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ALBATROSS

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肉体に庇われたそのたましいを

大砲が鳴り爆発が起きる。夜の深い中で火薬は月よりも輝き道を照らした。濃厚な血の匂いが脳を沸騰させる。銃声が聞こえぬ場所はなく、網走監獄は地獄の沼と化していた。
アシリパが連れられてしまったが、のっぺら坊と会い話をする機会を杉元は見逃さなかった。二階堂を誤魔化しキロランケの力を借り抜け出した先に、金塊のヒントがある。そうした結果、のっぺら坊はアシリパの父であり、アシリパは残酷な現実に呑まれていく他なく。だが、のっぺらぼうはアシリパへの遺言を杉元に託した。

「────"二十五人目を待て"、のっぺら坊は確かにそう言った」

おにぎりを飲み込み、手についた米粒を舐め取りながら杉元はそう言った。話を聞いていた鶴見は宇佐美へ二十五人目とやらを聞いたが、宇佐美に心当たりはないという。
妙な話だ。
二十四人の囚人が脱獄してから、網走監獄は強化され脱獄犯は出ていない。のっぺら坊もまた規則性の難しい部屋替えが行われ、同室者はおらず、刺青を彫ることが出来ない。だというのに、二十五人目が存在するというのか。

「それは、私たちを攪乱させるガセではないのか」
「俺はアシリパさんへの伝言を頼まれたんだ、俺たち当てじゃない。アシリパさんを混乱させてどうするっつーんだよ」
「それは……ふむ、確かにそうだが……」

鶴見は考える。犬童の監視は強く、刺青を入れる余裕は確実に無いはずだが、いるはずのない二十五人目がいるとすると。監獄に入るより前に刺青を彫った、もしくは
────"元々刺青がある人間だった"。

「網走監獄で刑期を終えた人間を洗いだせ」



みょうじなまえという男がいた。
二十四人の囚人が脱獄した翌年に網走監獄へと移送された男で、意図的に洪水による土砂災害を起こし町を土の下に埋めた大量殺人を犯し逮捕。しかし当人は投獄されてからも一貫して容疑を否認し、また人望が厚く囚人、看守ともに慕われていたという。特に問題を起こすことなく大人しい模範囚で、少し身体が弱かったものの当人の反省の深い態度と、囚人からの依存性が強かったため刑期が短縮され網走監獄で無事満了し出所した。
記録によれば、出所は約一年前のことだったが、出所後の足取りは掴めず。地元に帰ったというわけでもなく、列車に乗るほどの金もなく、しかしどこかで働いているという情報も何も無かった。
ならばどこへ消えたのか。
みょうじなまえが二十五人目だという確証がない。顔もわからず、囚人としての情報もない。
ただ判明しているのは名前と、"未来視が出来る"という胡散臭い情報だけだ。そんなものに構っている暇など杉元には無かった。一刻も早くアシリパを奪還しなければいけない。
だが、運命というのは気分屋で────いいや、運命は巡るものなのだろう。

杉元たちが遭難し、鯉登と月島の機転によって助けられた先、灯台を管理する夫婦の元にとある男がいた。体格、骨格、顔つき、どれをとっても男にしか見えぬというのに、どこか婀娜っぽく女のような雰囲気を晒す男だった。
夫婦と共に食事を作ってくれた男は、見た目通りの日本人で、自分も過去にこの夫婦に助けられ恩返しで身を寄せているのだという。暖炉の炎に当たりながら、男はヴォトカというロシアの酒を分けてくれた。喉が熱く腹の底が煮えそうな濃度だが、確かに体が温まる。

「お兄さン方、いい身体してンな。ちょいと羨ましイぜ」
「そうか?あんたは細っこいな、よくこんなとこで生きれるもんだ」
「はは、人ってのは案外強エもんだが、俺は運が悪かったのさ」
「ふうん、お互い災難だったな」
「あア、ちィと北海の地をナメてたねエ」
「北海の地?あんた北海道出身じゃないのか?」
「生まれは、南海の方なンだよ」

妙な違和感に体が反応した。北海道出身でない男が何故こんなところに。流れたにしても場所が場所だ。

「……そういや、あんた名前は?」

こいつ、もしかして囚人じゃないのか。酒のせいか判断力が鈍っていることを杉元は自覚しながらも、殺気が広がっていく。視界の端でそろりと月島が銃剣に手を触れさせた。
だが、男は杉元たちの様子を知った上で酒を舐め、ニヤリと愉快そうに笑った。

「知ってンだろう?"待っていた"よ、杉元佐一」

間違いない、囚人だ。酒が宙を舞って、酷い打撲音が吹雪の音にかき消される。杉元は反射的に男を殴っていた。抵抗もせず殴られた男がどたりと床に倒れた。
杉本はその体の上に馬乗りになり、男の着物を脱がせていく。
灯台夫婦の悲鳴も聞かず着物を剥いた肌には刺青があった。だがそれは────

「和彫り……?」

上半身全体に彫られた色鮮やかな和彫り模様。それを纏った男は、まるで人間のようではなかった。杉元を上に乗せたまま、男は乱れた髪を視界から振り払った。目元は酒で赤く染まり、口元は血の紅が塗られている。

「はは……助平なうえに早漏な男だなア」

気づけば杉元の下には、下界を引っ掻き回しに来た天女か、男を誑かし貪り食う妖怪か、どちらにせよ男の性を狂わせてしまう絶大な色香があった。そろりと男の指が魅せつけるように己の刺青の上をなぞる。ごくりと生唾を飲む音が聞こえたが、それが誰なのかわからないほど、室内の全てが男に集中していた。

「おまえ、は、」
「顔を殴るなんて、お前さンたら酷エことしやがる」

二十五人目だと言われるみょうじなまえの体には、確かに”和彫り”の刺青があった。

話をしようと、暴力に怯えた灯台夫婦に酒のせいだと言い訳をした月島が、男を座らせ傷の手当をする。手当の最中に擽ったいと子供のようにくすくす笑う男に、子供のような無垢さなどなかった。
煙草をくれないかという男の申し出に、鯉登が一本差し出すと、男は仕方なさそうに肩を竦めそれを咥えた。

「傷に障るだろう」
「気に入りの煙管はウイルクにあげちまったからなア」

ウイルク、はっきりと言われたその名で、今みょうじなまえが二十五人目だと確定した。が、刺青人皮ではない。和彫りの刺青は見事な紋様だが、金塊のヒントにはならない。だが、残ったいくつかの違和感が焦燥を誘う。

「あんたが、二十五人目の囚人なのか?」
「さアな」
「でもその刺青は今までのものと違う。どういうことだ」
「どうだろうなア」
「その刺青に何か隠されてるのか?のっぺら坊とはどういう関係だ?」
「さてねエ」
「てめぇっ!ふざけやがって、今すぐ殺してその皮剥いてもいいんだぞ!!」

「へエ、じゃア全身ひン剥いて確かめてみるかイ?」

可愛がってやるよ。そうちろりと舌を出した男が煽っているのはわかっていた。くすくすと言葉遊びをするように楽しそうに肩を揺らして笑い、こてりと首を傾げたみょうじなまえの髪が白いうなじに垂れる。わざとこちらを苛つかせていることはわかっていた。こいつは自分の魅せ方をわかった上で────それが、良くなかった。
二度目の灯台夫婦の悲鳴が上がった。
酒とは、かくに恐ろしいものだ、とだけ言っておく。