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ALBATROSS

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 朝起きると、エースからメッセージが来ていた。まるまるコピペの文章で、同窓会のお知らせと題された内容は去年にも送られてきた覚えがある。毎年年度を変えるだけの雛形の文章のあとに、エース本人から「今年はエペルのリーグ昇進も兼ねてパーティーしようぜ!」と明るいニュースがあった。すぐにニュースアプリを開き検索したが、まだ掲載されておらず、決まってまもない事らしい。エペルは今や世間を魅了するマジフト選手の一人である。嬉しくなって、エースに返信する前にエペルに祝いのメッセージを送ってしまった。それからエースにも「もち!」と猫が踊るスタンプを送って、アラームが鳴りようやく朝の支度を始めた。
 昼休みになってからエースから返信があった。「パートナー連れてきてもいいらしいよ、いればだけど(笑)」と書かれていた。会場はいつも通り、NRC内の元祖モストロラウンジである。かつての先輩方の「彼女がクルーウェルに恋した!」という恒例を踏襲する愚かな元生徒が果たしてうちの学年にいるだろうか。元担任の恐ろしさは理解している、きっと誰も連れて来やしない。賑やかさを思い出してくすくすと小さく笑うと、少し腹部がひきつる感覚がした。ハッとした。
 卒業してからもたびたび都合が合えば遊んでいる友人とはいい関係だが、妊娠を、これを知られたらどうなるだろうか。全く知らない相手の子供を孕みました、なんて言えるはずがない。エースたちになんて言われるかも想像がつかないし、きっと噂は広まって、良いことにはならない。突然背筋がキュッとなって、怖くなって不安に呑み込まれそうになった。
 中年のビール腹のようにぽこりと出た腹部はどんな格好をしても隠せない。魔法薬を使えば優秀な魔法士となったみんなには暴かれてしまう。特に、先生たちには確実にバレる。ああ、そういえば学園長にもまだ何も言っていない。……ダメだ、行けない。熱くなってきた目頭を押さえて、エースに返信をした。「ごめん、同窓会には行けません。いま、シンガポールにいます。この国を南北に縦断する地下鉄を私は作っています。……本当は、あの頃が恋しいけれど、でも今はもう少しだけ、知らないふりをします。私の作るこの地下鉄も、きっといつか誰かの青春を乗せるから。」すぐに既読がついた。「バカなの?」学生時代と変わらないやりとりにまた笑うと、腹の子も笑ったかのように、腹の中でとぷとぷと揺れた感覚がして、なんだかみじめな気持ちになった。





 食欲が妊娠する前の頃に戻ってきた、と、思う。何を食べても気持ち悪くならないし、むしろどんどん入るというか、入りすぎるというか。三日分のカレーを一食で平らげてしまい呆然とした。水の消費量は変わらず、食事もこのままだとエンゲル係数がとんでもないことになってしまう。カロリーも危ない。これはいけない、さまざまな危機感と不安で焦った私はまた医者に相談した。最近、事ある毎に相談をしている。そうしてだんだんお母さんになるのよ、と看護婦さんに言われたが、そういう自覚はあまりない。母になるとは日々自分の体が変わっていく恐怖と戦うことなのだろうか。母は強し、とはよく言ったものだ。
「毎日三食、食事の前に一錠飲ンでね」
 医者は薬を処方した。いわゆる魔力補給薬らしい。それを飲むと食事量は普段どころか、半量で済むようになった。つわり期間が長かったため胃袋が縮んだらしい。じゃあこの間までのぺろっと食べていたあの量はどこに行っていたのか、といえばそれは魔力に変換されてすべて胎児が飲み込んでいたという。食事から摂取出来る魔力量は少ないため、胎児が魔力持ちの場合にはよく聞く症例なんだとか。病院の帰り道に検索してみると、魔力摂取におすすめのレシピがずらーっと並んでいた。今夜の夕飯はその中から選ぶことにした。魔力が小指の爪ほどもない私が魔力を多量に摂取する機会なんて二度とないだろう。摂取したところで使えもしないのに、不毛なことだ。
 胎児が魔力を多く吸収するようになると、いよいよ身体の形成が始まったといえるらしい。詳しい説明には私の知識が追いつかなかったが、要は魔力に耐えられる体が必要で、そのために魔力を消費するからそのぶん摂取するということらしい。毒を以て毒を制すようなものだろうか。よくわからないが、腹の子は毎日頑張っているようだ。
 もらったエコー写真はカラーでも白黒でも変わらず臓器らしき影がふよふよとしているだけで、それも教えてもらわなければわからないレベルで、ただの汚い写真に見える。私もかつてはそうだったのだろうか。もっとちゃんとお母さんに聞いて、アルバムとか色々見ておけばよかったなと思いながら、写真を日付とともに母子手帳に貼った。





