ハッピー・ドロップアウト

幸せはたくさん求めすぎたら駄目な気がする。いつかバチが当たりそうで怖い。
幸せすぎて怖い。
それでもやっぱり好きだから、もっと欲しいと思ってしまうことはいけないことなのだろうか。


「あー……ひさしぶりの赤ちんだぁ」
紫原の腕にギュッと抱き竦められたまま、赤司はじっと黙っていた。
ゴールデンウィーク。東京へ戻ってきた赤司と紫原はひさしぶりに会うことができた。
とりあえずは赤司の家にて、赤司の部屋でしばし二人だけの時間を過ごすことにしたのだ。
二人きりになった途端、紫原の長い腕が赤司の体を絡め取って抱き締めた。愛しい温もり。感じた途端に赤司は泣きそうなほど嬉しくなった。
普段は人の上に立つ存在である赤司が、唯一身を委ねて甘えられる存在――それが紫原だった。
遠距離恋愛はやっぱりつらい。
会いたい時に会えないし、触って欲しくても触れない。
だからこそこんなふうに触れ合えるだけで、赤司は心臓が爆発しそうなほど苦しくなってしまうのだ。

「……敦、くるしい」
「あっ、ごめんね」

紫原が腕の力を緩める。さっきまでぴったりと密着していた体がわずかに離れると、触れていた部分が寂しくなった。
たまらずに赤司は紫原の服を掴んで擦り寄った。真っ赤な顔で遠慮がちに頭を擦り付ける。様子を伺うように紫原へ上目を向けると、そっと伏せてから体を離した。
「ごめん……」
それだけ言って、赤司は離れようとした。が、紫原が肩を抱いて抱き寄せる。
紫原も顔を赤くして、ギュッと目を瞑って首を振る。
「う〜……やっぱりひさしぶりだし、もっとこうしていたいよぉ」
「……うん」

幸せ。
こういう時、すごくそう感じる。
今、自分は幸せなのだと。
幸せだけれど、同時に不安にもなる。
この幸せは永くは続かない。どうせ2、3日後にはまた離れなければいけないのだから。
――この恋はとても不毛だ。
それを感じると赤司は悲しくなった。
世の中の恋人達はみんな幸せそうにしているのに、どうして僕達は同じようにできないのだろう、と。

「赤ちん」
紫原があどけない顔で覗き込んでくる。その目を赤司はまっすぐに見据えた。
「ひさしぶりに会ったんだし、赤ちんオレにして欲しいこととかない?」
「……敦にして欲しいこと?」
「うん」

紫原にして欲しいこと。
赤司は考える。
(抱き締めて欲しかったけれど、それはもうしてもらってるし……。じゃあキス?――突然たのんだらおかしいかな……?本当はそれ以上のこと、してもらっても構わないけど、でもこんな早くにそんなこと求めるなんてがっついてるみたいだし……)

「…………」
頭の中でぐるぐると色々なことを考えて、赤司はふるふると頭を振った。ゆっくりと顔を上げると、震える唇で告げる。
「……気持ちだけもらっておくよ。ありがとう」
「えー」
「僕はお前がこうしてそばにいてくれるだけで幸せだから」
「ほんとに?」
「ああ」
紫原が、じとーっとした目線を向けてくる。
「赤ちんうそつきだし」
赤司のことをしっかりと見詰めて囁きかける。
「泣きそうだよ?」
こてん、と頭を傾けて尋ねてくる紫原のせいで赤司は視界が滲んだ。
「……だって」
紫原から顔を背けるようにして俯くと、申し訳なさそうに身を縮めた。
「あまり求めるとバチが当たりそうで……」
「なんで?」
「今が幸せだから、これ以上幸せになってはいけない気がして……」
言いながら赤司は惨めな気持ちになった。この恋は惨めだ。いつだって後ろめたい。
恋をすることは悪いことじゃない。
それなのに、真面目な赤司はこの関係を素直に喜べずにいた。なんだか悪いことをしている気分になるからだ。
そんな赤司の胸中を察してか、紫原が真剣な面持ちで問いかける。

「赤ちんとオレは悪いことしてるの?」
「……え?」
「赤ちんが幸せになるのはいけないことなの?」
紫原の柔らかい前髪が揺れて、目元が露わになった。隙間から現れたその目は切れ長で、鋭い光を放っていた。
「オレは、バチなんて当たらないと思う」
赤司の短い前髪を、紫原の長い指が梳く。
「赤ちんは頑張ってるんだから、もっと幸せにならないと」
「……でも」
紫原からそう言ってもらえるだけで、充分幸せだ。赤司の胸の内に温かいものが広がっていく。
「今が幸せすぎるとだな……。後で絶対に後悔するから」
「どうして?」
「離れた時に余計さびしくなるだろう……?」
瞳を潤ませて赤司が見上げる。その表情に目を見張ると、紫原は優しく頭を撫でてやった。
「オレだって寂しいのは同じだし。でも、だからこそたまにこうして会えるだけで普通よりも何倍も幸せだって思えるんじゃん?」
「……ぅ」
こういう時、紫原はすごく大人だ。達観していて、赤司よりも先を見ている。会えなくて寂しいと思ったその先のこと――寂しかったけれど会えて嬉しいと思える奇跡。
「ね?赤ちん……」
「……うん」
今がこんなに嬉しいのも、ずっとずっと寂しかったからなのだろうか?




