- ナノ -

ALBATROSS

http://nanos.jp/maskkkk/

やさしさと欺瞞の天秤

 ついに待ちに待ったお見合いだ!さらば花沢俺はコレをキメて自由になる!アイムフリー!
 朝からルンルンと鼻歌をうたって、おろしたてのピカピカな軍服を身にまとい、男前だというおべっかにご機嫌で待ち合わせ場所のホテルへ向かう。
 どんな子なんだろう、可愛い子がいいな。料理好きだと嬉しいな。わざわざ本土から北海道まで会いに来てくれるなんてすごいな、なんてそのときはのほほんと思っていたが、今なら言える。俺って本当に馬鹿。
 ホテルに着いたとき、顎が外れるかと思った。母がいたのだ。相変わらず派手な着物を着て、俺を待っていた。なんでこの歳になってまでママと行動しなきゃならんのだ、と逃げる前に甲高い声が耳を貫く。

「ちはや、またそのような格好をして!母に恥をかかせるつもりですか!?」
「は?」

 言われた意味がわからずやっぱり顎が外れそうだった。口が閉じぬ間に、部屋へ引きずり込まれて着替えさせられた。
 季節は秋、紅葉散らばる赤い振袖が俺によく映える。……あれ? どうして?
 男らしく切った短髪を母は「出家でもなさるつもり!?」と顔を怒りで赤くし嘆いた。鬘を被せられ、べっこうの簪がさしこまれる。顔と首元に薄く白粉をはたかれ、唇に紅が塗られた。そしてようやく母は満足気に微笑み、固まっている俺を連れ出した。
 ホテルから馬車に乗り、邸宅へ移動する。俺は滅多に寄り付かない花沢家のものだ。入るなり、母は嫌そうに顔を歪めた。廊下に父の秘書のような部下の軍人が背をキチッと伸ばして立っていた。応接間に客人がいるとその姿だけで教えてくれる。
 今すぐ隣に立つ母親を刺して逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。しかし残念ながら武器類は着替えの際に全て持っていかれている。曰く、そんな物騒物を持ってはいけないらしい。肌が傷つくと言われた。軍人相手に馬鹿なことを言う人だなあ、と今更に思った。
 応接間に入ると、ソファに腰かける父の背があった。父に対面する奥のソファには軍服を着た壮年の男が一人と、隣には背広を来た青年が一人。ぱ、と青年が顔を上げて目が合った。すぐさま逸らされ、目線がうろうろと泳ぎ出す。落ち着きの無い様子だが、だんだんと頬が紅潮して────俺はその様子を冬の海に沈められたような気持ちで見ていた。
 父の言葉も母の明るい声も入ってこない。何も言えず、何も聞こえず、ただ黙って時折頭を下げてはずっと俯いていた。
 つまり、そう、なるほどね、へえ、そういうことか。
 気狂いの母親は相変わらずで、父は俺を売って、手紙を寄越してきたのだから、勇作もグルらしい。
 うらぎられた。


 乾いた音がして、じんじんと痛み鉄の味を感じてから頬を張られたと気づいた。いつの間にか客人は帰ったらしい。そんな事も気づかないほど、俺は沈んでいた。部屋には母の姿もなく、目の前の父が俺に侮蔑の視線を向けていた。
 こういうとき、父はいつだって俺を見て顔を歪める。俺が女の格好をしているから。男のくせに気色が悪いと幼い子供に投げられた言葉を今でも覚えている。自分の妻に言え!と言うと、毎度殴られるのだ。
 臭いものに蓋をして、臭いものはその蓋のせいで臭いのだと責任転嫁をする。蓋が無くなったらどうなるのだろうと思っていたが、無くなろうとしても戻されてしまうのだとやっと気づいた。なるほど、クソだな。はやく尾形に殺されちまえ。
 おろしたての軍服は母の手によって捨てられていた。自分の部屋に置いてある服はすべて女物だった。仕方なく勇作の部屋からシャツとズボンをもらい、洗面所で白粉と紅を落とす。
 化粧が落ちたか確認するとき、鏡に写った俺はぐちゃぐちゃになった死体を見たような顔をしていた。感情の抜けた真顔である。
 それを認めた瞬間、家を飛び出した。



 あーあ!酷い目にあった!帰りの馬車の中で揺られているとやっと落ち着いてきて、ぶわっと涙が出た。
 ひぐ、うぐ、と息が詰まりながら泣いていると、御者さんが心配してくれて、優しさに触れてダメになった。

「うえええん」
「ウワッ!エッ、花沢少尉!?」

 涙が止まらず、普通に大声で喚きながら兵舎に飛び込んだ。体当たりのように扉を開けて、白粉が残ってるかもしれない顔を見られたくない一心で自室を目指す。今日は非番だからいいのだ、俺引きこもって明日の朝まで泣き続けるわ、もうほっといてよ。
 ぐしぐしと涙を吹きつつも不明瞭な視界で階段を上がろうとすると、誰かにぶつかった。その相手が良くなかった。

