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ALBATROSS

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うすめてもうすめてもあつい海

国を作るには資金が必要だが、無駄足を踏み鼬ごっこにもなりそうな人皮剥ぎにそうそうに見切りをつけた大沢は、徳富川のアイヌの集落に潜んでいる砂金に係わる男を探しに北上していた。家臣を従え、情報を取りに川の交差地点の荷馬車周辺で様子を伺っているとふと背後から聞き捨てならぬ言葉が耳に入る。

「海賊房太郎……」
「あん?」

うっとりと焦がれるような、胸が擽られる声であった。そちらを見ると、くたびれた着物に羽織を重ね、ブーツを履き目深に布を被った者がじっと大沢を、海賊房太郎と呼ばれる男を見つめていた。警戒する家臣を片手で制し、ハッと顎を上げて相手を見定める。

「俺を知っているのか」

このような知り合いに心当たりはなく、とすれば害意を持ち近づいてきたか、復讐のためか、もしくは名の知れる海賊へ頼み事をしに来たか。男とも女ともとれない風貌をしているそいつの口元がニヒルに笑みをかたちづくる。

「……あア、当たり前ェだろう。丁度良かった、江別までついてっても?」
「はあ?」

何故、江別。こちらが向かおうとしているのはアイヌの集落であって、川を下るつもりはない。しかし、意味のわからねえことを、と怒鳴ろうとした声は息のまま逃げていった。布を少し上げて顔を見せた、その表情が大沢の脳を痺れさせた。
そいつは男だった。上目遣いを意図して悪戯げに笑う目元、口は半月にほんのりと血色の良い唇が頼むよ、と動くとたまらなく劣情を引き寄せた。喉仏が口渇に動く。気づけば、首が縦に動いていた。「か、海賊さん、いいんですかい」と言う子分の声が無ければ、ふらふらと蜜に集る蟻になっているところであった。理性を取り戻すように、己の正気を確かめるように首を左右に振り、冷静に言葉を選ぶ。

「…………いや、ウン、よくねえな」
「アァ?今頷いたじゃねエか」
「首が勝手に動いちまった。……ま、勝手に動いたっつーことはそういうことだ、いいだろう。江別だったか、俺たちが行くかはわからないが道が同じなら連れてってやるさ」
「そりゃ助かるね」

あんがとさん、と動く唇から目が離せないまま、大沢は脳裏で厄介事を引き受けたと自覚した。冷静になったつもりだったが、脳は正常ではないらしい。
魔性を自ら引き入れるとは、どうなるかわかったものではない。そう理解していても、今度は勝手に口が動いてしまったのだから仕方がないのではないか。



妙なことに、男、みょうじなまえの指さした方向にアイヌの集落があり、奴が話しかけた人物が目当ての者であり、そして最終的には奴の言った通り江別へ下ることになった。聞き込みや張り込みの必要もなく、あまりにもトントンと調子よく話が進んでいく。仲間は「神のお導きだ」などと、ろくに神など信じてもいなかったくせしてみょうじを神の使いだと言い出した。だが、信仰心が芽生えるのも納得してしまう偶然の一致の多さは大沢自身も不気味にも感じるほどだった。

「お前、陰陽師か?」
「いンや、ちょイと勘がイイだけの野郎さ。むしろ、これ以外なンも出来ねエ」

そのときは面白くもない冗談だな、と鼻で笑ったものの。
(……なるほど。)水に入れば多少泳げるものの、水をかく手の動きはのろのろと亀よりも遅く足を引っ張る。銃を持たせれば重いと言い、撃たせてみれば反動でひっくり返る。剣などそこらのガキの兵隊ごっこのほうがよほど形になっているときた。多少の料理は出来るが火を焚くことが出来ず、獲物を捕まえられず、捌けず、しかし無駄なく綺麗に食べ尽くしふとした所作には美しさがあった。
つまりみょうじは本人の言う通り、戦えず、力もあまりなく、深窓の令嬢かと思うほどに何も出来なかった。男としてそれはどうなんだと詰ると柳の眉をかなしげに歪ませ、素直に謝る姿に胸を打たれた子分たちから睨まれこちらが悪い気になる。そして自身もその姿には心が痛むのだ。これは見事に心を乗っ取られた、重傷である。その自覚があってなお、日毎厄介でしかない男を手放せなくなっている。(……俺は衆道の気は無いのだがなあ)
ちらりと船頭から川を見下ろし、魚を見るみょうじの瞳がこちらを向かないかと思ってしまう時点で、それも怪しいものだと揺蕩う自らの性に呆れ返った。

予定外だったが、話を聞くためにアイヌへばらまき底をつきかけている金を作るため、江別へ行く途中で船を襲うことにした。すっかり信者と化した家臣は率先してみょうじに話しかける。みょうじもみょうじで、いくつかの船を襲いそろそろ目的地へ出立してもいい頃合いだというのに、船が通る度に首を縦や横に振りまだだと指示をしてくるのだから、資金調達だけで既に無駄な数日を費やしている。
川辺の潜伏で食には困らず、繰り返す奇襲により金も十分なものの、金塊盗りにおいて時間は有限だ。神様ごっこにいつまで付き合わされることやら。まだゴネるようなら誰が頭か一度解らせてやる必要がある。みょうじを殴るのは元囚人に鼻で笑われるような良心の呵責があるが、殴られ伏せる姿もまた艶やかなのだろうと思う。(……重傷だ。)この数日で何度欲を振り払おうと頭を振ったか。
しかし拳の準備をしていた大沢をせせら笑うように時が来た。みょうじが、一隻の船を指差す。

「アレで最後だ」
「……やっとかよ、待ちくたびれたぜ」

それはただの船だった。今まで襲ってきた船と何が違うのか。思えば、みょうじが襲えという船は郵便物を乗せた船が多かったが、そういった船は多くの金や金になる物を他の船よりは比較的多く積むためだろう。ということはやはり、金を単に荒稼ぎするために無為な時間を過ごしたようだ。まんまと踊らされたことに歯噛みしつつ、小舟を近づけ川に飛び込む直前、突然みょうじが顔を近づけてきて耳元で囁いた。

「中で銃撃戦が起こる、後に兵隊が来るが奴らもお前さンらにゃ敵さ。気イつけて」
「ッなんだと!?」

数日間だが世話してやったというのに、ハメやがったのか。奴の顔を睨みつけようとしたが、足はもう地を蹴り視界はすぐに水の中でぼやけた。

しかし、殴り込んだ船の中には予想外に古い顔馴染みがおり、そして金塊への新たな道しるべとなった。
杉元佐一と手を組む事になり行き先が札幌に決定したとき、まるで頃合いを測ったように──実際そばで聞き耳でも立てていたのだろう、衣笠がひょこりと船内から出てきて片目を瞑った。

「ヨ、お兄さン方。話は纏まったみてエだね」
「──えっみょうじなまえ!?なんでいる──ああっ未来視。俺お前の言う通りになったんだけど、そういや未来視出来るってマジだったの!?今度お馬当ててよ!」

白石の上擦った声を逃さなかった。未来視、だと。それを聞きみょうじを注目したのは大沢だけでは無かったが、みょうじは言葉を交わさず心得て対話するように、もう一度片目を瞑り口角を上げた。それを受けて、いつかのようにゴクリと喉が鳴る。
畜生、揶揄りやがって。あとで噛み殺してやろうか。己の血に溺れ酸欠に喘ぐ表情もまた、堪らず腹の底に眠る獣を擽るのだろうか。