 ヨガ教室のコースが変わった。ついに初期コースをクリアして、ランクアップしたのだ。身体が柔らかくなり、少し軽くなった気がする。普段使わない筋肉でも増えると身体は楽になるらしい。呼吸を中心に、ゆっくりとかたまった肉と関節をほぐしていく程度だった初級から、腰やら骨盤やらといったところを意識して、柔軟さと支える筋力を維持する内容に変わった。ランクアップするのは嬉しくて、出来ることが増えたという達成感がある。
 そしてマタニティスイミングもはじまった。水中で軽く体を動かす程度だが、これがまた楽しいのだ。身体の重さを全く感じないし、水中なら妊娠していることも忘れて遊べる。ツイステッドワンダーランドに来てから、楽しんで水に触れたのは初めてかもしれない。なにせ、入学早々に水中で人魚に追いかけられた悪夢がある。のちのち先輩方には対価ありきで助けてもらったものの、あの恐怖を払拭することは出来ない。今でもたまに、論文の締切が近いときとかは夢に出てくるのだ。しかし誰かに追われる心配も無ければ、常にコーチが傍で見ていてくれるスイミングスクールはなんと心地よいことか。普段締めつけられていたものからの開放感を味わえる。私って意外と水が好きだったんだなあと思って、その気づきが嬉しくて、妊婦仲間のお友達に話したら彼女はわかったような顔で頷いた。
「妊婦ってね、人魚の子がお腹にいると、特にそう思うらしいわよ。そのうえできっとなまえとも相性がいいのでしょうね」
「……うん」
 人魚の子か。確かに、中の子が理由だと言われてみれば納得するところがある。だが、せっかく味わっていた楽しさを横取りされたような気分になってしまった。出産を終えればスイミングも全く楽しくなくなってしまうのだろうか。明るい気持ちがだんだんと萎えて、水の中を意識すると、身体は楽なのに気持ちは鉛のように重くなっていく。
 お腹の子が悪いわけでもないし、変にストレスを感じたくは無いものの、一度鬱屈とした気分になるとなかなか持ち上がることが出来ない。これは噂に聞くマタニティブルーかもしれない。せめて、この人魚の子がかつて後輩を追い回し締め上げていたあの人たちのようにならないことを祈るばかりだ。





 行けなかった同窓会の日に、週に一度の検診を入れた。行きたかったなあと思っていたぶん少し憂鬱で、なんとなくお腹もいつもより重たくて、よたよたとした足取りで向かった検診で今日映された映像は、憂鬱に複雑を乗せるものだった。
「うン、しっかり成長しているね。来週にはお顔が見えるよ。これは手ね」
「……手」
 揺れ動く手らしき影は、手だと思えばぎゅっと握りこぶしになっているそれにも見えるし、そうでなければ小さな小石のようにも見える。これも来週にははっきりとわかる手の形になっているらしい。命の成長とはまことに神秘に溢れている。人魚だからここから水かきが出来るのだろうか。水かきは柔らかいらしいから、扱いが大変だ。赤ちゃんは特に柔らかそうだし、ヨガの先生曰く硬い骨盤だと潰れてしまうらしいし、それくらい繊細でふわふわなものを本当に私が産むのだろうか。もやもやした気持ちは募っていく。不安、と一言でまとめられてしまうものだが、一言の中の質量と密度は大きい。
「あと、これが足になりそうなところ。よく蹴られるだろうから、覚悟しててね」
「蹴られる……そんなにですか。痛いんですか」
「それは人それぞれかなあ。同種族の胎児の成長行動例の論文読ンでおくかい?」
 先生の言葉に首を傾げた。同種族、というのは、つまり、人魚の。
「種族が、わかるんですか?」
「アッハッハ、そりゃもちろン! 君だってわかっていただろう? お母さンなンだから」
 呼吸が止まった。じわじわと嫌な汗が背中から、額から、鼻のてっぺんから。ここは病院で、相手は先生で、お腹には赤ちゃんがいて、何も怖くないはずなのに突然不安定な感情に襲われる。そりゃもちろん。お母さんなんだから。お母さんじゃないけれど、お母さんになってしまうんだから、知っておくべきだ。しかしこの先に足を踏み入れてしまうと私は今後どうやって過ごせばいいのかわからなくなる。だって処女だって言ってない。魔法史上であっても処女懐胎は幻だ。でも、知らないと育てられない。
「……あの、この前友人から聞いて、サメは人魚でも胎生と卵生があるって。だからはっきり聞きたいんですが、私のお腹の子はどういった──」
 先生は朗らかに答えてくれた。きっと、腹の子が無事に産まれることを一番待望してくれているのはこの人だ。それだけで救われた気がした。人魚のことを聞けてよかったとほっとする半面、聞かなければよかったという後悔があった。行きよりも重くなったと感じる足でバスに乗り、家に帰った。もう何年ぶりになるだろうか。電話番号が変わっていないといいけど。積まれたダンボールのミネラルウォーターは出産までにどれくらい増えるだろうか。それも含めて、慰謝料を計算しないといけない。





