校長がお呼びだ」
「今ですか?」

 私の質問を鼻で笑い、スネイプ先生は退室していく。愚問でしたか。今ですね、すぐ行きます。
 まさか職場の人と鼻で笑われるコミュニケーションをするようになるとは、昔の私は思わないだろうさ。

 スネイプ先生の後を追うようにローブを羽織り、校長室へ向かう。夏とはいえ城の中は涼しく冷える、天気が曇っていれば尚更だ。もうこの温度にも慣れたが、久しく日本の湿気が多いむわっとした暑さと会っていない。
 たまに、汗だくの中、盥の水に足を入れ縁側に寝そべる夏が懐かしくなるときもある。団扇を仰ぎながら、蚊取り線香の匂いと小さく聞こえる花火の音に、何度も寝返りする夜は英国には無い。ふと思い出す一瞬の思い出に、日本へ一度帰ろうかと悩む日は度々あるが、まだ一度も帰る勇気は無い。帰れたとしても、実家に帰ることはないだろう。帰ってくるなと言われて帰るほど、私は強くない。
 静かな廊下に足音を響かせながら階段を上がる。ガーゴイルは私をすんなりと通した。扉は私が手を上げることもなく先に開く。

「待っておったよ、ナマエ先生」

 眼鏡をかけ書類を読んでいたダンブルドア先生が私の顔を見て微笑む。杖を一振りして、アッサムの香りが部屋に広がった。
 お待たせしました、と頭を下げ入室し、勧められた椅子に座る。出されたコーヒーゼリーはぷるるんと空気に身を揺らし、黒く照り苦味を見た目から強調している。今更だけど、どうして校長室に行くといつもお菓子を出されるんだろう。美味しいから嬉しいけど、毎回こうもおやつがあると肥えてしまう。実際お腹のあたりが……いや、まだ大丈夫……大丈夫……。

「さて、ナマエ先生」

 コーヒーゼリーを口に運び、見た目よりも甘い味に舌づつみを打ち味わっていると、ダンブルドア先生が愉快そうに笑いながら言った。一旦スプーンを置き、口元をハンカチで拭いて向き直る。

「実は、ナマエ先生には4階の右側の廊下を掃除してもらいたいのじゃ」
「……掃除ですか?」
「少々重要なものを仕舞うからのう」

 ピッカピカに、とのご要望にパチリと瞬きをする。ピッカピカに、は了解したが、いつも清掃といえば神経質で埃のひとつも許さないで有名なミスターフィルチがいらっしゃる。どうして私に…いえいえ頭の上がらない校長先生お相手にお断りなどはしませんけれども。承知しました。窓のサッシから壁際の埃まできっちり清掃させていただきますとも、私の魔法で。

「ほっほっほ、期待しておるよ。それから、仕掛け扉の中も頼みましょうかの」
「……仕掛け扉ですか? そんなものありましたっけ?」
「ホグワーツには先人たちも知らない場所が未だ数々残されておる」
「なんと」
「わしもあそこを使うのは初めてでな。……ああ、丁度いい、今から見に行こうか」

 ええっ。私の返事を聞かぬままに、ダンブルドア先生は書類を積み上がった紙の上に置くとサッと立ち上がり校長室を出ていこうとする。本当に今から行くのか! 慌てて残りのコーヒーゼリーを口の中に詰め込みごくりと飲み込んで追いかける。ゼリーはこういうとき便利だ。額縁の中の歴代校長先生に「レディがなんたる…」とかなんとか呆れたように呟かれたが聞かなかったことにする。

 4階の右側の廊下は日の当たりがあまり良くない。今日は曇りだから尚更で、杖に光りを灯しダンブルドア先生の足元を照らした。隅の隅までやはり埃ひとつ無い綺麗な道だ。フィルチさんのお仕事は職人技の域だし、これを汚されたらぶちギレる気持ちも分かる。というか、これは私が掃除する意味がないのでは…? ダンブルドア先生を窺うと、先生はほこほこと髭を撫でつつとある扉の前で立ち止まった。普通の扉だ。こんなところにも部屋があったのか。ドアノブに手をかけるがガチャガチャ鳴るだけで鍵は相手いなかった。杖を一振して鍵を開ける。開けゴマー! とは効果はないが言いたくなってしまう呪文だ。
 部屋の中は広い空間だったが、特に何かあるというようなものではなくただの空室だった。物もなく、埃の積もり具合と至る所にある蜘蛛の巣に使われていない年月を察する。げえ、と顔が歪んだ。これの掃除面倒くさぁい……。もちろん魔法を使うが時間がかかりそうだ。

「ここは昔クラブ用に使われていた部屋でな、活気ある生徒たちの声がまるで昨日のよう……しかしていつの間にか年月は経つものじゃ」
「クラブですか?」
「昔は生徒の息抜きの場用としてクラブ活動を容認、推奨しておった。しかし度々悪利用され、時代と共に廃止になったがのう。全ては生徒の安全のためじゃ」
「悪利用って、不良のたまり場のような?」
「ふむ……生徒を不良と思ったことはないのう。主に闇の魔法の練習場であったり、死喰い人を目指す者たちの会合の場として利用されてしまった。魔法界の道徳に反するという意味では確かに不良といえよう。無論、教師も含めて」
「ああ……なるほど……」

 クラブ活動の場所を使うという発想は10代生徒らしいが、やっている内容が可愛くないというやつだ。教員が主導というのはある意味クラブ活動を行っていたということか。乾いた笑いを漏らすしか無かった。
 聞けばこの部屋もよく闇の魔法の練習場に利用されてしまったらしい。ホグワーツの至る所にある絵画がこの部屋に一枚も無いのは、絵画もまた犠牲者だからだ。その代わり、部屋の奥の方、これまた汚くかび臭いラグの下にぽこりと違う感触があった。ラグをぺろんと捲る。

「おお、ここにあったか」
「これは……」
「仕掛け扉じゃ」

 仕掛け扉の下にはいくつかの部屋があるらしい。地下室のような感じだが、実際は3階のどこかの部屋ということだろう。なるほど迷路のようだ。そして確かにここは密会場としても有能だろう。
 開けゴマー! でぱかりと扉を開けてみると埃がぶわっと舞い咳き込んでしまった。ずびずびと鼻がなる。ダンブルドア先生も少し苦しそうで、とりあえず廊下に出ることにした。この部屋窓もないから清浄魔術も効きづらいんだ。「ダンブルドア先生、ダンブルドア先生!」ぱさぱさと服についた埃を落としていると、絵画がダンブルドア先生に声をかける。フラメル殿からのお手紙よーだそうで、絵画の報告ならば至急の案件だ。ダンブルドア先生はあいわかったと校長室に戻られる。

「ではナマエ先生、よろしくお頼みしますぞ。仕掛け扉の1番奥の部屋は特に念を入れてくだされ」
「承知しました。まるでダンジョンですねえ」

 私のつぶやきに、ダンブルドア先生はパチリとウインクをして仰った。「勇者も魔物も決して突破することのないようにのう」
 そのセリフは完全に魔王様の物だ。ダンブルドア先生にお似合いすぎて困ってしまった。