ALBATROSS

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「おいおい、兄弟正気か?」
「ああ、正気さ」

 フレッドとそんなやりとりをして、三学年に上がったジョージは学期最初に配られる選択科目希望用紙の「古代ルーン文字学」に丸をつけた。「名前からして拒否反応が起きるぜ!」うえーと舌を出して嫌な顔をするフレッドに、ジョージは「まあな」と軽く返してそれを寮監に提出した。ジョージの反応に、フレッドは首を傾げた。(なんであいつ、嫌なのに受けるんだ? )フレッドの疑問は、後に同室であり、ジョージと同じく古代ルーン文字学を受けるリーによって解消された。

 ジョージが何故古代ルーン文字学を受けたか。それは単純明快で、なまえ・みょうじが受けると聞いたからだ。
 新学期最初の食事の時間、騒がしい大広間の中で偶然耳がキャッチした情報でみょうじが言ったわけでもない、むしろ誰が言ったのかさえもわからないような信憑性もあったものじゃなかった。だが、ジョージはそれに賭けた。みょうじが本当に選択しているのかなんてわからない、もしもいなければ残りの学生期間ジョージは子供がお絵かきで書いたような記号と向き合わなければならなくなる。
 一か八か、みょうじがいればそれでいい。先日やっと己の持つ感情が恋だと自覚した男は、二年もの間燻っていた感情に必死だった。

 待ちに待った古代ルーン文字学の授業初日、午後の始まりの授業時間となったその時間を、ジョージは緊張しながら待っていた。「おい、ジョージそれはポテトフライじゃなくて糖蜜パ……うそだろ、糖蜜パイにケチャップかけやがった」「どう見たって不味いだろ!? おい聞いてるか? ジョージ? ……うわ食った! え!? なんで平気なんだよ、おい!」「……なあリー、もしかするとあの組み合わせは美味いのかもしれない。ちょっと食べてみてくれ」「はあ!? ふざけんなフレッドお前わかってんだろ? …………まっず!」食事の味もよく覚えていないどころか、何を食べたのかさえ覚えていない。ジョージの脳内は3分の2がみょうじを占め、残りは脱獄したシリウス・ブラックを捕まえるためにホグワーツに放たれた吸魂鬼と今年のクィディッチ杯とホグズミード村についてがごちゃ混ぜになっていた。もちろん、昼食のスリザリン席は既に確認済みだ。みょうじは特に美味しそうでもなくミートパイを一つとサラダをワンボウル、そしてオニオンスープを飲んでさっさといなくなってしまった。

 片割れの言葉さえもほぼ聞いていない状態で、親友の存在を忘れて向かった古代ルーン文字学の教室はそこそこの人数だった。レイブンクローが前方を埋めるように多く既に着席しており、そして意外にもレイブンクローに混ざるようにしてハッフルパフ生も数人いた。グリフィンドール生はどうやらジョージとリー、「―――あれ? そういやリーはどこに行ったんだ?」「ずっと後ろにいたわ! ……お前、今日変だぜ?」二人の他にミレーヌとジョナスのカップルが揃っているだけだった。そして、スリザリンは――――、

「……ぁ、」
「おい、どうしたんだ?」

 いた。
 みょうじは、教室の扉から大体真正面という意外にも教壇からは離れた場所に着席し、ぼんやりと前を見ていた。
(ああ、神様! あんたって奴は最高だ!)グリフィンドールとの合同授業では常に前方にいたため、てっきりジョージはみょうじが前方に座る物だと思っていた。教室内を見る限りみょうじの隣には大人しそうなスリザリンの女子が一人座っているだけで、他にスリザリン生はいないようだ。(でも――これは、ちょっと意地が悪いぜ)女子がふわふわとした金髪の髪を揺らしながらちらちらとミョウジを窺っている様子に、ジョージは眉間に皺が寄るのを感じた。「お、おい、ジョージ? おーい?」「……あ! リー、こっちよ」「ルイザ! おう、今行く――ジョージ、聞こえてるかわかんねえけど俺あっち行くから、上手くやれよ」「…………おう、任せろ。彼女と仲良くな」「ばっ、そんなんじゃねえ、って聞こえてんじゃねえか!」1年の時から何やら仲が良さげだったハッフルパフの女子の元へ行ったリーを見ずに、ジョージはそのままみょうじの元へ向かう。ごくり、喉が鳴った。震える手を握り締めて、深く息を吐いた。(でも、涎が出るほどうれしいチャンスをありがとうよ、俺、頑張るよ)
 いつもみょうじに話しかけるどころか、挨拶さえ出来ないジョージが隣に座るなんて出来るはずもない。(やるんだジョージ、男だろ? こんなチャンス逃すなんてウィーズリーの名が泣くぜ)今までは相手が憎きスリザリンで、純血主義を掲げる貴族だったため尚更だ。(ああ、クソッ、手の震えが止まらねえ!)しかし、愛の前ではそんな感情も簡単に丸めて暖炉の中へ投げ捨てられた。(なまえ、なまえ・みょうじ、話しかけるだけだろう、それだけのことになんて緊張してるんだ、暴れ柳に抱きつくよりはるかに楽勝なはずなのに)それは古代ルーン文字学と言う授業を、たまたま聞いたという大船にも泥船にもなりかねない不安定な情報から即決定するという無謀な賭けに出たことでもわかるだろう。(息を吸って吐くんだジョージ、大丈夫、お前ならやれる)
 ジョージは、吐いた分より多くの息を吸うとゆっくりと瞬きをし、みょうじの隣に腰かけた。

