今年の始まりは全て君

(一体これはどういう状況なんだ?)
帰宅するなり、静雄は部屋の真ん中に佇んだ。
そっと見下ろす足元――真っ黒な物体が寝転がっていた。
「……おい」
呼び掛けてみるも返事はない。
床に蹲る形で転がるそれに静雄は溜め息を吐いた。

12月31日の夜のことだ。
休みが安定していない仕事柄、大晦日のこんな日でも静雄は仕事へ出掛けていた。夜遅くまで仕事をし、先程ようやく帰宅したのだ。
せっかくだから、トムや後輩のヴァローナと飲みに行っても良かったのだが、思ったより疲弊してしまった。
年越しくらいはゆっくりのんびり家で一人で迎えようとしたのだが、現実はそう甘くなかった。

静雄は手にぶら下げていたビニール袋をテーブルに置くと、ガサゴソと音を立てて中から缶チューハイを取り出した。
立ったままネクタイを寛げると、缶チューハイのプルタブを開ける。プシュッと爽快な音がして、音に誘われるようにして口付けた。
果肉入りの甘い苺味が口に流れ込む。
飲み下すと缶をテーブルに置いてその場にしゃがみ込んだ。
そして、
「おい」
もう一度呼び掛ける。
「ん……」
短い呻きのような声を微かに絞り出して、真っ黒なそれが身じろぎをした。
いまだ蹲ったままのそれに、静雄の眉がぴくりと跳ねた。
「いーざーやーくーん?なに勝手に人ん家に上がりこんでんだ?あ?」
「…………」
無反応。
イラッとした静雄は目の前の肩をがしっと掴んだ。
ぐいっと引き寄せると、臨也の体が仰向けになる。黒い髪がさらりと揺れて、襟足が色白の首を掠めた。
すーすーと規則正しい寝息を立てて、臨也は眠っていた。
そんなことよりも、静雄はあるものに釘付けになった。
臨也の手に握られていたもの。さっきまで蹲っていたせいで隠れていたから気付かなかったけれど。
臨也は静雄のシャツを握り締めていたのだ。静雄の部屋にあった、洗濯をして折り畳んでいたシャツを何故か臨也が手にしていた。
「……テメェ」
奪い返そうと静雄がシャツを掴む。そのまま引き抜こうとしたら、臨也は反対側へ寝返りを打って静雄からシャツを遠ざけた。
さらにイラッときて、臨也の体に覆いかぶさるようにして反対側を覗き込む。
すると今度はまた反対側へ臨也は寝返りを打った。
(こいつ……本当は起きてるんじゃねぇか?)
そんなふうに疑いながら、臨也の顔を覗き込む。
しっかりと閉ざされた瞼。その裏側では大きな目玉がきょろきょろ動いて、夢でも見ているのだろうか。
(……ほんとに黙ってると人形みてぇに綺麗な顔してるよなぁ)
寸分の狂いもないくらい、精巧に整った顔。思わず静雄は見惚れてしまった。
耳をすますと、うっすらと開いた臨也の唇から吐息が漏れ落ちた。
「人のシャツなんか抱いて眠りやがって……」
そっと人差し指で前髪を掬ってみる。まるで毛並みの良い子猫みたいに触り心地が良い。
「っ、たく……」
呆れたように呟いて、静雄は自らの前髪を掻き上げた。
床に寝られたら邪魔だ。
仕方がないから、臨也をベッドへ移すことにした。
そのまま抱き上げてみる。
ふわりと持ち上がる臨也の体。
力持ちの静雄にとって、人の体の重さなんてたいしたものじゃない。
それでも何か違和感のようなものを感じた。臨也を抱っこしたまま首を傾げる。
依然、臨也は眠ったまま。
その寝顔へ向けて問い掛ける。
「もしかしてお前、ちょっと重くなった?」
ぴくり
腕の中で臨也の体が跳ねた気がした。
構わず臨也の体をベッドへ寝かせようとしたら、
ぎゅっ
臨也が抱き着いてきた。
静雄の首に腕を絡めて、その耳元で弱々しい声で告げる。
「…………シズちゃんのあほ」
「あ?」
「太ってなんかないよ!」
そう叫んで臨也は体を突き放した。
キッと静雄を睨む目が心なし潤んでいるように見えた。
「ほんとにシズちゃんってデリカシーないよね」
嫌い、と言って臨也は顔を背けた。
「あほ」だの「デリカシーない」だの散々な言われようだ。静雄が黙っているわけがない。
身を引こうとした臨也の腰を抱き寄せて、近い距離で睨み合う。
「狸寝入りなんかしやがって……」
「気付かないシズちゃんが馬鹿なんじゃん?」
「最初からか?」
「シズちゃんがシャツに気付いたあたりから」
シャツという単語を聞いて思い出した。臨也はまだシャツを握り締めたままだった。
「返しやがれ」
今度は簡単に取り上げることが出来た。
臨也は少しだけ不満そうな顔をしていたけれど、静雄はシャツを奪い返すとすぐに鼻を押し当てた。
すんすん
においを嗅いで顔を顰める。
「くせぇ」
「煙草のにおいじゃないの?」
「ちげぇよ」
