雨粒スパンコール

その日は晴れの予報だった。

店から出た芥川は目の前の光景を眺めていた。
真っ暗な空から降り注ぐ。絶え間なく降り続ける雨。
「……あーあ」
背後から聞こえた声。
振り返ると、太宰がちょうど階段を上ってきたところだった。
「雨なんて聞いてないよねぇ」
困ったような口調で言いながらも、その顔はどことなく楽しそうだった。芥川は何も言わずにただ、じっと太宰を見詰めた。
任務の帰りに、太宰と芥川は食事をしてから帰宅することにした。自宅の最寄り駅からすぐの雑居ビルの地下に、行きつけのダイニングバーがあった。
自然な流れでそこへ足を運び食事を取った。太宰は躊躇うことなくいつも通りにワインを注文し、雰囲気を出す為に芥川には葡萄ジュースを選んでやった。
ピザや生ハムを摘んで、そこそこ腹が満たされたところで店を出たのだ。
「地下にいると分からないものなんだね」
食事をしている時は雨が降っていることに気が付かなかった。
「……傘をお借り出来ないか訊いてきましょうか?」
すぐに芥川は地下へと続く階段へと視線を落とした。
「問題ないだろ」
さらりとそう言って、太宰は肩に掛けていた外套を掴んだ。ふわりと外套を持ち上げて、右側の懐を広げると芥川へ目配せした。
きょとんとした顔をして、芥川は距離を詰めた。
「そっち持って」
言われた通り外套の右側の襟を掴む。すると太宰は自由になった右手で芥川の肩を抱いた。
突然のことに動揺する芥川。びっくりして太宰を見上げた。何食わぬ顔で太宰は左手で外套を引き上げた。
芥川とぴったり体を寄せ合ったまま、二人まとめて頭からすっぽりと外套を羽織った。
「どうせ家までたいした距離じゃないし、これで凌げるだろ」
肩を抱く腕の力が強くなる。
芥川は目をぱちぱちさせて、太宰の横顔を見詰めるしか出来なかった。
太宰が一歩踏み出す。それに倣って、芥川も足を踏み出した。
頭上から響く雨の音。
パタパタと外套を叩く雨粒。
人通りの少ない道を身を寄せ合って歩いていく。
「……あの、太宰さん」
「なに?」
「よろしいのですか……?大切な外套を、その……雨濡れにしてしまって……」
うーん、と太宰は視線を斜め上へ流した。
「別に私は気にしないけれど」
浅い水溜りを踏むと水が跳ねて、ズボンの裾を濡らした。
「それに、たまにはこういうのも悪くないと思うのだよ」
不意打ちだった。
へにゃっとした緩い顔で笑い掛けてくる太宰に、思わず芥川はドキッとしてしまった。
意識した途端、動悸が激しくなった。
頬を染めると被っている外套を強く握り締めて身を縮めた。顔を見られたくなくて俯くけれど、こんなに近い距離ではおそらくバレてしまう。
(……どうか、太宰さんにドキドキしているのが気付かれませんように)
神様なんて信じていないけれど、もしも神様がいるとしたらこれくらいのちっぽけな願いくらいは叶えて欲しい。そう思った。
そんな芥川の耳が朱色に染まっているのを確認するなり、太宰は柔らかく微笑んだ。
住宅街の狭い道。
背後から車のハイビームが二人を照らした。
「芥川君」
肩を抱く手に力が込められる。
走行してきた車が二人の真横を抜けようとした時、ぐいっと芥川の肩が引かれた。
まるでダンスでも踊るかのように軽やかな動きで、通り抜ける車へ二人同時に背を向ける形で道を譲った。
車が通り過ぎて行く。エンジンの音が遠退く。ハイビームの眩しい光が瞬きをすると瞼の裏で明滅した。
そのまま、至近距離で見詰め合う。
聞こえてくるのは雨の音だけ。
