1994

 朝、朝刊とともに届いた手紙にゲッ、と嫌な気分になった。いつもならばこのあたりで可愛らしい梟が癒してくれたりするものだが、生憎今はもう物言わぬポストしかない。
 今年の夏、当初の予定通り教職を辞めた。
 元々はよくわからぬ縁で始めた仕事、色々ごちゃごちゃ言っては来たものの辞めるとなるとこれまた寂しいものがある。大勢で食べていた食事は一人となり、しょっちゅうペラペラと話していたことも無くなる。しかしゆっくりする時間も増えた。――はずなのだが。

「クィディッチワールドカップねえ……」

 来賓として行ってほしい、要約すればそう書かれた手紙。差出人はアルバス・ダンブルドア。(これはもう、行ってほしいというより行けってことだ……。)日にちを見れば泊まりがけで、大体はマグルのキャンプ場で過ごすらしい。マグルの? キャンプで? ……へえ、嫌な予感しかしない。
 しかしダンブルドア大先生のお願いだ、行かないわけにいかない。つまり行かなければいけない。久々に大きなトランクを出して……ああ、先に少し干しておかないといけないかも。ずっと締まってたからなあ。
 もう一通の嫌な手紙はポケットにねじ込み、ベッド下に入れたトランクを出そうと寝室へ向かう。
 そんなわけで、私は今、マグルの街で暮らしているのだ。


 マグルと魔法族が混じり、奇妙な賑わいが出来ている。バケツを被って遊んでいる魔法族の子供たち。それを見てひそひそするマグル。そんなマグルの格好を見てひそひそする魔法族。なんだこのカオスは。
 嫌な予感的中だ。もう買って長い、初めて英国に来たときも持っていたトランクを抱えて受付に向かう。受付というのも人だ、要は人探しだ。確か柵のあたりにいると言っていたと思ったが、さてどの人だろうか。髭の濃い、熊のような人に話しかけた。

「あの、すみません。受付人はどなたですか?」
「俺だ。誰だあんた、客か?」
「ええ、予約をしていたミョウジです」
「ミョウジ? 待ってろ、今……あ、ウゥン、……アー、あんたの場所、他の客が入ってるな」
「なんだって?」

 他の客が入ってる? なんだと。おい。入れちゃったの。私の予約場所に人入れちゃったの。なんで入れちゃったの。どうすんのよそれ。管理雑か。ひくひくと頬が引き攣る。
 熊のような受付人は、ぼりぼりと頬をかいた。

「他のテント行ってくれねえか、場所がねえんだ、なんせ突然信じられねえほどの客が来てんだ、俺だって管理しきれねえ。しかも変な客ばっかりでな――おい! そのライターは投げ合うもんじゃねえ、火事になったらどうしてくれんだ!」

 受付人が怒鳴った先を見ると、おちび2人がライターを投げ合い遊んでいた。うんうんそうね、大体マッチか魔法だもんね、珍しいよね。しかし良くはない。テントの影からそっと親らしき人が杖を振るのが見えた。しっかりしててくれ。
 と、いうか。

「他のテント? どこがあるんです?」
「隣の隣、3キロくれえ先にもう1個ある。あとは隣町だな、そのへんだ。どっかしら空いてるだろう。キャンプなら最悪どこでだって出来る、バレなきゃな」
「暴論かよ。……はあ、わかりました、その3キロ先はどの方向に?」
「なに、そこらへんをびゅーっと行けばある」
「適当かよ」

 じゃあな、と熊のような受付人はそのへんの魔法族を注意しにいなくなってしまった。対応も雑か。
 仕方なくトランクを抱えてキャンプ場を出る。あたりを確認して、姿現し。着地した先はしっかりキャンプ場だった。よしよしなかなかいい感じ。
 こちらのキャンプ場も賑わっているが、どうやら魔法族ばかりの様子だった。今度はわかりやすい受付人に話しかける。

「すみません、今日場所空いてたりしませんか。向こうのキャンプ場で予約してたんですが、向こうの手違いでキャンセルになりまして、空いてたら借りたいんですが」
「ねえ」
「っすよね」

 知ってた。
 これだけ人がいるんだもの、クィディッチワールドカップだし。知ってた。こっちの方が会場近いしね。
 だが宿泊先がないと困る。はあ、どうすればいいんだ。近くのホテルでもとるか? でもこのへんの安いとこ取るって言ったって怖いんだよなあ。しんどいけど家帰った方がいいかもなあ。
 この重い荷物はとりあえず近くの駅のロッカーにでも預けよう、そうトランクを抱え直したとき、「ミョウジ先生?」と話しかけられた。振り向くと、そこには今年卒業したばかりの生徒が。