 そういえば、NRCに来ていた人魚たちはみんな変身薬を飲んで生活していたが、人魚として生まれてきてしまうと水の中で育てないといけないのかな。人魚用の水槽も検討したほうがいいのか。小春日和の休日に、散歩がてら駅前のペットショップを覗くことにした。しかし。ツイステッドワンダーランドのペットは普通の見た目も動物も魔力を持っていたりと、ほとんどが魔法生物に分類される。そのため飼育用のゲージも色々と工夫されていて、そのぶんお値段も割高だ。魚が泳ぐ水槽をじっと検分してみるものの、そもそも赤ちゃんがどれくらいの大きさなのかもわかっていない私は無駄足だったと気づいてただ魚鑑賞に来ただけになってしまった。
「や、オネーサンお魚ちゃん飼う感じですか? この子なんか今流行ってて〜」
「いえ、赤ちゃん用の水槽を見に来たんですけど、そういえばサイズわからないなって」
「…………エット、ォ……赤ちゃん?」
 流行りの子、という赤と白のまだら模様の金魚のような見た目でマグロのような大きさの魚と同じ髪色をしたお兄さんが引き攣った表情で私を見た。わかりやすいようにお腹を撫でてみせると、お兄さんの顔はさらに歪んでいく。ぶつぶつと何か言っているようだが聞き取れず、首を傾げるとお兄さんはすごく言いにくそうに私を伺った。
「あ、赤ちゃんっていうのはぁ、お魚ちゃん、ですよね? その子じゃなくって」
「この子ですよ。お魚ちゃん」
「犯罪だ!!」
「え」
 お兄さんはぶわっと両目から涙を飛び散らして、ポケットから端末を取り出すと電話をかけだした。がっしりと私の手を掴み、電話口の話を聞いているとなんと私が通報されているらしい。一体どうして。私が目を白黒させている間に一台の車がお店の前に来て、警察官二人が入ってきて泣くお兄さんと、お兄さんに掴まれている私を見た。私が口を挟むまでもなくお兄さんは「稚魚虐待です! まだ産まれてないのに!」とギャン泣きしている。警察官は神妙な表情で話を聞くと、私を見て「事実ですか?」と言う。子供用の水槽を見繕いに来たのは事実なので肯定したものの、それは子供を育てる環境において考えのひとつで来たものです、と説明すると、警察官はまた神妙な顔で頷いた。
「ご主人は?」
「いません」
「……シングルで?」
「はい」
「お腹の子の、父親は?」
「…………呼ばないとダメですか?」
「そうですね、プライバシーな質問になりますが、なにか、結婚しなかった、呼びたくない理由が? 暴力を?」
「そういうわけでは……ううん……迷惑はなるべくかけたくないんですが……まあいっか」
 子供に関する面会相談の予定は明日だったものの、前日によくわからない理由で警察を介して顔を合わせるなんて、なんだかなあ。