世界に二人、取り残された気分だった。
太宰の唇がうっすらと開いた。何かを言いたげにゆっくりと動く。その動きが何を意味するのか――考えるより先に唇が重なった。
ふわり、と触れ合うだけの柔らかい口付けだった。
雨のせいなのか冷たく感じた。
目を閉じる事なく、芥川は丸い目を開いたまま棒立ちになっていた。
一秒にも満たない時間だった。
離れると、太宰はこれいって何の感情も込められていないような目で芥川を見た。その目の鋭さ、底知れぬ深淵に芥川はゾクッとした。心臓がキュッと苦しくなった。悟られないよう目を逸らす。
「……帰ろうか」
掠れた声でそれだけ言って、太宰は再び歩き出した。肩を抱かれたまま、芥川は必死に歩を合わせた。
ふと、太宰の唇から香った赤ワインの濃い香りを思い出してしまった。ギュッと目を瞑って、芥川は小さく首を振った。
「雨っていうのはね……」
ふいに太宰が口を開いた。ワインの香りが強くなった。
「天と大地を繋ぐ唯一の手段なんだよ」
太宰の目は真っ直ぐに目の前の雨だけを眺めていた。ゆっくりと芥川は前を向くと、目の前を落下していく無数の線を意識した。
「そのうち、雨に乗っかって神様とか天使が舞い降りてくるかもしれないね」
やけにメルヘンなことを言って、太宰は笑った。その顔は愉快そうだった。
「……蜘蛛の糸みたいですね」
「へぇ……」
関心したように太宰は芥川を見た。
「知ってるんだ?」
「以前、貴方の書斎棚から拝借致しました」
「あれは良い本だよ。あの存在を知らずして死ぬのは勿体無いほどにね」
「如何して其の様に思うのですか?」
「ん?」
鳶色の瞳が細められる。すうっと何かに導かれるようにして、太宰は前を見据えて告げた。
「自分が地獄に堕ちた時に、どう在るべきかを考えさせられるから」
二度目のハイビームが二人を照らした。
今度はすれすれの距離で、車が真横を過ぎて行った。水が跳ねて、太宰の体の左側へと飛び跳ねた。
そこでふと、芥川はさっきから太宰が車道側を歩いていたことに気が付いた。
「……ぁ」
何かを言おうと口を開けて、何を言おうか戸惑う。
もしかしたら、ただの自惚れかもしれない。それでも、こういう些細な優しさに芥川は弱かった。
キュンッと胸が締め付けられて、喉が苦しくなった。息苦しくて切ない。それでも苦痛だとは思わなかった。
ドキドキが強くなる。どうしたら良いかわからず、そっと太宰へ上目を向けた。
太宰はこちらを見下ろしていた。
やんわりと微笑む顔に、髪の先から落ちた水滴が煌めいた。
何も言わず、太宰は芥川を抱き寄せた。太宰の胸元にぴったりと耳が押し付けられる。湿ったスーツの布越しに、ドクンッという鼓動が跳ねる音が聞こえた。
おそるおそる、芥川は太宰を見上げた。
太宰はただ微笑んだだけだった。


帰宅するなりマンションの玄関で外套を下ろした。ある程度、水を弾く素材で出来ているとはいえ、ぐっしょりと濡れてしまっていた。
水が滴る外套を手にぶら下げて、太宰は玄関に立ち尽くした。
「干すにしても廊下が濡れてしまうね」
困った、と呟いて太宰は首を傾げた。
「タオルでもお持ちしましょうか?」
「そうだね。お願いしたいところだけれど……」
太宰が芥川を見下ろす。外套を羽織ったことで多少は雨から身を守れたといっても、それでも二人ともそれなりに濡れていた。
足元は水を吸ってびしょ濡れだし、このままの状態で家に上がるのは憚られた。
「このままお風呂にしようか?」
「え?」
「一緒に入ろう」
