ALBATROSS

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 民俗学の権威らしい輝石の国の研究者先生から、私の務めている研究所に連絡があったらしい。なんでも、先生の知り合いの研究者が人魚族の生態、それも蛸について研究をしているとかで、先生の友人だという所長経由で話が来た。とはいえ、私は単に蛸とヒトのダブルの人魚を妊娠しているだけなので、その話をそのまま純粋な蛸の人魚であるアズール先輩に持っていくと、アズール先輩はずいぶんと嫌そうな様子だった。なんでも、蛸の人魚はあまり数がいないらしい。そのため貴重な資料文献として扱われるのは良いものの、そもそも蛸という種類の人魚は差別対象になりやすいらしい。それもこれも、多くは珍しく見慣れないがゆえに、昔話でも悪役や化け物とされてきた過去の遺物である印象が強すぎて、蛸そのものが嫌われがちなんだとか。
「へえ、じゃあ私の子も嫌われる可能性が高いんですか? 信じられないですね、病気では毎回看護婦さんたちがわざわざ様子を見に来てちやほやされるくらい人気なのに」
「さあ、異例のことだからでしょうか。僕の子が可愛いというのは事実ですが」
「異例?」
「自然妊娠のことですよ。おそらくですが、その研究者とやら、あなたの自然妊娠についても調査してくるかと」
 暇では無いはずだが、検診の夜は必ず来てエコー写真や母子手帳を舐めるように見ていくアズール先輩は、今日も何度も見ているはずの手帳から目を離さないままそう言った。自然妊娠についての調査と言われても、パッと思いつくことはあまりない。着床率の話とか、胎児の成長についてとかだろうか。それなら私よりも医者に聞いて欲しい。私は、アズール先輩の言葉を借りるならば、ただ精莢とやらを打ち込まれただけだ。気づいたら妊娠していた。言い得て妙だし、というか、その犯罪行為を研究者に話したらまずいのでは。
「まずいでしょうね」
「どうするんですか」
「話すとは言っていません」
「でも貴重な文献資料を残すのは大切なことです」
「蛸の人魚については構いませんが、あなたのことは許可しませんよ。当たり前でしょう、数が少ないのだから、狙われることだってありえます。僕だって少なからず恨みを買っている自覚はある。それに、あなたのことについては、担当医が論文を発表するのでしょう?」
「そう言ってました」
「では情報はそちらを優先して選ばなければいけませんね」
 口止めとか取引とか不穏な言葉が聞こえてきたため、ここから先はオフレコにね、とお腹にわざとらしく話しかけると、アズール先輩は数回咳払いをしてから、いつもの胡散臭そうな笑みで「僕の得意分野です」と言った。胎教に悪いので、私の前ではやめて欲しい。





 料理教室で一緒だった獣人さんが、いつの間にか出産していた。まだほやほやの赤ちゃんを連れて教室に来ており、知らなかった私は目を丸くしすぎて赤ちゃんから変顔だと思われたようで、キャッキャと甘い蜂蜜ミルクのような笑顔を引き出した。ちょうどぐずっていたところだったようで、獣人さんからは子守りに向いていると言われた。獣人さんは向いていないと自己申告していた。褒められたのかどうかわからない。
 赤ちゃんをあやしながら、おしゃべりしながら、ときどきつまみながら、サラダとビーフなんたらガノフと、デザートにトマトゼリーを作った。赤ちゃんはとても大人しくすやすや寝ていたが、家での様子はまったく違うらしい。泣くわ暴れるわ、肉食動物の血を舐めていたと言う。とにかく大変で、父親は元気な証拠だと言うが普段家で面倒を見るのは彼女だ、産まれてくれたのは嬉しいし幸せだがノイローゼになりそう、と愚痴をこぼしていた。小さな耳がぱたぱたと動いて、大人の話を聞いているのかいないのかわからないが、確実にトマトゼリーを食べたがっているベビーカーのなかの赤ちゃんをじっと見る。こんなに可愛いのに、そんなにモンスターなのか。グリムとどちらが上だろう。
「うふふ、わかるわ、育児ってうつくしいものじゃないわよね」
「先生ぇ〜! 人生の先輩!」
「でも、旦那さん育児休暇は取らないの? アタシの主人はとるって、父親教室にも行ってくれています」
「付き合うことと結婚は違ったのよ!」
 つまり、家で四六時中一緒にいるのは厳しい、ということらしい。人間さんはわからなさそうにしていたが、獣人さんは以前肉食と草食の差というもの言っていたし、いわゆる価値観の違いと言うやつだろう。わからなくもない、と頷いていると話は私にも飛んできた。
「なまえさんは旦那さん人魚ですよね? 人魚は育児すごく大事にするし、いいですねえ」
「いや……そういうの聞いたことないですね」
 父親教室はどうかわからないが、アズール先輩の印象はとにかく守銭奴だ。育児のために休暇をとって売上を減らすなんてこと、しそうにない。というか、するわけが無いだろう。それに、一緒に住んでいるわけでもないからなあ。でも親権は取りたいと言っていたし、意外とその気はあるのかもしれない。一応『育児される予定ありますか?』とメッセージを送ってみると、夜に返事があった。
『もちろんありますよ。出産時期に合わせてリモートワーク出来るよう現在体制を整えています』
『え、育休取るんですか。じゃあ父親教室行きます?』
『取りますよ、なんのためにあると思っているんですか。既に予約してあります』
「えー……」
 私よりもやる気のようだ。なんなんだ人魚。





