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ALBATROSS

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よちよちあるいてとおくまで

微グロ注意


 駐屯地の中は程々に賑わいがある。誰とてむっつり黙り任務を遂行するわけではなく、時に語らい時に笑い時に涙し同じ釜の飯を食べ絆を持ち生存へ歩む。それは大変良いことであり、賑わいは悪くないものである。しかし、同時に限度というものがあるのも事実なのだ。

「騒ぎすぎじゃない?」

 酒保の前でぎゃあぎゃあげらげらと汚い笑い声が飛び交っている。そのうちの一人、下士官の頭を握り宇佐美はにっこりと笑った。頭を掴まれた下士官は悲鳴をあげ、共に笑っていた者達も途端に口を閉じた。一瞬の静寂が訪れる。

「あんら〜、うさちゃんご機嫌ななめなの?」

 誰かはわかっているが、宇佐美は反射的にチッと舌打ちをした。頭を掴まれている下士官がビクリと反応する。ニヤニヤと愉悦の様子で笑う酒保の受付の男は宇佐美の天敵だ。

「あれぇ、みょうじ軍曹まだ生きてらしたんですかぁ?」
「残念!俺はあと二世紀は生きる予定で〜す」
「あはは面白〜い、今すぐ僕が殺してあげますよ!」
「おい俺は上官だぞ宇佐美ちゃん?」

 チィッ。先程よりも少し強い勢いの舌打ちが出た。離してやれ、と手を振られ仕方なく下士官の頭を離すと、下士官は宇佐美に一礼して去っていく。他の者は宇佐美がみょうじと笑みの裏で威嚇し合っていたときに逃げ出したらしい。あとでチクッて鍛え直してやろう。
 何が上官だ、今や酒保の席に座ることくらいしか出来ないくせに。
 同期であったみょうじは先にひょいひょいと調子良く軍曹まで上がり、二〇三高地での戦いで日常に影響するほどの怪我を負ったというのに、本部に気に入られこうして酒保委員として第七師団にいる。更に鶴見中尉じきじきに第七師団担当となったらしい噂もあるのだ。戦場で黙って死ねばよかったものを、憎い。感情を隠すことなく宇佐美は嗤う。

「なにをそんなにご機嫌ななめなのよ、網走?やっぱり網走が嫌なの?それとも網走?」
「わかってるじゃないですか、みょうじ軍曹。性格悪ぅい」
「ははは相変わらずうさちゃん変態だな!網走は変態ばっかりらしいからピッタリだね!」

 チイッ。最大に強い舌打ちが出た。しかしみょうじはそれを咎めることなく、むしろ煽るように舌先でチッチッチッチッと小さな舌打ちを繰り返す。

「耳障りですやめていただけますか」
「小鳥さんの囀りが耳障りなわけねえだろう?」
「ははは頭おかしい」
「はははお前に言われたくねえ」

 殺伐とした雰囲気で和やかに会話を交わす。笑みを浮かべ笑い声をあげるがお互いに目は笑っていなかった。
 網走監獄の看守として潜入を命じられたのは宇佐美だった。敬愛する鶴見中尉から離れたくない一心で抵抗したが、本人から頼まれてしまっては仕方がない。むしろ、本人から頼まれたという事実を胸に宇佐美は歓喜し網走監獄へ行かなければ。しかし、離れたくない。宇佐美が網走監獄でのっぺら坊に関する情報を抜き取る間にも多くのライバルたちに先を越されてしまう。宇佐美は苛ついていた。その苛付きは、目の前の男には一生わからない高尚なものだ。

「酒保に来たんなら何か買っていこうな?」
「ならみょうじ軍曹の足を買います、いくらですか?」
「残念ながら俺の足は輸入しなきゃなんねえんでな、二〇三高地まで仕入れ交渉に行ってくれるかな宇佐美上等兵?」
「僕は網走に行かなければならないので尾形にでも頼んでください」
「オッケーならそうしよう、ついでに花沢少尉の遺体も輸入しなきゃな」
「何言ってるんですか花沢元少尉のご遺体はとっくの昔に輸入済みですよ」
「そうだったか?いや記憶がな」
「記憶がないんですか?」
「いやないのは足なんだけど」