言い出すや否や、太宰は外套を丸めて抱え込むと芥川の手を引いた。
玄関を上がってすぐの脱衣場へと向かう。脱衣場に置いてあった籠へ丸めた外套を投げ入れると、積まれていたバスタオルを掴み上げた。
バスタオルが芥川へと投げつけられる。訳が分からずに、芥川はバスタオルを受け止めた。
「風邪を引かれたら困るからね。準備が出来るまで待っていなさい」
太宰は濡れた衣服を身につけたまま風呂場へ入り、浴槽の蛇口を捻った。
ドドドと音を立ててお湯が放たれる。
「……はい」
言われた通り、芥川は水気を拭った。
髪と顔、それから外套の上からタオルを押さえ付けた。
「芥川君」
呼ばれて顔を上げる。いつの間にか目の前にいた太宰が自分の頭を指差した。
「私も拭いてくれないかい?」
「はい……」
これといって断ることもなく、芥川はバスタオルを太宰の頭へと被せた。
それほど髪は濡れていなかったが、水滴が滴る髪の先を拭き取ってやった。
そうこうしているうちに、太宰の手が伸びてくる。芥川が着ていた外套のボタンを摘むと、それを一個ずつ外していった。
前が外されると中のブラウスが露わになった。裾にフリルがあしらわれたヒラヒラのシャツだ。
不思議と太宰は満足そうに微笑んだ。
「拭くのはもういいから、君も私の衣服を寛げて」
「は、はい……」
どうして互いに相手の服を脱がし合わなければならないのか。
そんな疑問が浮かんだものの、芥川は黙って従うことにした。
太宰の喉元へと手を運んで、ネクタイを緩めていく。しゅるり、とネクタイを引き抜いてからワイシャツのボタンを外していった。
芥川がもたもたしているうちに、太宰は手際良く芥川の衣服を脱がせていった。芥川は両手が塞がっているから、外套から袖を抜くことはできない。だから、外套を着せたままブラウスをはだけさせていった。
血色の悪い色白の素肌が晒される。申し訳なさそうに芥川は頬を染めて目を伏せた。
そうして衣服を脱がせ合う。
覚束ない手付きで服を脱がせる芥川に焦れたのか、太宰は次第に悪戯を仕掛けていった。
嫌がる芥川のズボンを押し下げて脱がせる。どうせだからと下着もまとめて脱がせたら、芥川は恥ずかしがってブラウスの裾を引っ張って隠した。
中途半端にボタンを半分ほど外した状態のブラウスのヒラヒラの裾をぎりぎりまで引っ張っりながら、芥川は恥ずかしそうに膝を擦り合わせた。
「隠す必要ないだろ」
「だって……」
泣きそうな表情をして芥川は顔を真っ赤にした。それが面白くて、太宰の顔に意地悪な表情が張り付いた。
芥川の額を撫でてから、湿っていた短い前髪を掻き上げると、チュッと唇を落とした。
びくっと跳ねた小さな体が急に愛おしく思えてきた。このまま抱き締めてやろうかと思った時、給湯が完了した。
風呂場からブザー音が響く。
「……残念。続きはお風呂場で、だね」
にやにやと笑いながら、太宰の指が芥川の唇を撫でた。
雨に濡れたせいで体は冷たい筈なのに。
シャワーに打たれたみたいに熱くなった。


「……太宰さん、痒いところはありませんか?」
「んー?」
浴槽に浸かりながら、太宰は髪を洗って貰っていた。風呂に浸かりながら互いに髪を洗い合うと水を汚してしまう為、芥川は浴室の椅子に腰掛けて、湯船の方を向いていた。対する太宰は芥川へ背を向ける形で、浴槽のふちに両肘を乗せてふんぞり返っていた。
芥川の細い指が髪を梳く。指の腹で頭皮を優しく擦って、わしゃわしゃと洗って貰うと、太宰は気持ち良さそうな顔をした。
「大丈夫だよ」
そう言われて、芥川はホッとした。
