内側も外側もまるで倉庫のようにコンクリート塗りの家、いや、屋敷だろう。この冷たさには何度来ても慣れることはない。
無機質なそこに虎尾さんの笑い声や話し声が響き渡るおかげで、その冷たさが少し和らぐくらい。
突き抜けるような高い天井と、右手には鏡が嵌め殺された壁、左手には傷ひとつないガラスで仕上げられた障子。その先にある手入れのされていない庭園が、やけに整った内側との世界の違いをありありとさせていた。
虎尾さんの話に適当に相槌を打ちながら少年をちらりと見れば、昨日以上に顔色は悪く小さく震えているようにも見える。
「ビビるよなぁこんなとこ。わかるわかる」
手を伸ばしかけた僕より先に、虎尾さんが突然少年の頭をわしゃわしゃとするので驚いた。
いつも通りだ。
いつも通り、この人には全てが見えていて、隙がなくて、だからどこか怖い。
廊下を通り抜くと、扉の前には屈強そうな男が二人。
虎尾さんに続き、沖さん、万里くん、僕、そして少年が次々と念入りにボディチェックを受ける。「触んなくそが!」とごちる万里くんも、たぶんいつも通りだ。
しばらく経って、重たそうな音を立てながら扉が開かれた。
薄暗闇でどこか異様な雰囲気が漂う部屋。
襖の奥にある年季の入ったソファに、深々と座っている人物。
空気が変わる、気がした。
「陣さんおつかれーす」
「お久しぶりです」
虎尾さんと沖さんが口々に挨拶をして、僕も慌てて一礼する。
「元気そうだな」
低くて深く、渋みのある声が響く。やわらかいのに、何者も寄せ付けない声。
薄暗闇に目が慣れて声がした方を見ると、陣さん、その人が奥のソファに座っていた。
どこか冷ややかで彫刻のような輪郭が、整った目鼻立ちを余計にくっきりとさせていた。締まった口元が、僕たちを見てどこか緩む。
襟足の跳ねた髪をひと撫でして、「まぁなんだ、座りなさい」と、両方の視界に映るソファを指差した。
「客が多いのは嬉しいね」
男たちが茶を持ってくる。
屈強な腕とは不釣り合いな小ぶりの湯のみがカタカタと鳴る。
「総会屋は大変か、虎」
「変な奴ばっかで大変っすよ!おもしろいけど、たぶんそのうち飽きるかなぁ」
「まぁそう言うな。お前なら楽しめると思って勧めたんだから」
そんなもんかなぁーと大きく伸びをする虎尾さんの横に、小さく座る少年。ちらり、陣さんのほうを見ればほんの少し目が合った。やっぱり。僕の横に座らせればよかったなぁ…
「それで沖のほうは、こないだは大変だったな」
「はい」
一呼吸おいて沖さんが答える。
淀んでいた空気が張り詰めるような、ぴりっとした緊張感がその場を過る。
トン、トン、陣さんが机を人差し指でゆっくりと叩く。
暫くの沈黙。
先に端を発したのは陣さんだった。
「見通しってのは大事だなとつくづく思うよ、俺は。だけどまぁ、説教されに来たわけじゃないんだろう」
陣さんの口元が微かに上がる。だけど、楽しそうな笑みではない。
沖さんはしばらく黙って、万里くんに手を出した。
万里くんは慌てて懐から薄茶色の封筒を出して、それを沖さんへ渡す。
そのまま机に置かれた分厚いそれの中身は、誰が見ても何だか分かる。
「金はあります」
「知ってる。だけど足らない」
そうだろう?陣さんの視線が沖さん、万里くん、僕、虎尾さんと流れるように動き、小さく座る少年へとそれが渡る。
「その白いのは、折井の身代わりってやつか」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
身代わり?僕の。
「そうです」
一切声色を変えずに沖さんが答える。
待って、待ってくれ。
状況が飲み込めない。僕の言葉を待つ前に、陣さんが笑う。
「受け取れないなぁ、沖。俺は腕の立つ情報屋が欲しい。それで今回のことは水に流そうって話だったな」
そんな話が水面下で進んでいたなんて。
虎尾さんが電話で別れを言い淀んだのもこのためか。
でも沖さんは僕を差し出さない。
そしたら身代わりはー
「折井にはだいぶ助けられてる。そういう情報屋だ。その白いのは求められた分だけ値打ちのある根拠と情報を出し抜ける奴か?悪いけどうちは占いや予言が欲しいんじゃないんだ」
「待っ…!」
「まァ待ってくださいよ陣さん」
僕の声を遮るように虎尾さんが切り出した。
「俺のとこにいるスグルだって、今じゃそこそこ頑張ってるじゃないすか」
「…あれは情報屋じゃないだろう。殺し屋だ」
「そう言ってやらんでくださいよ、あいつはあいつなりに頑張ってるんで。とりあえず折井は両方の傘下に入れといて、白いのは研修生にしたらどうすか」
研修生。そう言えば聞こえは良いが、実際は目も伏せたくなるほどの事後の後始末やその手伝い、果ては身代わりになることだってある。
それに耐えられる心の余裕があるのかどうかなど、首に痣を巻いた少年を見れば一目瞭然だった。
しばらくの沈黙と、そのあとで陣さんがゆっくりとお茶を啜る。
「面白いな。馬鹿みたいに面白い。そいつが研修生として育たなかったらどうするんだ、虎尾。」
「殺すしかないっすね」
なんの躊躇もなく口元からぽんと出される言葉。
それを聞くと、陣さんは口の端を再び上げる。
「ほんとそういうの好きなんだから、アンタは」
虎尾さんはため息と共に深くソファへ背を沈めた。革張りのそれが独特の音をたて、静寂の部屋の中では僕の目線だけが煩かった。