「ゃっ、やあ、みょうじ、ご機嫌麗しゅう! 隣いいかい?」
「……もう座っているだろう」

 ジョージが震えないように意識した声は、震えていなかったものの代わりに上擦った声が出た。それでも噛まずに言えたことに満足しながらニヤリと笑う。そして、来るとは思っていなかったみょうじからの返答が来た。来たのだ。こちらをちらりとも見ないみょうじからの、声だけの返答に驚きすぎてジョージの喉からひゅっと変な音が漏れる。

「お、驚いたな、てっきり話せないのかと思ってたぜ」
「そうか」

 つまらなさそうな素っ気ないみょうじの返答はそれきり、あとは大きなの教師の声が教室に響くだけ。結局その日、みょうじと出来た会話はそれだけだった。
 授業が始まってからはみょうじは一言も話ず授業に専念しており、そんなみょうじの様子にジョージは声を掛けることが出来ず、むしろ真っ直ぐ教壇やプリントを見つめるみょうじの整った真剣な横顔に見惚れていた。
「ぐふ……ははっ!」「ッ、ああ、ジョージか……まただよ、こいつビビらせやがって……」「リー、俺の弟は一体どうしちまったんだ? 悪魔にでも憑りつかれたのか?」「俺が知りてえよ! この前の古代ルーン語の授業の後から急にコレだぜ? お前の弟マジで怖いんだけど!」みょうじの素っ気ない返事が、たった二言がいつまでもジョージの中でぐるぐると回る。みょうじの声は少し低めで、声変わりの最中のように掠れていた。口を動かしたときにみょうじの横髪がさらりと揺れて、白い頬に黒髪がかかっていた。こちらからは横しか見えなかったためみょうじの瞳は見えなかったが、そこらの女性よりも長そうな睫毛が伏せられる度にドキドキと胸が鳴った。もちろん、ジョージはみょうじから一切目を離していないので、授業の内容なんて何も入っていない。プリントは受け取ったが、一文字も目を通していない上に教師の名前さえあやふやだ。そのために、ジョージの前には壁が出来上がってしまった。そう、課題だ。「――はあっ!? お前、何も聞いてなかったって、マジかよ!? 初回から!?」「おいおい相棒、俺がそんな大人しく聞くとでも思うのかい?」「だってお前授業中一言も話してねえだろ? すげえ静かだったから、俺はてっきり真面目に受けてるのかと思ったんだ」「ジョージが真面目に、授業を真面目に受けただって? これはビッグニュースだ、早くママに手紙を書かなくちゃ!」フレッドの揶揄に一緒に笑うと、ジョージはリーに流れるような動作でス、と蛙チョコのパックを渡した。そして親指をグッと立てて笑う。「俺のレポートもよろしく!」「ふざけんな」パコッ。間抜けな音を立てて、蛙チョコの箱がジョージの額に当たった。蛙チョコのカードはマーリンで、チョコレートはフレッドが美味しく食べた。

 ジョージの中で、なまえ・みょうじはいけすかないスリザリンの中で唯一普通の男だ。一年の頃から常に首席を保つ優等生で、教師陣からの信頼も厚く、学年で一番スネイプに気に入られているともいうが、パーシーのように成績を鼻にかけることも無く、気に入られているからといって教師に媚びるわけでもない。その証拠に、スリザリン生はジョージたちが悪戯をしようとすればすぐに教師に言うが、みょうじは現場に居合わせたってそのまま素通りした男だ。無関心なのだろうが、その際みょうじと目も合わなかったことにジョージの胸が少し痛んだことは秘密だ。