嬉しそうに口元を緩めると、頑張って指を動かした。
真上から覗き込む芥川の顔を見上げて、太宰はそっと手を伸ばした。
芥川の後ろ頭へと手を添えると、そのまま頭を引き寄せる。上下逆さのまま、柔らかく唇が触れ合った。
「……ん」
ぴくり、と芥川の唇が震えた。
「本当に隙だらけだよね、君って」
「ごめんなさい……」
「罰として君からもキスしてよ」
「へ!?」
思わず声が裏返ってしまった。密室の浴室に響き渡る。
「き、きす……なんて、そんな……やつがれ、が……やつがれは……」
顔を真っ赤にしてあたふたする姿が愛らしくも面白い。芥川のこういう姿には不思議と嗜虐心を煽られてしまう。
芥川はもごもごと口を動かしたまま、なかなか口付けるそぶりを見せない。
「はい。タイムアップ」
こつん、と太宰は額を弾いてやった。
「君は私とキスをしたくないと見た」
「えっ、あ、ちが……!」
「言い訳は聞かないよ。私は少し傷付いた」
平然と語ってみせるあたり、おそらく微塵も傷付いてなどいない。からかってそう言っているだけなのに、太宰の発言をどこまでも真面目に捉えてしまう芥川は落ち込んでしまった。
さっきまで嬉しそうに太宰の髪を洗っていたのに、途端にその表情は悲しげに曇った。
「……まあいいや。早く終わらせてよ」
「…………はい」
しょんぼりと返事をして、シャワーの湯が泡を洗い流した。
次は芥川が髪を洗われる番だった。
そのまま椅子に座ったまま、太宰へ向けて背を向ける。太宰は相変わらず湯船に浸かったまま、芥川の方を向いた。
「シャンプー取って」
指示されて、シャンプーのボトルを太宰へと手渡す。二度ほどポンプしてから、太宰は手の平でシャンプーを泡立てた。
それを芥川の髪へと馴染ませていく。
芥川の髪は短髪であるけれども、癖のついた柔らかい感触がした。この髪の触り心地が太宰は好きだった。
芥川へ向かって直接、髪について褒めたことはないけれど、別に褒める必要も無いと思っていた。
サイドの髪を後ろへ流して泡立てて洗う。毛先へ向かって白くグラデーションになっているその髪色は、いつ見ても神秘的で美しかった。どのあたりから白くなっているのか、興味深くてまじまじと観察してしまった。
それに気付いた芥川は細い肩を窄めた。
「……気持ち悪いですよね」
「なにが?」
「やはり染めた方が良いですか?」
太宰が後ろへ流しそびれて、ちょろっと垂れ落ちていたサイドの毛束。それを摘んで芥川は指先で弄った。白い部分を潰すように、ぐりぐりとさせる。
そんな仕草を後ろから眺めながら、太宰は手を止めることなく言い切った。
「必要ない」
「……え?」
ゆっくりと芥川が振り返る。目が合って見詰め合うと、もう一度太宰は唇を同じ形に動かした。
「必要ないよ」
キュッと蛇口が捻られる。シャワーの湯が芥川の頭上から降り注いだ。
その温かさを感じながら、芥川はこっそりと笑みを浮かべた。

その後は芥川も一緒に浴槽に入った。
男が二人で浸かるには少しばかり狭かったが、小柄な芥川は膝を抱えて太宰と向かい合った。
「……まだ、雨降ってるのかな?」
そんなどうでも良いようなことを呟きながら、太宰の手が芥川の頬を撫でた。
「芥川君は雨が好き?」
「……どちらかと言えば嫌いです」
「どうして?」
するすると滑る手。頬から顎を伝っていき、首筋をするりと撫でた。
「服が濡れてしまうから……」
「黒獣は水が嫌いなのかい?」
こくり、と芥川は頷いた。
「そうか……」
