∵猫を飼う。03


大騒動のあとの静けさなのか、「今日は疲れた。もう寝る」と言い残して、瞬にいは自室へ戻っていった。
その背中がどこか小さく感じて、本当に心配させてしまったんだなとなんだか心が痛んだ。


「ごしゅじんさま、お体は、だいじょうぶですか?」


はっとしてみると、こちらも心配そうに少年が見つめていた。
この年になって、こんなチビに心配される俺…瞬にいのことも相まってなんだかダブルパンチだぞ。


「大丈夫大丈夫。いつものことだし。それに、あんなでも血が出るような殴り方はしねんだ、瞬にい」

「血ならでてます!ほらっ」


え、と指さされたほうを見れば、確かに腕から血が滴って…って、
そういえばさっき瞬にいに詰め寄られたとき、こいつビビって俺にすがりついたんだっけ。
ほんと、爪といいあの力といい、全然容姿に見合わねぇなあ。


「これはお前がさっきすんげぇ力で握ったからだろ…」

「ぼくですか!ご、ごめんなさい」


しょぼんと少年が下を向くと、同じように猫耳も下を向く。なんなんだまじでこの茶番的なカラクリは…
あれか、最新鋭の、心の状態と繋がってますとかいうシステムなのか。しかしエロオヤジが丹精込めて作ったと思うと胸が熱くなるな。


「いいって、こんなん舐めときゃ治るから。つかお前こそ自分のしんぱ…」

「なめるとなおるんですか!」


少年の顔が瞬く間に明るくなった。
いやいや、そういう言葉があるってだけで…と説明しようとしたが、少年の頭の耳には届きそうもなく、俺の腕に顔を近づける。
あー、やるやる。こいつ本気で舐めるよるわこれ。
と、少年が傷口を舐めた瞬間。


「ってぇえ!!」

「えっ、えっ!?」


激痛だった。傷口が開いたかと思った。いやもしかして広げたのか?!
エロオヤジになんてテク教わってんだ!!

おどおどしつつまた舐めようとするからさすがに焦ってとめた。
少年は俺の大きな声に驚いたのか、目をまん丸くしている。


「今すげぇ痛かったんだけど!」

「あ…ぼ、ぼくの舌ですか?ジョリジョリするから…」

「え、なんで!?なんでそんなシステムなの!?趣味でやってんの!?」


少年は戸惑っているのかわたわたとしている。はっとして見るとその瞳は少し悲しそうで、ちょっときつく言い過ぎたかと罪悪感が芽生えてしまう。
なにやってんだ俺…こんなガキ相手に。
舌の構造が人と少し違うくらいで何をカッとなって…


「だってぼく、ねこだから…」


とりあえずいったん腕をしまい、立ち上がる。で、少年に正座するように言って向かい合う。
静かになったリビングに、時計の音だけが響いている。ふと窓の外を見ると雪が降りだしていて、明日の朝は道路が凍ってしまうかもなぁなどと考える。
時間をみれば夜中の12時をまわっていて、こいつを拾ってからもうだいぶ時間が経ったんだなと思わせられる。

そして大きく息を吐き、少年を見つめて。


「……今、お前はさらっと、本当にさらっとすごいことを言ったよ。」

「わ、わからないです…」

「自分のことをね、猫だって言ったと思うんだけどね」

「そのとおりです…どこか、おかしいですか?」


おかしいっていうレベルではないんだなこれが!!

少年はきょとんとしながら俺の顔を見ている。なんとなく忘れていたけどこいつは電波だ。電波なんだけど、度が過ぎる。
はぁ、とひとつため息。


「さっきも言いかけたけど、お前、本っ当に自分の心配をしなきゃだめだぞ!」


ビッ!と少年を指差せば、まるで自分に言われたと気づいてないようににこっと笑う。
全然わかっちゃいねぇようだ。
しかし世の中そんなに甘くない。


「瞬にいの反応をみるに、お前とは暮らせない!」

「くらせ…ない…?」

「一緒にいられないってこと!」


俺のその言葉を聞いて、少年は途端に顔色を変える。
そしてまた腕をつかまれ、例のごとく爪を目一杯たてられる。
いてぇ!と言う前に、少年がまくしたてる。


「いやですっ!ぼく、ごしゅじんさまといっしょじゃなきゃ、いやです」


あまりの勢いに圧倒されそうになるが、ここは押され負けするわけにはいかない。
俺も意地になって腕を振り払う。


「だあーかーら、だめっていったらだめなの!できないの!不可能なの!無理ゲーなの!」

「むりげー…」


しゅん、と効果音でもつくんじゃないかってほど耳が垂れる。
うう、なんだろうすごい心が痛む。
もとはと言えば俺がついてこいなんて言っちゃったのもあるし、やっぱり俺のせいなのか?!


「う、お…俺だってなんとかしたいけど、俺が養うっていってもここではたぶん一緒に暮らせない。よって!お前はどこか新しいご主人様のとこに行くか、前のご主人様のとこに戻るっきゃねえの!」


「他のごしゅじんさまなんていません!!」


初めてこいつの大きな声を聞いて、思いの外どきっとする。
見ると、毛を逆立てるみたいに髪も耳もたっていて、瞳は今にも涙が溢れそうだった。


「ぼくのごしゅじんさまは、あなただけです!いまもこれからも、ずっと!」


そう言うと、途端にうわあああんと声を上げて泣き出した。
あまりに突然のことにぎょっとする。


「わーかった!ごめんごめん、ちょ、あーあー鼻水が…もーなんなんだよー!!」


耳も鼻水も垂れっぱなしだし、小さい子供みたいに際限なく泣きわめくしで、思わず抱き締めてポンポンする。
小さい子供みたいに、って、こいつまだ子供なんだよな。いや、ねこ?子供の猫だから仔猫?なんかもうよくわかんねぇよ…

数十分泣きわめいて、グズグズという音にかわる。
少し落ち着いたかと思いひとまず安心する。思えば子供と接することなんて今の今まで一度もなかったなーなんて思う。


「なぁ…何があったかよくわかんねぇし、俺はその、自分がご主人様になるとか想像できねぇけど、…お前がきちんとしたとこで安心して暮らせるように助けることはできるから、それまでは……って」



やけに静かになった少年を見ると、目と鼻のまわりを赤くしたまんまスヤスヤと寝息をたてていた。
な、なんて気分変動の激しいやつ…

ちょっと鼻をつまんでやると、う〜んと唸ってまた寝息をたて始めた。


よくわかんないことばっかりだけど、なんとなく、簡単にはこの少年と離れられないような気がしたのだった。


「げ、服…鼻水だらけ」



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