ぐぐっとさらに臨也の腰を引いて体を密着させる。あまりにも近い距離で、静雄が真剣に見詰めてくるものだから、不覚にも臨也はドキッとしてしまった。
しかし、そんなドキドキも束の間。
今度は、静雄は臨也の首筋に鼻を近付けてきたのだ。すぐに「すんすん」と鼻を鳴らしてにおいを嗅ぐ。
「……やっぱり」
「な、なんだよ」
「テメェのにおいが移った」
ギロリと鋭い眼光を向けられる。そしてまたすぐに、静雄は臨也の顎の下あたりに顔を埋めた。
「ちょ、っと……やだ!やめろって……嗅ぐな!」
なんとか体を引き剥がそうとするもののびくともしない。臨也が突っ張る腕の倍の力で静雄が抱き締めてくるのだ。
「あー、くそ……くせぇ」
「くさいなら嗅がなきゃいいじゃん……もぅ……」
どうにも出来ずに、臨也は思い切って静雄の頭を抱きかかえた。
わしゃわしゃと髪を掻き混ぜるみたいにして撫でながら、金髪の頭を見下ろした。
「なんだかんだ言ってシズちゃんって、俺のにおい嗅ぐの好きだよね」
「うるせぇ」
「俺もシズちゃんのにおい好きだよ」
ふいに静雄が顔を上げた。
その顔にやんわりと微笑みかけると、臨也はチュッと額にキスをした。
何も言わず睨み付けてくる静雄の顔がじわじわと赤くなっていく。
「ん……シズちゃん」
甘えたな吐息を漏らす臨也をそのままベッドへそっと倒していく。
今度はさっきとは違う。臨也はちゃんと起きている。
気の強そうな大きなつり目で挑発的に静雄を見据えて。
その目を憎たらしいと思いながらも、どうしてか静雄はその目から離れられない。
「……臨也」
名前を呼ぶと臨也の手が頬に触れる。
導かれる形で静雄はゆっくりと唇を重ね合わせた。
唇がくっついている間は目を瞑って、離れると目を開く。
見詰め合ってからまた口付けて、何度か同じようにキスをした。
「ふふ」
「……んだよ」
キスの後はなんだか気まずい。
静雄は恥ずかしそうに頬を染めて視線をきょろきょろさせた。
「シズちゃんの初ちゅうもらっちゃった」
「は?」
「今年初でしょ?キスするの」
そう言われて気が付く。
部屋の時計を見やってみれば、時刻は0時を過ぎていた。
一年が終わった。そして新しい一年が始まった。
「……俺もだ」
「なにがだよ?」
「初めて」
臨也の方を見やってみれば、珍しくあどけない顔をしていた。色白の肌を火照らせて、静雄と見詰め合う。
「今年初めて会ったのがシズちゃんで、初めてのキスもシズちゃんだ」
へにゃりと笑う臨也の顔が憎たらしいくらい可愛くて。
本当は殺してしまいたかったのに出来なくて。
代わりに潰さない程度に力一杯抱き締めた。
「……反則だろ、そういうの」
掠れた声で項垂れる静雄の頭が肩に埋まる。その頭をぽんぽんしながら抱き返して、臨也は笑顔を浮かべた。
「そうだ、テメェ……」
思い出したように静雄が体を起こす。
「太ったのか?」
「なっ……!?だ、だから太ってないって!!体重は変わらないもん!!」
「いいや。重い」
きっぱりと言い切られてしまうと、さすがの臨也もショックだった。
「確かめてやる」
「あっ……」
静雄の手が体を這う。
ごつごつした大きな手が無遠慮に体を撫で回して、コートとシャツの間を探る。
その時、カシャンッと音を立てて床に何かが落っこちた。
音のした方を見てみると、ナイフがひとつ転がっていた。どうやら臨也のコートの裾から滑り落ちたようだった。
「……おい」
静雄の声がさらに低くなる。
掠れた低い声音に不謹慎にも臨也はゾクゾクした。
「テメェはよぉ……今日は何個ナイフ持ってきたんだ?あぁ?」
「ははは。シズちゃんってば怖い顔。のんびりしてたら去年が終わっちゃったよ」
やれやれといったら顔をして臨也は平然と言葉を続ける。
「俺が去年唯一やり残したことといえばシズちゃんを殺しそびれたことだからね。色仕掛けでシズちゃんを油断させてからナイフで刺し殺す計画だったのに残念だ……」 
そう言いながらも、臨也はほんのり期待していた。
静雄の目の色が変わるのを。
「ちょうどいいぜ、臨也くんよぉ?何個ナイフ持ってきてんのか知らねぇがボディチェックだ」


今年初。
色々あるけれど恋人同士なら当然やっておきたいことがある。
そう、姫はじめ――
そこに至るまでにも、大人になると辿り着くのは遠い。
特にこんなふうに嫌い嫌いと言いつつも惹かれ合う二人なら尚更だ。
新しい一年は遠回りではなく近道でいきたいところだけれど。
どうやら今年も上手くはいきそうにない。



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