そう返しながら、太宰の手が腰まで辿り着く。芥川の細い腰へ手を添えて、ぐっと力を込めて抱き寄せる。
びしゃっとお湯が跳ねた。芥川の体が太宰めがけて倒れ込む。
咄嗟に芥川は太宰の肩へ手を着いた。
大きな目で見上げてくる顔を見下ろして、太宰は妖しい笑みを浮かべた。
「詰まる所、君は役立たずになる訳だ」
役立たず――その言葉は確実に芥川の心を抉った。傷付いた顔で俯いて、小さな声で「ごめんなさい」と謝る。
それで解放してやるほど、太宰は出来た人間では無かった。
芥川の体を抱き上げて体勢を変える。自らの腰を挟み込む形で芥川を膝に座らせると、離れないよう細い腰に腕を絡めた。
必然的に太宰よりも少しだけ目線が高くなった芥川は、不安そうな顔で太宰を見下ろした。
「けれど、役立たずでも役立たずなりの使い道はあるものだよ」
「んっ」
不意打ちで胸の飾りが摘まれる。
芥川の華奢で平らな胸に咲く申し訳程度の小さな粒。
それを引っ張ったり、弾いたり、押し潰したりする。健気にも弾力を増していくその反応に煽られた太宰は、芥川の首筋へ顔を埋めた。
ちゅっちゅっ、と音を立てながらキスをしていく。太宰の唇が薄い皮膚を吸引して離れる度に、芥川は小刻みに震えた。
首筋へ掛かる吐息。
舌の湿った感触。
その全ての刺激が、体のあらゆる箇所を性感帯として開発していく。
太宰という人間が触れた箇所が、ひとつずつ細胞を作り変えていくように。
太宰なしでは生きていけないような体へ、作り変えられていく予感がした。
そんな風に太宰から与えられる刺激を甘受していたら、
「……もうこんなになってる」
兆しを見せていた中心を握り込まれてしまった。
「っ、あ……!」
びっくりして体が飛び跳ねる。ばしゃっとお湯が跳ね上がった。
「ぅや……あ、あの……」
ぬるぬると先端を滑る指。割れ目に沿って撫でられて、窪みをくりくりと掻き回される。
「……や」
薄い眉の形を崩して、芥川は泣きそうな顔で自身を見下ろした。太宰の手が触れたことで、すっかり充血して硬くなってしまったそれを直視するなり、恥ずかしくて死にたくなった。
「……ぬるぬるしてるね」
透明を塗り付けるように円を描いて指が滑る。その度に新しい蜜がとろとろと溢れてきた。
「お湯に溶かしても溢れて止まらないなんて……随分とやらしい体になったじゃないか?」
追い討ちをかけるが如く囁かれる言葉。
自分の体の事なのに、制御できないやるせなさを感じて、芥川は自己嫌悪に陥った。
太宰の指先が先端を半分ほど覆っていた薄皮を摘んだ。ぐにっと引っ張って捲られてしまうと、少しだけ痛かったけれど我慢した。
先っぽを親指で押し潰しながら幹を握り込んだ手が上下に動かされる。体の敏感な部分が、大好きな人の手に包み込まれる。
背徳的であり、幸福でもある瞬間だった。
「あっ、だ……ざいさ……も、触らないで……、くださ……!」
お湯の中なのに容赦なく太宰の手は芥川を扱き続ける。身を縮める芥川の胸元へ擦り寄った頭が、ぷっくりと膨れ上がった胸の先にしゃぶりついた。
ちゅうっと強めに吸い上げてから、柔らかく歯で挟み込んだ。
「ぅ、う……お湯、汚しちゃい、ます……から、ぁ……!」
嫌々と首を振ってもやめてくれない。
与えられる刺激の全てが、腹の内側から快楽を湧き起こす。
下半身が甘く痺れる。
欲望が外に出たいと暴れ出す。
ガリッと強めに乳首を噛まれたのと、先端を爪が引っ掻いたのはほぼ同時だった。
「ひぃ、あ――!?」
強すぎる刺激に目を見開く。身構える余裕もなく、芥川は達してしまった。
