ALBATROSS

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「──で、──なので、」
「────は、──まさか──」
 アズール先輩との話し合いは平行線だった。そもそも人魚と人間の文化が違い、ツイステッドワンダーランドと地球の文化が違い、珊瑚の海と日本の文化が違う。私の主張は”お金だけもらって親権は私が持つ”というもので、アズール先輩の主張は”今までのお金とともに未来の、私と子供に関する金銭を全面的に負担すると共に親権は共同で持つ”というものだった。だが籍を入れるのかと聞けば、それは私に判断を委ねるという。人魚には激しい命の競争社会であるため婚姻による籍の移動という制度がそもそも無く、結婚というものは海に比べて家族が欠けることの少ない陸ならではの考え方だという。私はツイステッドワンダーランドの現代社会において籍の重要性はあまり感じないため、籍云々をを考えるのは後回しにした。しかし、共同親権となると話は別で、この先ことある毎にアズール先輩の意見が入ってくることになる。もちろん偏った教育は良くないと思う、が、上手くやっていける自信が無い。
「では、一人でならば上手く子育てをする自信があると? 水槽に入れようとしたのに?」
「そっ、それは、知らなかっただけで、」
「知らなかっただけで済むとでも。あなたは今、この先無意識に子供に差別をすると自ら申告した。看過することは出来ません」
 全くもってその通りだ。唇を噛んで、圧倒的に足りない思考を回す。二杯目のレモンソーダを飲んで、氷を口の中で溶かす。金銭の面は本当に問題がなかったものの、権利でこんなに揉めるなんて思わなかった。それも私が無知なせいだ。資格をとったって、それなりに働いていたって、種族や国、地域の違いが数年で学んだ歴史上でしか入っていないから、全てを知っているわけではないから。
「う、海に、行くって手段もあります。そうしたらそっちの社会で私ひとりでも子供は人魚として常識を学べます。それに、人魚は海で育てるのが一番だって、」
「そうですね、ですがそれは人魚の話です。あなたは人間で、海では生きていくのは難しい。わかっていますか、目を離したら一瞬で稚魚はサメの腹の中だ」
「安全な地域とか、」
「陸とは違います。そんな場所があれば全ての人魚が生きている」
 だからヨガ教室で一緒の彼女は私と同じように陸にいたのか。結局のところ、私に子供を守る術などなにひとつ無く、アズール先輩の言う通りにするしかないのかもしれない。でも、そうしたら、本当に私の役目が────わたしの、役目?
「なまえさん? どうかしましたか」
「あの、私の役目ってなんですか? 子供を産むことですか? あれ、そういえばなんで子供を産むんだっけ? 妊娠したから? 私はなんで妊娠してるんですか?」
 処女なのに。





 私の言葉を聞いた途端、アズール先輩の顔はクスリでもやったかのようにガンギマリになり、瞳孔が開き、まさに蛸の瞳だった。そして、蕩けるようにうっとりと笑む。
「卒業パーティーの夜、あなたは酔っていた。深夜にオンボロ寮へ訪れた僕を、可愛らしい笑顔で出迎えてしまうくらいにはね」
 血の気が引いた。全く記憶に無いことに、もしそうならば全て私の勘違いということになる。もちろんアズール先輩が悪いことに変わりないと思うものの、私も私で問題がある。恐る恐る口を開いた。
「……私は、泥酔して、先輩とソウイウことを?」
「いいえ。泥酔した女性を襲うような卑怯な真似をする気はありませんでした。ただ、仕込みはした」
「仕込……そういうことじゃないですか!」
「違います。なまえさん、蛸の繁殖方法をご存知ですか? 蛸は精莢というカプセルのようなものを入れることによって受精させます。ですが、魚と人魚は違う。蛸の人魚の繁殖率は低く、人魚同士でさえ数が少ないうえに、人と蛸の人魚が繁殖に成功した例はたったの二回だけです。さらにそのどちらも長い治療の末の人工授精。……成功するとは思っていませんでした。ただ、あなたの腹に仕込んだ最初の男であれるならば良かった」
「…………は」
「あなたは僕がどんなにアピールしてもなびかなかった。僕だけじゃない、NRCの全ての男にだ。それでいて色んな男をたぶらかして、虜にさせた。罪深きヴィランの女、そんな女性に恋焦がれないほうがおかしい。あなたが手に入るのならなんでもよかった、けれどあなたはそんな安い女ではなかった。僕はあの夜、負け確定の賭けをして、優越感を一生抱いて生きるのだと思っていた。──でも、あなたは孕んだ。僕の子です。人魚の子だ。人と蛸の人魚においては世界初と言える自然妊娠で。何億分の一の奇跡だ。手放すわけにはいきません。僕は神を信じていませんが、運命の思し召しというものは存在した」
 あまりの内容に、いっそ気絶して、全て忘れた方が幸せなんじゃないかと思うくらい衝撃を受けた。今すぐ全てを放棄して逃げ出したくなった。しかしこういうときに限って意識はハッキリとしていて、乾いた舌をどうにか動かす。
「ぁ、アズール先輩……だいぶ、かなり、気持ち悪いっていう自覚ありますか?」
「あなたは僕のものだ」
「ええ……ちがいます……」
 つまり、先輩はいわゆる犯罪者というわけだ。レイプじゃないけど、なんかそういう類の犯罪。托卵とはまた違うけど、おそらく種族的なタブーに引っかかっているはずだ。過去の自分の身に起きて、現在まで影響しているおぞましい真実に、鳥肌が止まらない。だが、打算的な考えが頭を過る。ここで通報して事情を話してしまうと問題があるのだ。もらえるお金が今アズール先輩から直で搾り取る額からは多少減ることと、お腹の子の父親が犯罪者になってしまうことだ。後者は、この子の将来を考えるとかなり嫌だ。お腹に手を当てると、ぽこりと返事があった。起きたようだ。そのたった一回の振動に、今までにないほどの勇気をもらった。
「アズール先輩、契約しましょう」





