結局おとなしく戻るほかなく、俺はざわついた教室をかきわけるようにして自分の席に戻った。 いやなに、しょせんただの美少年。関わらなければどうということは… 「佐倉くん」 「はいっ?!」 ふと右隣から品のいい声で呼ばれ、思わず声が上ずった。 俺の名前を呼んだ右隣の美少年は、少し恥ずかしそうに目をふせたりあげたりしたあと、ようやく俺の目をみた。 「放課後でもいいんだけど、学校案内、してくれないかな?」 「学校案内…あっそうか、そうだよな…って俺が?」 「うん、」 隣になったのもなにかの縁だし、と、夏目がまた微笑む。 今にも立候補しそうだった女子たちの視線が痛い。ごめんなさい。 ただでさえ隣なんていうS席をちょうだいしたというのに、今度は王子じきじきのご指名。 ていうか俺なんかでいいのだろうか。 でもまぁ教室移動なんかのときには隣の俺が案内したほうがいいよな。 「次教室移動だし、まだ時間もあるし…軽くウロチョロする?」 「いいの?ありがとう!」 …なんていうか、この美少年が笑うたびにあたりに花でも咲いちゃうんじゃないかと思ってしまう。 ふわあっと。ふわあっと。 女子たちの視線と男子どものざわめきを背中に、俺たちは教室を出た。 職員室、保健室、体育館、実習室、学食、おおまかなところはだいたいまわった。 なんにでも興味を示す夏目に何かと質問をされて俺はしどろもどろだった。 ていうか少し廊下を歩いてるだけなのに、夏目への視聴率がすごい。 そりゃそうですよね。 当の本人は気づいてるのか気づいていないのか、それでもニコニコしながらあとをついてきてくれる。 「えーっと、ここがトイレな。…って、」 トイレなんて見るものないよなーなんて次に行く場所を考えていると、夏目がふとトイレの前で足を止めた。 「なつかしいね」 「……なつかしい?」 うん、と夏目は恥ずかしそうに微笑んだ。 「だってほら…覚えてるでしょ?」 「え」 「え」 シン、と沈黙が流れる。 覚えてる?という、初対面のはずの美少年の言葉が頭の中でエコーする。 エコーするだけであって、俺の記憶の中では夏目かおるという名の美少年は抽出されないままだ。 トイレの前で見つめ合うふたり。 いやおかしい、やばい、なんとかしなければ、でも全然覚えがない。 「…佐倉くん、僕のこと覚えてないの?」 いぶかしげに夏目が眉を八の字にして俺の顔をのぞきこんだ。 のぞきこむとかお前それ女子の前でも同じことできんの?秒殺だよ? いやいやそんな場合じゃない、全然思い出せない。 ここは正直に白状したほうがいいか… 「…うん、ごめんわかんない、ていうか前に会ったことあるっけ…?」 恐る恐る頭をかきながらそう言うと、夏目は悲しそうに目をふせた。 「小学4年生のとき…僕と同じクラスだったの覚えてない?」 「小学…」 内心、ドキリとした。 小学といえば、俺の唯一の黄金時代だ。 あの頃の俺は学年こえても人気があったし、女の子からもそこそこモテてたし、なんていうかもう…今と比べたら切なくなるくらいにリア充だったわけだ。 そんなわけで思い返すと今と比べちゃってちょっぴりセンチメンタルになるため普段は思い出さないようにしてるが… 「あのとき、僕、佐倉くんに助けてもらって…」 「えっ…助けたの?俺が?」 コク、と夏目は小さくうなずいた。ふせられた長いまつ毛に、本当こいつ美人だななんて考えていると。 「僕ずっと、いじめられてた、から」 瞬間、俺の頭ではものすごい速さで情報収集がなされ始めた。 小学4年、いじめ…そうだ。 小学4年の蒸し暑い夏、 トイレのある個室の周りに悪ガキどもが集まってて、よってたかってその個室に靴投げ込んだりバケツで水ぶっかけたりしてた。 それだけなら何やってんだこいつら、と思っただろうけど、 その個室から泣き声が聞こえてきて。 それを聞いた俺は止めなきゃと思ってとっさにホース使って悪ガキどもに水ぶちまけてやったんだっけ… 逃げ出した悪ガキどもが使ってたつっかえ棒どかしてその個室のドアを開けたら、小さくてほそっこくて、女の子みたいな可愛い顔した奴が震えながら泣いてて…… そういえば、そのときのそいつの目って、こんなふうな…って 「………お前、トイレの」 「思い出してくれた!?」 夏目はぱぁっと花が咲きそうなくらいの笑顔で、明るい声をあげた。 「そう!トイレでいじめられてたんだけど、佐倉くんがいじめっ子を追っ払ってくれて…!」 やっぱりそうだったようだ。 それにしても全然気がつかなかった…だってこいつ、あのときよりずっと背は高いし、モヤシでひ弱そうだった体も適当に筋肉がついてなんだか頼もしいし、何よりこんな美人だし、あの頃の面影なんて全然ない… 「あのあといじめがひどくて結局すぐ転校したんだけど、その…戻ってきたんだ、去年」 「そっか…でもこっち戻ったらまたいじめられたり…」 「ううん、全然!空手とか習ったんだけど、必要なかった」 だろうな。 イケメンいじめるなんて損するだけだもんな…はは… 「心配してくれるなんて嬉しい、佐倉くんやっぱりあのときのままだね!」 「うっ…ええ?いや、まあその…ぼちぼちね」 ギクッとして苦笑い。 あのときのまま、かあ…そうならいいのだが、小学卒業後の俺なんてパッとしない平凡くんだ。 人気者にもなれないし、もちろん女の子からなんてモテるどころか滅多に話し掛けられない。 「ああなんか悲しくなってきた…」 「え?」 「ごめん、独り言。」 あぶない。 切なさという負のスパイラルに陥るところだった。 俺のセンチメンタルな気持ちを無視して、夏目はモジモジと続ける。 「だからね…また会えて嬉しかった。今もずっと佐倉くんが僕のヒーローなんだ」 「え、あ、いやでもあの…なんていうか…あのときの俺とは全然違うっていうか」 ヒーローだなんておおげさな、と苦笑する。 「違わないよ!」 そう力強く言うと、夏目は俺の手を両手で包むように握った。 そしてまっすぐ目を見つめて、 「恩返しさせてほしいんだ」 ぼくのヒーロー |