白濁がお湯に放たれる。その光景に羞恥心が込み上げた。
芥川は顔を真っ赤にすると、堪え性のない自分を恥じた。
「あーあ。お湯、汚しちゃったねぇ」
「!?」
ばっと顔を上げて太宰を見る。
「子供じゃあるまいし、お風呂の中で粗相をしてしまうなんて恥ずかしいねぇ……」
にやにやと笑いながら、ふざけた口調で語りかける。
「……ぅ」
芥川は大きな目を潤ませて俯いた。途端に自分の体が憎らしくなった。
しょんぼりと肩を落として唇を噛み締める。今にも芥川は泣き出しそうだった。
「……芥川君」
呼ばれて顔を上げる。
太宰は何も言わずに芥川を見ていた。口角を上げて挑戦的に微笑む。
とてつもなくキスがしたくなった。
おずおずと芥川は身を乗り出して、ぎこちなくキスをねだった。
「だーめ」
ぐいっと肩を押し返されてしまった。
「さっき君、してくれなかったでしょ?」
「……ぇ」
「そんな物欲しそうな顔をしないでくれ給え」
両腕が腰に絡み付く。抱き寄せられて、今までよりも体が密着した。
肌と肌が触れ合う面が多くなった。
今までよりも鮮烈に、目の前の存在を意識してしまった。
芥川にとって唯一無二のかけがえの無い存在。大好きな人。
普段は片目が包帯で隠れているのに、今は二つの目が芥川を射抜いていた。その二つの目は芥川しか見ていなかった。

こんなちっぽけで、何の取り柄もない存在を、しっかりと両の目に映してくれている。
その事実がたまらなく嬉しくて、幸せで、胸が詰まりそうだった。

「……太宰さん」
太宰の顔を両手で挟み込む。こつん、と額をぶつけてからほとんど声に出さずに「好き」と呟いた。
「ベッドにいこうか……」
その誘いに迷うことなく芥川は頷いた。


髪を乾かす余裕などなく、濡れたままの体でベッドに転がった。
仰向けに寝転がる太宰の腰に跨って、芥川は打ち震えながらもぎこちなく腰を揺らした。
真下から突き上げられると、いつもよりも深く楔が突き刺さった。硬くて熱いそれをもっと感じたくて、ゆっくりと腰を上下に揺らす。
お腹の内側をごりっと抉られる感触がした。その度にお腹の中がキュンッと疼いて、内壁が太宰を締め付けた。
その大きさと形をリアルに感じてしまうと、余計に体が疼いてしまった。
気持ち良くて、どうしたら良いか分からなくなった。
「ぁ、う……だざい、さ……」
「なに?もっとちゃんと動いてくれないと、足りないのだけれど?」
「はう!?」
腰骨を掴まれてガクガクと揺さぶられる。体の中を滅茶苦茶に掻き回されて、強すぎる刺激に芥川は嫌々と首を振った。
「やっ、や……ぁ……!」
かくん、と体が倒れ込む。太宰の眼前に肋の浮いた胸板が晒された。その胸の先の小さな粒へ、れるっと舌が押し当てられた。
「あ……、んや……やっ……」
ちうちうと乳飲み子みたいに吸い付かれると、途端に愛おしさが込み上げた。そのぼさぼさの茶色の頭を掻き抱いて、抱き締めたい。そんな衝動に駆られた。
「はっ……!ひ、ぃ……」
体の中をぬるぬると滑る愛しい人の温もり。ぴったりと張り付いた粘膜から、ドクドクと脈打つ鼓動が伝わってくる。
まるで体の中に心臓がふたつあるみたいだ。心と体が繋がったみたいで、苦しくて、切なくて、愛おしくて、たくさんの好きに満たされる。
もぞもぞと手を動かして、太宰の髪を掴んだ。湿った髪を掻き撫でる。前髪を掻き上げたところで、太宰は胸元から口を離した。
ぺろり、と舌舐めずりをして芥川を見上げる。その唇が欲しくて、芥川も唇を濡らしてしまった。
