ALBATROSS

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牢獄には君の名前が付いている

「なあそこのあんた、聞きたいことあんだけどさ」

隣の檻、看守に賄賂を渡して得たであろう煙管からぷかりと煙を飛ばし、監獄の中がまるで家かのように錯覚さえするほどにすっきりと馴染んでいる男に白石は話しかけた。

「……なにか」
「……い、いやあ、だからさ、その、ちょっと聞きたいことが……はは」

白石と同じほど、いや、白石よりも低い背丈のはずだが、監獄内の誰よりも大きく見えるのは、男の静かな瞳の中に宿る強い熱情のせいだろうか。白石は男に視線を向けられ、男色の気はないのにゾクリと心臓が疼いた。(こんな野郎初めてだ。)
ドクリドクリと心臓が鼓動し揺さぶられる感覚に、早いところ聞いて離れた方がいいとわかっていつつも足は勝手に男のすぐ近くまで動いていってしまう。魅了される恐怖か、既に虜となった服従感か。よく見ると男はまだ稚い顔立ちで、しかし煙管に口を付ける姿は壮年の男のようにも見える。
白石は危機感を覚えた。(こいつのそばに長くいちゃやられるな。)紙を取り出し、男の顔面を隠すように突きつける。

「おい、近エよ」
「シスター宮沢って知らねえ?」
「さア、どうだろうな」

ねっとりと舌が動く口調は聞いているだけで鼓膜を舐られるような心地だった。(花魁より恐ろしいかも……。)金を持っていたら、全てを黙って捧げてしまっていたかもしれない、そんな予感にひやりとした。
男はパシリと白石から絵の書かれた紙を奪う。光に透かすように上に掲げ、それを見上げる横顔から髪がさらりと垂れた。湯浴みだってたいして出来ないはずだが、この男は違うらしい。傷一つ、垢汚れも無い横顔に白石は魅入った。まるで暗い房の中でシスター宮沢の絵が輝いて見えたように、男の横顔は一枚の絵画のようにこの世のものとは思えないほど美しく映る。(おっかねえ、これで男かよ……。)この男ならば抱かれてもいい、そう思ってしまう心に頭を振って否定した。(俺は一途な男なんだ、そもそも衆道じゃねえ!)

「……コレ、誰が描いたんだ?」
「熊岸って野郎だ。贋作師でね」
「ほオ、どうりで……。お前、シスターに会ってどうするンだ?」
「どうってそりゃあ、……愛を伝えるのさ」
「愛?」

男はきゃらきゃらと童子のように笑った。その笑顔がズクリと白石の腹の中を掻き回す。無邪気な笑みの背景が監獄の中とは、酷く場違いだ。
男はぴらぴらと紙を遊ぶように振り、細い指先をぴんっと跳ねさせて宙に放る。白石は慌てて紙を掴み、綺麗に折りたたんで懐に戻した。愉快そうに目を細めて男は笑う。煙管から出た煙が、男の艶やかな色気を纏い怪しげな雰囲気を出した。

「愛のために脱獄をすンのか」
「……ああ、俺は愛に生きる男だからな!」
「脱獄するより、しっかり刑期満了して手に職つけて好イ女迎える方が、立派に愛に生きるように思えるけどなア」
「あ〜んダメダメ、そんなの俺の愛じゃねえもん」
「ほオ、世の中にゃ色ンな阿呆がいるもンだ」

感心したように言う男の瞳がきらりと光った。

「阿呆だって?なんだとぉう?」
「阿呆だろう、男はみいンな阿呆野郎だ。ンで女も阿呆だろう。愛で作られた家族なンざ阿呆の塊だ」
「つまり世の中みいんな阿呆ってか?」
「ご名答」

カンッ、煙管が鳴らされる。灰が落ちて綺麗に磨かれた床を汚した。(看守に怒られるだろ、巻き込まれるのはごめんだぜ!?)白石は焦るが、男は何事も無かったかのように煙管にまた煙草をつめて火をつける。新しく生まれた煙が焦る白石をせせら笑うように空気へ溶けた。監視しているはずの看守は動かない。(……こいつどれだけ賄賂積んでるんだ?)

「吸うかイ?」

格子越しに男が煙管を差し出してきた。白石は黙って受け取り口を付ける。しっとりと濡れた吸い口から吸った煙は甘美な味がした。ほろりと口の中で味わい、ふうっと吐き出す。
煙越しに胡座の男の瞳が星屑のようにぱらぱらと瞬くように見えた。

「……美味いな、今まで吸った中で一番美味い」
「その煙草を吸った野郎はみいンなそう言うのさ」
「あんたと関節で接吻を交わせるからじゃねえの?」
「ほオ、愛の王は言うことがちげエな」
「よせやい」

へへっと人中を擦り照れながら白石は男の目を盗み見る。ぱちり、瞳の中で金平糖が弾けたようだった。白石は目を丸くし、男をよく見ようと目を凝らす。
男は不思議そうにこてりと首をかしげた。合わせから除く鎖骨には赤い花弁がちらりと覗く。男の瞳よりも、ショックで白石はハッと口に手をやり男のそこを凝視した。

「なンだよその目は……鳴呼、これか」
「お前、まさか──」
「気にするもンじゃねエよ、じきに治る。キレイさっぱりな」
「だけどよ、ならその煙草は」
「俺はこれが無いとダメなンだ、立派な中毒でなア。
 ────お前は、こうなるなよ」

切なげに薄く笑んだ男は、この監獄でどう過ごしてきたのか。
それはその花弁が物語っており、白石はハナからこの男はそう生きてきたのだと察した。その妖しげな雰囲気もやけに美しい色気も納得がいく。
だが、それは、そんなのは哀しすぎる。

今まで幾度も各地の監獄に入ってきたが、こんな男を白石は見たことが無かった。

「なア、おい、お前、良イことを教えてやるよ。
 次は日本一の監獄へ行くンだ」
「……日本一?網走のこと?」
「さてなア。……そこでお前は地獄を見るンだ」
「地獄?ええっ、嫌だぁ」
「文句言うンじゃねエ、行け。そンで、地獄を見て、生きるンだよ」

脱獄する前日、白石は男にそう言われた。そのときは嫌だと思ったが、しかし、脱獄してから逃げる足が向かう方角は北だった。単なる偶然とは思えない、まるで呪いのような男の言葉だった。





「なあ辺見ちゃんみょうじって男知ってる?」
「みょうじ?もしかしてみょうじなまえのことですか?」
「有名なの?」
「人伝に聞いたことしかありませんが、確か一族を皆殺しにした極悪人だそうで。それも、フフッ、山崩しを起こしてみんな土砂の下に埋めたらしいですよ、ハァハァ、なんて素敵なんだ……」
「山崩しなんて起こせるの?天災じゃない?」
「それが故意的だったそうで──」

 みょうじなまえは、未来視が出来るんだとか。

愛の阿呆は己のことを言っていたのだと知ったのは、その後白石がシスター宮沢と会い失望感に苛まれたときだった。

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