 妊娠しました、今15ヶ月くらいです。そう報告したとき、電話口からはどんがらがっしゃんとまるで漫画のような物音が聞こえてきた。それも二回だ。妊娠しました、どんがらがっしゃん。今15ヶ月くらいです、どんがらがっしゃ『なんですってぇ!?15ヵ月!? あなた何を腹に入れたんです!?』
「人魚です」
『人魚ォ!?』
 久々に聞いた学園長の声は、ひっくり返ってイントネーションがおかしなことになっていた。だいたい私のせいで申し訳ない。学園長はこちらにも聞こえるほど大きな深呼吸を数回した。
『どういうことですか、いちから、ちゃんと、すべて、いいですか全てですよ、すべてまるっとお話なさい』
 とても真剣な声だったので、私の背筋は自然と伸びてお腹の皮膚がぱりっと引き攣った。言われた通り最初から話す。体調が悪かったこと、それが実は妊娠していたこと、後ろめたさから誰にも話せなかったこと、学園長にも早期に報告せず申し訳なかったこと、仕事は順調なこと、ヨガスクールでお友達ができたこと、水泳が初めて楽しいこと、とにかく水が飲みたくなること、母になる不安、この前アズール先輩と話して契約を交わしたこと。学園長はズビ、ズビ、と鼻水をすすりながら相槌を打って真剣に聞いてくれた。
『わかりました。大変でしたね、なまえさん、よく頑張りました』
「……はい、私がんばりました」
『ですがアーシェングロットくんとの契約は看過出来ませんよ、どうして一人で向かったんです』
「アズール先輩のユニーク魔法があるから」
『あなたわかってます!? それは敵の力ですよ!?』
「もう敵じゃないですよ」
『どういうことです?』
「結婚することにしました。なので学園長、証人になってください」
 どんがらがっしゃん。