太宰の手が伸びる。芥川の頬へ手の平を当てがう。すると芥川は嬉しそうに、その手の平に擦り寄った。
もっと撫でて欲しい。
太宰の手を握って、その手の温もりを噛み締めた。
「……太宰さん、太宰さん…………」
ただひたすらに太宰の名前を呼ぶだけ。
それだけでも芥川は幸せだった。
全身に愛しい人を感じて。
「ん、ん……」
ゆったりと腰を揺らす。腰を浮かせたら、屹立した先っぽから透明が糸を引いて垂れ落ちた。
白っぽいものが混ざったその粘液が太宰の腹部を濡らす。太宰はそれを掬い上げると、ぬめった手で芥川を握り込んだ。
「ぃや――!?」
思わず、芥川は腰を引きそうになってしまった。
「腰、止めるなよ?」
「ぁ、う……」
ぬちぬちと音を立てて太宰の手が上下に動く。そのリズムに合わせて、芥川は腰を動かした。
律動が激しくなる。
きゅうっと内壁が収縮して、それを押し返すように太宰の欲望が更に大きく膨れ上がった。その大きさと熱さに眩暈がした。
「んぅ、も……もう……」
だめ、と言い掛けたところで頭を引き寄せられた。唇の距離が近くなる。芥川の顔の横をすり抜ける唇。首筋に押し当てられてから、がぶりと歯が立てられる。
「んひ……、ぁ……だ、ざいさ……」
「ねぇ、芥川君」
耳元で囁き掛けて、太宰は芥川を強く抱き締めた。澄ました顔をしていながらも、太宰の心臓は激しく鼓動を刻んでいた。
「君の好きなように動いてごらんよ」
「え……」
突然の振りに芥川は戸惑った。
「どうぞ」
芥川から手を離すと、太宰は両腕を広げた。
「……本当に、何をしてもよろしいのですか?」
「うん」
頷く太宰の目に嘘の色は無かった。
その目の色を信じたい。
芥川は目を瞑ると、思い切って太宰へ口付けた。唇を尖らせて、ぎこちない動きで重ね合せる。
キスをすることに慣れていないたどたどしい仕草だった。
それは、太宰にとって興奮を掻き立てられるには充分すぎる刺激だった。
応えてやらない訳にはいかなかった。
唇の隙間から舌を差し入れて絡め合う。
ざらりと表面が擦れる。時々、歯がぶつかった。
次第に舌がピリピリと痺れてきて、全身の感覚が曖昧になってきた。もうそろそろ限界だ。
「んふ……!ん、ッ〜〜!?」
舌を吸い上げられたところで、芥川は絶頂を迎えた。ほぼ、同じタイミングで太宰も熱を吐き出した。
お腹の中に広がる温かい感触。幸せなのに泣きたくなった。
ぎゅっと強くしがみ付いて太宰に擦り寄る。太宰は何も言わなかった。
しばしの沈黙。
窓ガラスを叩く雨の音だけが響き渡る。
「さっき私は君に、雨が好きかどうか尋ねたよね」
「……はい」
「私は雨が好きだよ」
太宰が視線を流す。カーテンの隙間から覗く真っ暗闇。雨粒は夜の街の明かりを反射して輝いていた。
「もしかしたら、雨に乗って空から幸福が舞い降りてくるかもしれないからね」

空から落ちる雨の雫。
きらきらと輝いて地上へ降り立つ。
幸福を掴めるか否かは分からない。
それでも、今この時間に偽りはなかった。
雨に閉じ込められた世界。
幸福だけが降り注ぐ世界。
世界にたった二人きり――

「でも、今はこれ以上の幸せはいらないかな……」
微笑んだ太宰が手を握る。指と指が絡まって、離れないよう強く握った。
「……明日は晴れるといいなぁ」
「……そうですね」

雨によって運ばれる幸福。
この日、芥川は少しだけ雨を好きになった。



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