 みょうじは、普通の男だ。
 そして、ジョージも普通の男だ。
 ジョージは同性愛者ではないし、おそらくみょうじも違うのだろう。だが、みょうじのそういった噂を聞いたことがない、ということが引っかかる。彼は、スリザリンの中でも人気で、凛とした静かな美貌とミステリアスな雰囲気から他寮にも少なからずファンがいる。しかし騒がれないのは、みょうじ自身が騒がしいことを嫌う質だからだ。本人から聞いたことは無いが、例年ハロウィンパーティー等のイベントでも一人群れから自ずと抜けるのでそうなのだろう。みょうじ家が純血貴族だからなのかはわからないが、彼は毎年クリスマスは帰省しているのが残念だ。
 話が脱線したが、つまりジョージが言いたいのは、みょうじに脈があるのかどうかだ。ジョージは同性愛者ではないが、同性であるみょうじに想いを寄せている。それはつまり同性愛者なのかと言われると答えに詰まるが、おそらく違うのだと思う。しかし、みょうじは違うだろう。そもそも、ジョージが一方的に想っているだけでみょうじはジョージのことを何とも思っていない。考えると落ち込むことだが、重要な事実だ。挨拶は交わしてくれるが、世間話は無視される。一応聞いているのだろうが、返事をくれることはないし、こちらから「どうだ?」と聞いても「さあ」とのらりくらりと曖昧に、適当だと丸わかりの返事を、これまたさらりとした無表情で言われるのだ。しかし、明確な質問――例えば、「ここがわからないんだが、教えてくれないか?」というような、授業に絡んだものなら答えるのだとわかったのはつい最近のことだ。これをジョージは好機と見た。好機と見て、次々に質問を投げかけた。なんでもいい、なんでもいいから気を引きたい。そんなジョージの姿は滑稽だっただろうが、みょうじは真面目なのかどれもこれも変わらぬ無表情でしっかりと答えてくれた。しかしプライベートの質問をすると途端に無視される。その度にまだまだ距離があるのか、と思考錯誤するジョージに余裕などなく、またそのポジティブさはジョージの長所なのだろう。事実、毎度ジョージの反対側のみょうじの隣に座しているあのふわふわした金髪の女子は、ジョージに対抗するようにみょうじにプライベートの質問を投げかけ「授業中だが?」と一瞥もされずに言われ、更に先日の授業ではみょうじに質問をし続けるジョージの様子を見て「なまえ、グリフィンドールなんかの質問に答えなくてもいいのよ? わからないのなら授業を取らなければいいのに、野蛮なグリフィンドールには野蛮な魔法生物飼育学がお似合いよね」とジョージを嘲笑しながら言い、みょうじに「そういう君の発想こそ野蛮だと思うが」と淡々と言われ、顔を赤くして拗ねるように机に伏せ、授業終了後みょうじに声を掛けられるのを待っていたのだろうがさっさと置いて行かれ大慌てしていた。ジョージはみょうじに見えない位置から彼女を鼻で笑い、彼女から強く睨まれた。

 ジョージが思うに、金髪の女子の対応を見る限りみょうじはそこまでのフェミニストというわけではなさそうだ。確かに男相手なら無視のところ、女相手になるときちんと返事をするあたり気を遣っているのはわかるが、内容は全くだ。むしろ、まだ無視の方が良いんじゃないかと思うときさえある。
 だからといってみょうじが同性を相手に出来るかどうか、否、ジョージを相手に出来るかどうかを判断してしまうのは時期尚早というものだ。とはいえ、3年だ。3年間ジョージは気づかずに想いを募らせていた。そして、学校生活は残り4年。おそらくみょうじとは、卒業してしまえば会うことはないのだろう。純血主義は嫌いだし、輪の中に入りたいとも思わないが、卒業後も自然とみょうじのそばにいられるであろうスリザリン連中を、悔しいが初めて羨ましく思った。だが、ジョージとてそこで終わる男ではない。残りの4年で、少しでもみょうじの中に残る男になりたい。あわよくば、隣にいられる男でいたい。
 だから、ジョージは賭けに出た。

「なあ、みょうじ、君、もしかしてホモセクシュアルか?」
「………………は?」

 唯一みょうじと接することの出来る授業で、ジョージはいつもの如くみょうじの隣に座った。金髪の女子との睨み合いも済ませ、ひたすら教授の説明を聞いている時間、会話する生徒は多くおり、ジョージはそこを狙った。ジョージの背中は冷や汗どころか脂汗が滲んだが、ジョージはしっかりと耳元で、周りに聞こえないように問いかけた。嫌われるかもしれない、なんて恐怖は燃え上がる情の前には薄い壁でしかない。そもそもスタートラインはマイナスだ。
 みょうじからの返答はたっぷりと間を置いてからだった。心底わからない、というような声色で、「何を言ってるんだ君は」と言ったみょうじの顔は、いつもの無表情ではなく、眉を顰めてこちらを睨むような、不機嫌顔だった。初めて見た表情の崩れにジョージの胸は高鳴る。形のいい眉が歪められ、薄い唇が少し開かれている。心臓がバクバクと暴れるのを収めるのに精一杯だ。

「ふざけるのも大概にしろ、不愉快だ」

 みょうじからの返答に、ジョージの胸は高鳴ったままだったが、体は瞬時に凍りついた。失敗した、そう思った。みょうじの声に温度はなかった。しかし、それでも初めてみょうじの表情を崩せたこと、そして若干の個人的な会話が出来たことに関して喜びがある。常に無表情でつまらなさそうな顔をしているみょうじがジョージのたった一つの問いにあれだけの表情変化を見せたのだ。冷たい目に射抜かれて心の一部が怪我を負ったが、それでも残りの部分は嬉しさと奇妙なドキドキ感で満ちていた。

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