紫原の手が頭を撫でから頬を滑る。くすぐったいのと、もどかしいのと、嬉しい気持ちで赤司はギュッと目を瞑った。
ふにっ、と親指が上唇を持ち上げる。
「……ん」
なんだかすごくキスがしたい。
けれど言葉に出来ない赤司は、ただ上目を向けるだけ。紫原のもう片方の大きな手が、シャツの下に滑り込んできて胸を撫でた。
「ぁ……」
「赤ちん汗かいてるし」
赤司の肌はしっとりと汗ばんでいた。心臓の位置に手の平をそっと押し当ててみると、トクトクと心臓が早る音が伝わってくる。
「赤ちんがお願いした通り、赤ちんのことたくさん触ってあげるね……?」
顔を覗き込まれてしまって、赤司は唇を引き結んだ。
赤司のお願い。それは――

『敦にたくさん触って欲しい』

敦の体温、脈拍、指の感触、大きな掌。
その全てが愛おしかったから。

「……赤ちん、舐めるのはだめ?」
「あ、ぅ……」
襟足のあたりで囁かれて、赤司は困ったように視線を泳がせた。紫原の甘い吐息が首にかかる。その吐息を辿っていけば、熱く熟れた舌が待っている。想像した途端、赤司は身震いがした。
こくり
小さく赤司が頷く。待て、を解除された飼い犬みたいに紫原は赤司の首筋を舐め上げた。
ねっとりと舌が這う。唾液の、びちゃっと鳴る音とか、時々漏れてくる紫原の吐息混じりの短い声とか。
(困ったな……。触るだけって言ったのに)
触ってもらうだけで、それ以上のことは望んでいなかった。そのはずなのに、下半身がズクズクと痛い。
「あ、つし……ちょっと待って……」
「んあ?」
体を押し返されて、紫原は不満げな顔をした。
「なに?」
「あの……、その」
これ以上されたら我慢できそうにない。だから気持ちを落ち着かせようとしたが、次に繋げる言葉が上手く出てこない。
出来の良い頭をフル回転させて考えてみても、こういう雰囲気の中で気の利いた言葉が分からない。
赤司が黙ったままでいると、焦れた紫原が指先を赤司のズボンのウエストに引っ掛けた。
「あっ!だめ……」
そのまま下着ごと引っ張られる。中から屹立したものが、ピンク色の先端を揺らして暴かれた。
「触っただけなのにもうこんなんなっちゃうとか……。赤ちんてばどんだけエロイことしたかったんだし」
「ち、ちが……!」
声を震わせて、赤司はそれを必死に隠そうとした。けれど、紫原がそうはさせない。
「先っぽ、うっすら濡れてるし。えっちなことしたいなら『したい』って言ってくれればいいのに。オレだって――」
言い掛けたところで、ふいに紫原の体が揺らいだ。座っていたはずなのに、体が後ろに傾いてしまったのだ。
ハッとして赤司を見る。
赤司の左目が金色に輝いていた。
どうやら天帝の眼を使われたようだ。
やがて、その金色が褪せていく。褪せると同時に潤みを帯びる。
うるうると瞳を潤ませて、赤司は顔を真っ赤にして俯いた。
「……っ〜〜!!」
「え!ちょ、赤ちん……!?」
そのまま赤司は部屋を去って行ってしまった。