「ウッドくん。ハロー」
「ナマエ先生、どうしてここにいるんですか? 先生もクィディッチワールドカップに!?」
「しー、しー、声が大きいよ。あともう先生じゃないからね。そう、それを見に来たんです」
「先生がクィディッチに興味があるなんて知りませんでした! テントはどちらに? 俺、是非先生に祝ってもらいたいことがあるんです!」
「アー、それがね、テントがちょっと手違いで用意されなくって、これから一旦荷物置きに行こうと思ってたところなの」

 苦笑し、トランクをちらりとあげて言うと、なんとオリバー・ウッド、私のトランクをそのまま取り上げた。えっ。私よりも背が高く体格もいい彼はそりゃ確かに軽々と持てるだろうけれども。

「Mr.ウッド? 返してくれない?」
「よければ僕の家のテントにどうぞ!」
「いや、それだとご迷惑がかかっちゃうからね、いいんだよウッドくん、親切にありが」
「こっちです」
「んん!? 相変わらず強引な子だね!? 待って待って」

 私が驚く間にウッドくんはせかせかと歩いていってしまう。リーチを考えてくれリーチを。早い早い。ヒールで転ばないよう注意しながらも駆け足で追いかける。
 ウッドくんいい子なんだけどなあ、結構こういうところあるんだよなあ!

「僕、クィディッチのプロチームに受かったんです!」
「なんと! そりゃすごい、おめでとう! あっ待って早いって」
「パドルミア・ユナイテッドの、まだ二軍ではありますがすぐに一軍に上がってみせます!」
「パドルミア・ユナイテッド!? マジかよすげぇ! 期待してるよウッドくん、一軍入りして話題になったら是非サインちょうだいね、って早いってば待って待って」

 話している最中にも足が速い。慣れない道を急ぐってのも大変なんだぞ。それにこちとらヒールなんだぞ。転ぶわ。
 それにしてもすごいものだ。パドルミア・ユナイテッドといえば歴史あるチーム、しかもこれが強い。このワールドカップでは惜しくも決勝には進めなかったが、めっちゃ強い。なんつったってチームワークがすごい。あの結束ハンパじゃない。その中に入っていく教え子の成長、なんて嬉しいことなんだ。ウッドくんはリーダーシップもさながら、人柄もいいし実力もある。きっとすぐに頭角を現すだろう。彼もまたいつかワールドカップの舞台に立つことを想像しただけで楽しくなってくる。
 ウッドくんをニヤニヤしながら小走りで追いかける。「うわっ!」勢いよくすれ違う人と肩がぶつかってしまった。でん、とすっ転ぶ前にお腹に回された手に助けられる。

「……ナマエ先生?」
「え? ……どちらさまで?」

 ぶつかってしまったが助けていただいた男の人は、帽子を被り顔があまり見えなかった。その雰囲気も、覗き込んで見た顔も残念ながら私に覚えはない。しかしそのお顔はなんたるビューティーフェイス、とても美形さんであった。歳は私と同じくらいだろうか。
 男の人は私の顔を見て、やはり、と小さく言うと、これは失礼を、とにこりと笑う。

「はじめまして、ではありませんが……ホグワーツであなたにお世話になった者です」
「ホグワーツで? ……アー、びっくりするほど覚えがないのですが、人違いでは?」
「ホグワーツで世話になったアジア人はあなただけです」

 そりゃアジア人はそんな多くないからそうだろうけども。全く覚えがないのだから違うんじゃないだろうか。夢の中の話とか。 ……どんな夢だ。
 は、はは、そうですか。とりあえず流そうと愛想笑いをすると、男の人は苦笑して「シリウス・ブラックと申します。これなら覚えがあるでしょう?」と小さな囁くような声で言った。
 なんだって? シリウス・ブラック?