 朝起きたとき、なんとなく違和感があった。仕事中はどことなくもやもやして、夜になるとズキズキと痛み出す。胸が痛かった。胸というのは気持ち的なものではなく、物理的なもので、おっぱいが痛いという意味だ。触れてみると、なんとなく腫れているような気もするし、特にいつもと変わらない気もするが、痛みは夜間ずっとあって、ほんの少しのストレスが続き、イライラする翌朝を迎えた。検診の日ではなかったが、職場に午前遅れる旨を伝えてから念の為医者に行くと、医者は「張っちゃったンだね、痛かったでしょう」と言った。張っちゃった、というのは胸のことらしい。胸腺リンパがどうとか、乳腺がどうとか、身体は授乳準備をしていたらしい。
「授乳。……そういえば、人魚なのに授乳するんですか?」
「どうだろう、ぼくの知る限りの人魚は赤ちゃンのときから固形物を食べていた。ダブルの場合でも人魚寄りの方が多いから同様だったが、なまえさンの場合は人間寄りの子なのかも。ああ、でも自然妊娠だから”人間の体”として正常に機能している可能性もあるな」
「固形物……」
 医者は思考の海に沈んだのかぶつぶつといいながらカルテを書いたり、論文を見たりと忙しそうにしだし、見かねた看護婦さんからお茶をもらった。医者の話だと、普通は人魚の子を妊娠しても、授乳は必要ないから母乳を出すことはない、ってことだ。だが、私は身体が勝手に準備してしまい、痛い思いをしている。
 でも、赤ちゃんが飲まないのなら、無駄に血液を失うだけではないか。不毛だ。しかし痛いものは痛いし、定期的に出さないと固まって酷いことになる、という看護婦さんの恐ろしい発言に震えた私は、これから日々懸命におっぱいマッサージをすることになる。
 おっぱいマッサージという名前は、なんとなく思春期のような恥ずかしさを感じたりもするが、そんなことは言ってられない。これは痛みとの戦いなのだ。母は強し、とは言うが、妊娠中の経験を積めばそりゃあ強くなるわと納得した。