「ひ、……くぅん。えぐ……」
トイレにこもると赤司は一人、涙を零した。
(恥ずかしい……、死んでしまいたい)
せっかく良い雰囲気だったのに台無しにしてしまった。
どうして自分の体はこんなにも融通が効かないのだろう。じんじんと熱を帯びて疼く自身が恨めしい。
こういう時、女の子だったらこうはならないのにと思う。残念ながら自分は男だ。気持ち良いという感覚に弱い。形を持って反応してしまうのだから。
(気持ち悪いって思われたかな……)
ひさしぶりに会ったのに、ふしだらなことを考えてしまった自分に紫原は幻滅してしまったかもしれない。
そう考えれば考えるほど、赤司は涙が溢れて止まらなくなった。
おかしいな。なんでも出来てしまうはずの自分が、こういう時に限って何も出来ないなんて。
コンコン
トイレの扉がノックされた。
「赤ちーん!大丈夫?」
「…………」
何も返せず、赤司は唇を噛んだ。さっきから涙ばかりが溢れて止まらない。
「怒っちゃったの?それともお腹痛いの?」
心配そうに尋ねてくる声が余計に痛い。
「ねえ、赤ちん。返事して――」
いつまでもトイレに引きこもってばかりではいけない。思い切って赤司は扉を開いた。
隙間から顔を覗かせると、紫原が心配そうに見詰めてきた。
「大丈夫?」
「……ああ」
ぱたん、と後ろ手に扉を閉める。赤司の髪を優しい手つきで紫原の指先が掬い上げた。
(敦は優しい……)
不器用な大きな手。その手がくれる温もりはいつだって優しい。
「……ごめんな、敦」
「ん?」
「気持ち悪い、……よな。こんなの」
ごめん、ともう一度謝って赤司は下を向いた。真っ赤な髪の襟足から覗く白いうなじ。紫原が見下ろす。
「別に気持ち悪くないし」
「でも、僕――」
「触ってもらえて嬉しかったんでしょ?」
「え……?」
赤司が顔を上げる。その頬に触れてから、紫原は指先で赤司の睫毛を撫でた。ふさふさの睫毛は涙で濡れていた。その涙の温かさが胸を締め付ける。
この涙が温かさを失わないうちに――

「それって赤ちんがオレを好きだってことだよね」

へにゃっと笑いかける紫原。赤司が目を丸くする。
「好きだから、触ってもらえて気持ち良かったんだよね?」
「……それは」
ちゅっ
不意打ちで唇を啄ばまれてしまって、びくっと赤司は肩を震わせた。
「オレはもっと触りたい」
「っ……!」

何も言えなかった。
何も言えなくなった。
だってこんなの、どう返したらいいんだろう?
こんなにたくさんの「好き」をもらって。
一度に消化するなんてこと、勿体無くて出来るはずないのに――




さっきから体の内側から水音が響いている。体を開かれる度に、また違った粘ついた音が聞こえる。
「あっ、あつし……!も、……なかやだ」
「えー。だってたくさん触って欲しいって言ったの赤ちんじゃん?」
「そうだけど……からだのなか、やっ……!」
捻じ込まれた二本の指が、ぐるりと中の粘膜を掻き混ぜる。ぐちゅっという音が響いて、恥骨の裏側がキュンキュン疼いた。
「んっ、ぅ〜ッ!」
体の内側をしつこく弄られるが、どうしても物足りない。
赤司は切なげな顔をして、自らの体を見下ろした。そんな赤司を見やった紫原は何を勘違いしたのか、もう片方の手を伸ばしてその先にあった乳首を摘んだ。
「あっ!や、やぁ……!」
赤司が体を捩らせてみせるが、その反応が余計に紫原を煽り立てる。
思い切って三本目の指を突き入れた瞬間、赤司は呆気なく達してしまった。
「ひ、あッ――!」
びゅるるっと白濁が飛び散る。その飛沫は赤司の腹を汚した。
粘つくその液を指で掬って眺めた後、紫原は赤司を見やった。
どろどろした濁った液体。
こんなものが赤司みたいな綺麗な人間から放たれるなんて。
そのギャップがたまらない。
「……全く赤ちんはさぁ。ほんとに無意識にオレをたぶらかすんだから」
「そんなつもりじゃ……」
先に達してしまったことに後ろめたさを覚えたのだろう。
赤司は萎れた自らを、じっと眺めてから泣きそうな顔をした。
そしてとんでもないことを言い出した。
「――……いらないよな、これ」
「へ?」
「なんで僕、男なんだろう……」
ぼろぼろと大粒の目から涙がとめどなく溢れ出る。
「僕が女だったら、もっと敦と幸せになれるのに」
「ちょっと、赤ちんどうしたし……?」
「敦だって嫌だろう?こんなの」

幸せは求めすぎてはいけない。
きっとそれは罰なのかもしれない。
赤司にとって、何でも出来てしまう赤司にとって、唯一与えられた不幸なのかもしれない。

「……赤ちん」
紫原が赤司を抱き上げる。
力を込めて抱き締めて、赤司の後ろ頭をあやすように撫でてやる。
「そんなこと言わないでよ……!赤ちん」
なんて心地良い温もりなんだろう。
それだけで溶かされてしまいそうなくらい幸せな気持ちになれる。
「赤ちんは今が幸せじゃないの……?」

(あ……)

気付いた途端、赤司の見開いた目から涙の雫がこぼれた。
綺麗な形の雫。
まるで幸せを形にしたみたいに。

今、僕は幸せなんだ。
だから怖くなるんだ。
幸せを求めたいんじゃない。
幸せだから怖いんだ。

失ってしまったら、きっと取り返せないから。




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