「……えっ!? シリウッズッ!?」
「声が大きい!」

 大きな手で口を塞がれた。今の私の声でこちらを振り向いた人を警戒するように見ると、Mr.ブラックはしー、と長い指を自分の口元にあてる。

「冤罪で自由の身になったとはいえ、未だ隠遁の身でしてね」
「いんとん」
「ええ」

 隠遁の身がこんな場所にいちゃいけないだろう。思わずジト目で見ると、Mr.ブラックが苦笑しながらも場所を変えましょう、と言った。それに首を振ったところで、「あれっ? 先生、ナマエせんせーい!?」「ここー! ここだよ、ここでーす!」ウッドくんの大きな声が聞こえて、それに大きな声を出して手を振り上げる。Mr.ブラックは俯き、帽子を深く被った。
 人垣を越えてウッドくんがこちらに戻ってくる。少し汗を掻いたようで、額を手で拭っていた。

「もう、遅いですよ先生、いなくなったかと思いました。お知り合いでも――そちらは?」
「ああ、彼はかの有名な、」
「コホン」
「……失礼、アー、かの有名なナマエ先生のお知り合いの方でね、ついつい話し込んじゃって」

 横目で見ながらされた謦咳にウッドくんもダメか、とシフトチェンジして誤魔化すと、ウッドくんはほほう、と深く頷き「それは邪魔をしてしまいました、すみません」と言う。素直ないい子だが、棒読みすぎるのであともう少しだ。
 ウッドくんは恭しく会釈をし微笑んだ。そして私の肩に手を乗せる。

「かの有名なナマエ先生の教え子の一人、オリバー・ウッドです」
「なんとパドルミア・ユナイテッドチームに受かり今秋より腕を磨く自慢の生徒です」

 お茶目な自己紹介に合わせて、私もついつい自慢をするようににんまり笑えばMr.ブラックは呆れたように息を吐き、しかしクディッチプロチームの名前に感嘆するように「素晴らしい」とこぼす。そうだろうそうだろう。自慢と応援はどんどん売っていきます。
 称賛の言葉に満更でもなさそうに照れ、しかし自身に満ち溢れた表情をするウッドくんと同調するように胸を張ると、Mr.ブラックは子供を見るようなまなざしでにっこりと笑い「この後のご予定は?」と聞く。ウッドくんが私の鞄を胸の高さほどまで持ち上げた。

「ナマエ先生が今日宿泊する所がないそうで、」
「ああ、それなら丁度いい」

 ウッドくんの手から私の鞄を取ると、Mr.ブラックは私の肩を寄せる。ああ、私の鞄が。そして流されるようにMr.ブラックの隣に回る。

「積もる話もあります、丁度部屋が空いていますから」
「えっ、いやあの、」
「どうぞ、是非」

 目が笑っていない。言外のいいから来い、という圧力を感じる。そっと目を逸らすと、もう一度、是非、と繰り返した。声の低さに思わず頷いてしまった。肩を寄せる力が強くなった。

「そういうことだから、邪魔をしてすまないが」
「いえ! むしろ僕がお邪魔しました。ナマエ先生、ではまた」

 ウッドくんは少し怪しむような、それでいてにやにやと何か楽しむような目をして言った。あれは絶対に何かを勘違いしてるわ……。

 Mr.ブラックは私の肩を掴んだまま歩き出す。人を上手く避けながら、隠れるように森の中へ入る。
 昼間だが少し薄暗く、夏なのに涼しいそこにも人は多くいた。人に聞かれないように、違和感のないレベルの小声でMr.ブラックが言う。

「ダンブルドアは」
「来ていません、代わりに私が行くよう手紙がありました」
「そうか…。話の詳細は聞いていますか」
「……私、あなたが何言ってるかさっぱりなんですけど」
「……何も聞いていないのか?」
「自分は行けないから代わりに行ってくれ、としか手紙にはありませんでしたよ」
「……わかった、早く行こう」

 私の言葉にMr.ブラックは目を丸くし、そして目元に手を当てた後に足を速める。
 全く話についていけないが、どういうことなんだ。私はてっきり普通に来賓の代わりに顔を出して挨拶をするくらいが目的だと思っていたが、話が違うのか。
 そもそも私ごときMr.ダンブルドアの代わりに出席、というのも変な話だが。ホグワーツで一介の職員の私が奔走したのは裏方だったし、こうして表に出るのは初めてだ。
 ……あれ、そう言えば、なんで私なんだ? 今更ながらに疑問が湧く。
 今はただの一般人だ。Mr.ダンブルドアの代わりになるはずもない立場の人間だ。(……もしかして、)(いやそんなはずは)いくらMr.ダンブルドアだといえども、そんなはずは。

 ひやり、私の背中に冷や汗が流れるのと、度重なる不慣れな地面をそこそこ長く小走りしていた私の足元が嫌な音を立てるのは同時だった。

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