ことばが動かなくなるまで
【宇宙を手に入れた話】
町の小さな雑貨屋で見つけたその不思議な物に、私は一瞬で心を奪われた。試験管を短く切って逆さにしたような形をしていて、その中には複雑で美しい部品。
「それは真空管だよ」
じっと見つめていると背後から店主が声をかけてきた。
真 空 管
声を出さずにそっとつぶやいてみる。
「そのガラスの中が真空になっているんだ。真空ってわかるかい?」
首を横に振ると店主はにやりと笑った。
「宇宙だよ、宇宙。」
まるでないしょ話のように彼は声をひそめた。
「真空管は小さな宇宙なんだ。そのガラスの中は誰にも侵されない。空気の無い世界にとじこめられた、美しい世界だよ。」
かくして私は、小さな宇宙を自分の手のひらの上に手に入れた。
私は店主から真空管を購入し、店を出た。
日は既に沈みすこし肌寒い。
見上げた夏の星空はいつも通りの遠さから私を見下ろしていた。
真空管をかかげ、ガラス越しに細い月を見る。
私は宇宙を、とじこめた。
【温室のビワ】
「花が好きなら、いい場所を知ってるよ。」
そう声をかけてきた彼が連れて来てくれたのは町の植物園の敷地内にある大温室だった。ガラス張りの巨大な建物の中に入ると、しっとりした温かい空気が僕を包み込んだ。
「今は冬だけど、ここには一年中花が咲いてるんだ。」
彼はクラスで一番の人気者だった。
「あったかいだろ。どう、気に入った?」
彼は制服の袖をまくりながら言った。僕らはランドセルを背負ったままだった。
「うん、見たことない植物がいっぱいだ。すごい。」
そう答えると彼は満足げにうなずいた。
「よかった。引っ越してきたばっかでこの辺のこと知らないだろ?僕は この町のことだったら何だって知ってるんだ。」
「どうして僕が植物が好きだって思ったの?」
たずねると彼は笑った。
「だって休み時間によく花の図鑑を読んでるじゃない。あと、図工の時間に花の絵を書いてた。あれ、すごく上手だったし。」
思いがけず絵を褒められて僕は恥ずかしくなってうつむいた。
「そんなことないよ」
彼は僕の小さな声には気付かず何かを探しているようだった。
「あっちのほうかも、行こう」
おもむろに手首を掴まれてそのまま引っ張られる。背の高い不思議な形の木を見上げながら手を引かれるままに歩いてついて行くと少しひらけた場所に出た。
「すごい、池がある。」
「良く見たら魚がいるんだ。」
池の向こうに作業着を着てこちらに背を向け花壇を手入れする人の姿が見えた。
「いたいた。こんにちは!」
作業着の人が彼の声に振り向いた。優しそうな白髪まじりのおじさんだった。
「君か。友達かい?」
「そう、転校生。花が好きみたいだから佐藤さんと友達になれるんじゃないかと思って連れてきた。」
「それは嬉しいね。」
佐藤さんと呼ばれたおじさんが僕を見て微笑んだ。どうしたらいいかわからず僕はぺこりと頭を下げた。
「じゃ、僕は先に帰るよ。また学校でね。」
ぱっと手首を離される。
「え、帰っちゃうの?」
「野球の練習があるんだ。」
彼は僕の肩を掴んで佐藤さんのほうに体を向けさせるとランドセルをがちゃがちゃ言わせながら走って行ってしまった。
「相変わらず忙しい子だ」
佐藤さんはそう言うと笑って僕を見た。
「こっちへおいで。ちょうどいいのがある」
言われるままに付いて行く。佐藤さんの細い背中は猫背で手にはめた軍手は土で汚れていた。
「あいつには秘密だぞ?」
立ち止まってそう言うと彼は軍手をはずし一本の木の枝へ手を伸ばした。見上げると枝には小さなオレンジ色の実がたくさんなっていた。彼は実をひとつもぎとり、僕の手のひらに乗せた。
「ビワだよ。ちょうど食べごろだ。食べたことあるかい?」
首を振ると彼はもうひとつ実をもぎ、皮を剥き始めた。
「こうやって皮を剥いて食べるんだ。大きな種が入っているから気をつけて。」
剥き終わったビワの実を佐藤さんは美味しそうに頬張った。見よう見まねで皮を剥き、実を口に含む。甘くて柔らかい。
「美味しい」
「それはよかった。お近づきの印だよ。よろしくね。いつでも好きなときに遊びに来たらいい。」
でも、と佐藤さんは続けた。
「ここでビワの実を食べたことは誰にも言ってはいけない。秘密だよ。」
僕はそうして、秘密を手に入れてしまったのだった。
【幸せの期限】
四葉のクローバーを見つけた。
僕はそれを摘み取らなかった。
幸せになるのが面倒だったからだ。
僕はある思いつきを試すことにした。
毎日この道を通り、そこに幸せがあるかどうかだけを確認する。
この幸せが、本当に僕のためのものなのかを確認する。
四葉のクローバーは毎日そこで摘まれるのを待っていた。
僕に? そう、僕にだ。
七日目、幸せは周りの雑草とともに綺麗に刈り取られていた。
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コミティア104にて無料配布したものでした。
初参加でしたがコミティアほんとに楽しかったです!
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