 週に一度の検診で、新しい保険証を提出した。名字が変わったから、カルテとかも全部書き換えるらしい。でもお腹の子は相変わらずなまえさんの赤ちゃんと呼ばれていて、私の子だと思える。医者は結婚報告にたいそう驚いていろいろと心配してくれていたが、最後はニコニコで髭を揺らして祝福してくれた。
「体重が少し増えたんです。痩せた方がいいですか?」
「ううン、それ君の体重じゃなくて赤ちゃンの体重だから大丈夫だよ。でも負担はあるでしょう、あンまり無理して運動したらいけないよ」
 詳しく聞くと、陸の重力下では胎児にも少し影響があるらしい。羊水の中とはいえ、水中の無重力状態とは違うらしい。まあ水の中は水の中で水圧とかがあるらしいのだが、それ以上は専門的すぎてよくわからなかった。なので、ヨガスクールはやめてスイミングだけ続けることにした。ヨガの先生はとても残念そうにしていたが、お腹の子が無事に産まれることを祈ってくれたし、お友達ももうすぐ出産だそうでお互いに健闘を祈ってお別れした。スイミングのほうではお友達は出来ないが、少し前まではマタニティブルーというか、複雑な心境だったものの今は吹っ切れて素直に楽しめている。水の中には自分しかいないのよ、という先生の言葉が効いたとも思える。
 でも、泳いだあとは以前よりも疲れやすくなった気がする。体が重くなったぶん、体力もよく使うのだろう。ほとんどの場合、泳いだ日の夕飯を作るのが面倒くさくなってきてしまい、外食やデリバリーを使うようになった。値段を気にせず好き放題食べられるのは良い事だ。ただ、少し問題というか、厄介なこともある。高確率で、頼んでないのにモストロラウンジから勝手にデリバリーされることだ。それも妊婦仕様らしく色々と計算されたような内容ばかり。でも、美味しいけどジャンクフードが食べたいときもある。しかし、届けてくれるのはだいたいフロイド先輩だから、下手に断ることも出来ない。ジェイド先輩だったら意思を伝えると、持ってきたぶんはペロリと平らげて証拠隠滅もしてくれるし、そのうえで大量のジャンクフードを買ってきてくれて、一緒に食べたりも出来る。でもジェイド先輩のほうが忙しいらしい。アズール先輩は論外だ。あなたのことを考えて僕がきっちりと計算をしてモストロラウンジが誇る食材を使用した料理が気に入らないと言うのですか? はい、そうです。
「なんですって? じゃあ、あなたは、脂質と、糖だらけの、ジャンクフードが、良いと言うんですか」
「そういう日もあります」
「ハッ……信じられない。体重が増えたと言っていたでしょう、そんな食生活だから、」
「それは赤ちゃんの体重だそうですよ!アズール先輩最低!」
 つまり、喧嘩だ。論外だ。アズール先輩の白んだ鼻先でドアを閉めてから、デリバリーピザに電話した。





 大事な話がある、覚悟のある者のみ直接会って話をしよう。
 マブやいつメンたちとのSNSグループメッセージにそう書いて送ると、いつだって腹の据わっているデュースと、何事もまず受け入れる姿勢を見せる柔軟なジャックだけが会うと返事をくれた。エースは「なんか怖いからデュースで様子見するわ」、エペルは「ユウが自覚あるときってやばいからデュースクンに任せる」、セベクは私如きの用事では若様から離れないそうだ。グリムはというと、夢の大魔法士への道を進むべく毎日努力しており、私の生死に関わらないのなら後で聞くんだゾ、と言われてしまった。出産は生死に関わるかもしれないが、今回の報告のメインはそちらではないため、まあいいか、とグリムにも後日連絡にした。そうして週末、デュースとジャックと、かなり久しぶりに会うことになった。最初は、薔薇の国の中央駅で待ち合わせにしようと思っていたが、ヤツらは酒が飲みたいというので、我が家に集まり、ついでに泊めるコースらしい。これは、私が知らないうちに決まっていた。
 さて来たる当日、私は玄関で手土産にケーキとお酒を持った二人を出迎えた。二人は、インターホンのカメラでは普通の様子だったが、ドアを開けた私の姿を見た途端、カチンと固まって動かなくなってしまった。デュースはあんぐりと口が開き、ジャックの耳が伏せられた。ジャックの震える手が、私を指さした。
「だ、大事な話、って……その腹……」
「これもそうだけど、その前に結婚したんだ。色々愚痴るつもりで呼んだから、よろしくね。さ、あがって」
「結婚!? む、無理だ! 人妻の家に上がるなんて不貞じゃないか!」
「……ああ、そうだな──……いや、落ち着けデュース、それは違うんじゃねえか」
 デュースは、顔を赤くしたり、青くしたり、まるで下手くそな薔薇塗りのようだったが、ジャックの冷静な訂正に一旦落ち着いて、部屋に上がってくれた。ケーキはホールのプリンタルトで、私は大喜びで早速開けておやつに食べることにした。紅茶を入れて、まずお茶の準備が完了した。さて、話は長くなりますが、と前置きをして、何故か正座している二人に向かって口を開いた。
 後日、エースとエペルとセベクから鬼電が来たし、グリムは直接来て「洗脳されてるんだゾ!!」と泣いた。

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