 アハ、アハハ、アハハハハ。お互い棒読みで感情が何一つこもっていない笑い声をあげる。二人のその不気味な光景と不気味な会話に、酒保へ何かを買いに来た一等卒が入口で静かに戸を閉め引き返した。

「両足が無いのは不便ですか?手も一緒にもいであげましょうか?」
「有坂閣下の義足が優秀でな!うふふうさちゃんは愛情表現が歪なのね、可哀想」
「殺す」
「だから俺は上官」

 ダン、とカウンターの上に重量のある足が乗せられる。わざわざ裾が捲られ、造られた足が晒された。

「どうして捲っているんですか?性癖なんですか?」
「暑いからね〜」

 窓の外には雪が降り積もっているが、みょうじは感覚がおかしいらしい。ついでに頭もおかしい奴だ。そのまま凍死しろ。宇佐美は隠すことなく口に出した。

「口に出てるぞ上等兵」
「上官に隠し事をするなと教えられましたので」
「心の中は隠しといていいんだよ。わざとか」
「もちろんわざとですみょうじ軍曹」
「こころの中は隠しておこうね」

 お子様に話しかけるような口調のみょうじに殺意のあまり銃口を向ける。しかしみょうじは反応することなくニヤニヤと笑ったままだ。むしろ、撃ってみろとさえ言う目をしている。
 こういうところが、心底殺意を湧かせるのだ。
 二〇三高地での激戦、塹壕で手投げ弾の爆発に巻き込まれ空を飛ぶみょうじの姿を見た。同期で入り同じ釜の飯を食い、上官に延々と走らされ共に生き残ってきたみょうじの鮮血は穢れた戦場で何よりも美しかった。その美しさの代償が醜い傷痕だ。火薬の火傷の痕は引き攣り、ぼこぼこと皮膚が膨れたまま義足の下から臍の下あたりまで繋がっている。
 銃をカウンターに置き、義足の片足の釘を回して取り外すと、太股の中間から下は消え綺麗に包帯が巻かれた歪な切り口がある。捲られていない下袴の中に手を入れ、手触りの悪い傷痕に爪を立ててなぞっていく。

「痛みますか」
「爪を立てられちゃ痛むよなあ」
「治りますか」
「足も皮膚も戻ってこねえよ」
「ふうん」

 爪を立てた部分を今度はいたわるように指先で、繊細な手つきで触れる。手触りは悪いが、宇佐美は存外この感触を気に入っている。

「すけべえ、溜まってんなら女でも買いに行けよ」
「女の代わりにみょうじ軍曹の足を買いますよ、いくらですか?」
「残念ながら俺の足は輸入しなきゃなんねえんでな、二〇三高地まで仕入れ交渉に行ってくれるかな宇佐美上等兵?」
「僕は網走に行かなければならないので尾形にでも頼んでください」
「そうかい、なら尾形上等兵に頼んで痛む俺の足に莫児比涅を打ってもらわねえとな」

 そう言われたとき、宇佐美はカッと瞼の裏で火薬が弾け強く爪を立てた。ガリ、皮膚を削りとる小さな悲鳴がする。痛むと言ったみょうじの表情に変化はない。宇佐美はみょうじの赤い皮膚と血がついた指をべろりと舐めた。

「僕以外に殺されるのは許さないと言ったでしょ」
「……そうだったか?いや記憶がな」
「記憶がないんですか?」
「いやないのは足なんだけど」

 アハ、アハハ、アハハハハ。片足の義足は外されカウンターにはみょうじの血がつき、しかし何事もなく感情のない声で笑い合う。数刻前よりも更に不気味な光景に、時間を置いて再度酒保へ何かを買いに来た一等卒が静かに戸を開け、中の様子を見るなりきっちりと閉めて退散していった。