 エースに誘われて、トレイ先輩のパティスリーにお邪魔することになった。卒業して少ししてから、実家を改装して作られたトレイ先輩のお店はカフェも併設されており、見目の良いパティシエとお菓子で大人気だそうで、予約殺到の中コネで席をもぎ取ってくれたという。グリムは相変わらず忙しくしているらしく、エースとデュースと私の三人だけのお茶会だ。奮発して可愛いマタニティドレスを買ったら、アズール先輩から「お出かけですか?」と聞かれた。いちいち詮索が多いが、お金の出処は彼なので素直に「トレイ先輩のお店にお茶しに行くんです。エースとデュースと!」と言うと、「モストロラウンジには来たことが無いのに、トレイさんのところには行くんですね。どうぞ楽しんで」と返ってきた。嫌な言い方をする人だ。いや、蛸だ。
 当日、デュースは就職してすぐにローンで買ったマジホイに乗ってくる、と言っていたが、時間には私とエースだけが店にいた。現地集合、店の前。地元の小学生のような集合場所は、デュースのマジホイ鑑賞のためだったが、生憎の渋滞で遅刻だった。
 エースは私を見た途端、顔を引き攣らせ「マジだったんだ……」とつぶやいた。行っていたのはメッセージと電話のやりとりだけで、冗談だと思い込んで、信じたくなくて、デュースから送られた写真も見なかったらしい。意気地無し、とからかうとエースは泣きそうになって「別にお前が好きだったわけじゃねーけど、幸せになって欲しいって思ってたよ俺は! なんでお前が平気そうなの!? 俺の気持ちはどうなんの!?」と叫ぶように言う。面食らった私も、すぐに泣きそうになった。そこまで思ってくれていたなんて、感動してしまう。二人揃ってうるうると目に水分を溜め始めると、カランカランとベルが鳴って、トレイ先輩のお店の扉が開けられた。
「店の前で何してるんだ、早く入りなさい」
「「トレイせんぱい……」」
「泣いてるのか!? 何があったんだ?」
 苦笑したトレイ先輩が、まるで雑誌の一面のようなパティシエ姿で立っていた。なんておしゃれなんだ。そして、店内から香ってくる甘く美味しそうな匂いに、エースと私は涙なんぞどこへやら、目を輝かせた。現金なのだ、お互いに。





 驚いたことに、エースのもぎとった予約というのは予約の名前をしていない、定休日のサービスのことだった。トレイ先輩はわざわざ休日返上をして、私たちのためにケーキを作ってくれた。カフェスペースのソファ席で、私たちはマロンタルトどころか、なんでもない日のパーティーのように豪華なケーキの数々にぱくついた。幸せとはこのことだろう。
「うちのカフェは個室も無いから、ゆっくり出来ないだろう? 久々だからな、俺も話したかったんだ。モストロみたいにVIPルームでも作ればよかったよ」
「そしたら俺とリドル寮長が入り浸っちゃいますよ」
「大歓迎だよ。それに、なまえも子供を連れて来れるな」
 ニヤリと笑いかけられて、一瞬呼吸が止まった。なんというか、狙われたような気分になったのだ。恋愛? まさか。これは、ルーク先輩の視線と似ているもので、つまり恐怖心とも言える。ゴクリと生クリームを飲み込んでから、そういえばトレイ先輩には話していないと気づいた。なのに何故知っているのか、隣の席を見るとエースがやべっという顔をしていた。その太ももをつねる。
「イッ」
「言ってなくてすみません、トレイ先輩。あんまり心の整理が着いてなかったというか、難しかったんです。マブに言うのも遅くなったし、色々あって。ちなみにトレイ先輩は誰から聞いたんですか?」
「エースとデュースだよ。夜中に突然電話があって驚いたんだ、『なまえが妊娠したって! 子供だって! しかも人魚! アズール先輩の、クズでノロマで陰険クソタコ野郎の子供だって!』と騒ぐものだから厄介ないたずら電話かとさえ思ったんだ。そのあと、デュースから写真が送られてきたときは……」
「……ときは?」
 トレイ先輩は落ち着こうとするように紅茶を一口飲んだ。ふう、と息を吐いて、長い足を組む。自分側に出された足を見て、エースが対抗するように足を組んだが、どう見てもトレイ先輩のほうが長かった。
「……いつの間にか、俺を越されたような気分だったよ。感慨深かったさ、可愛がっていたなまえがもうお母さんなんてな」
「んふっ、なんすかその言い方。トレイ先輩マジで父親みたいっすよ」
「ははは、そうか? でもなあ、もし俺が本当になまえの父だったら、絶対にあの男とは結婚させなかった」
 にっこりと微笑まれて、喉からひゅっと息が出た。いつまでも歯磨きチェックするお父さんは嫌です、なんて冗談を言えるような雰囲気ではなかった。エースに助けを求めようとして、こっちもダメだと悟った。目が笑ってなかったし目の奥はひたすら冷たく爛々としていて、ありていにいえば滅茶苦茶怖かった。デュース早く来て欲しい。

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