「おい、……花沢少尉?失礼しました」
「ウグッ!」
「……どうなさったんです」

 尾形に正面から肩を掴まれた。
 硬く胝のある手だった。大きくて骨張っていた。
 俺を見る顔が、父とそっくりだった。

「も、もうやだあ!うああーん!」
「……ハ」

 そのまま前方へ倒れ込むと、尾形は俺を受け止めつつも戸惑いの表情を浮かべた。父の顔では見たことがない表情だが、今度は勇作に似ていた。花沢の血が濃すぎないか、もう少しおももに似てくれてもいいじゃないか。
 ただでさえ花沢だし、尾形の上官なのだから尾形が拒否出来るわけもないことをわかっていて、俺は尾形に甘えた。何も話さずわんわん泣いていると、尾形は頭を痛そうにしながらも俺の肩に手を回して俺を部屋へと連れていってくれた。それも気に入らなかった。癇癪玉が色んな方向からつつかれたような感じ。さらに涙が溢れてくる。
 密着していると、尾形の体が雄々しいものだとよくわかるのだ。谷垣などもっと凄いやつもいるとわかっているが、奴らはどうでもよかった。血を分けた相手だということが、俺には地雷のようなものだった。
 部屋に入るなり布団に飛び込んで世界閉じた。暗く狭い俺の殻の中は呼気と湿気でいっぱいになった。時折外から触れられてはイヤイヤと身を捩って壁際へ逃げる。何もかもが嫌だった。

 くそ、コノヤロウ、どうしてなんだ。双子なのに勇作とも似ないし。
 俺の体は男のものだ。少しだけだが喉仏も出ているし、柔らかな曲線もなければ、当然男性器だってついている。男物のシャツを纏えば確かに男に見える。でも、それではダメなのだ。
 筋肉が薄くしかつかない体は線が細く、そんなものは着物で隠れてしまう。声だって変声期は迎えて多少低くなったものの、ハスキーボイスだと言われればそれまで、どんなに頑張っても野太い低音は出ない。長らく女としての所作を強要されてきたから、自然とそうなってしまう。訓練によって俺の手にも胝が出来たが、尾形に比べれば全然柔らかかった。

 俺を挟んだ布団が上も下もぐっしょりとしてきたことに気づいてもぞもぞと抜け出すと、外は暗く兵舎はシンとしていた。机の上に冷えた茶と握り飯が置いてあった。軍曹が置いてくれたらしい。水分を多く減らした体に茶は染み入って、塩にぎりがとにかく美味かった。手洗い場で空になった皿を洗いながらふと思った。勇作許さん。
 皿を片付けるだけのつもりが、体は通信部に向かっており、手が受話器に伸びて、交換手のお姉さんに番号を告げる。花沢勇作をお願いします、と言ってしまったが、内心ではなにを話そうか全く決めていなかった。そもそも電話をするつもりも無かったのだが──勇作の「ちはやか、どうしたんだ」という声を聞いて頭が真っ白になった。

「てめえ勇作!ぜってえ許さねえからな!死ねくそやろう!俺は!なまえだ!ちはやは死んだんだよ!気狂いババアに言っとけ!クソボケ花沢なんかとっととくたばれ!」
「──なまえ──落ち着いてくれ──母上のことは悪かっ──」

 ガチャンッ!
 勇作がなにやら話していたが、聞きたくなくてそのまま受話器を置いた。
 ……ウンスッキリ!言いたいことを言えるって最高!
 気分は最高だったが、感情が高ぶりまた涙がほろっと落ちた。鼻水を啜って、水分不足でぼうっとする頭で、人に見つかる前に早く寝ようと部屋に戻った。

   家の中に軍人なんて野蛮な人種を入れたくはない、と軍人の妻がよく言っていたのを思い出す。女学生時代は親に隠れて柳のような美形の役者に惚れ込んでいた母だが、家に逆らえず花沢に嫁いだらしい。母の好みとは真反対の男くさい父を厭んでいた。やっと産まれた双子の子供がどちらも男で、花沢の家は喜んだが母は落胆したと乳母から聞いたことがある。
 しかし、双子といっても俺と勇作は違った。赤子の頃から父に似ていた勇作と、母に似た女顔の俺。
 物心ついたときにはすでに女物の着物を着ていた。母にとって俺は軍人にはなりえない女子だから、北海道へ遊学に来ていることになっているらしい。酒の肴にもならない笑える話で、ただの精神異常者の戯言。

 尾形ならよかったのに。
 後ろ姿から父にそっくりで、太い骨に沿って服の上からもわかる筋肉がつき、声は低く喉仏がぼこりと出ていて、見るからに男で。
 尾形百之助が俺の代わりに生まれていればよかったのに。
 本人にいえば額を弾丸でブチ抜かれそうなことを考えて、またちょびっとだけ泣いた。