カモノハシは夢をみない
/年下×死にたがり(エロうす)



散々な人生だった。

希死念慮なんてものは誰にでもある、そう思う。
ただ僕の場合はそれが大きくなりすぎて、自分じゃどうすることもできなくて、だから今、こうしてプラットホームの黄色のぽつぽつをじっと眺めて電車を待っている。

被虐性とでもいうのだろう、小学から高校までずっといじめられてきた。
最初こそ抗ってみたり、どうしたらフツウの人間関係を築けるか努力もしてみたけれど、そのうち対人関係なんてもので悩むこと自体バカバカしくなってしまった。

仕事に就けばなんとかなると思ったけどそうもいかなくて、気づけばなんの面識もない後輩から責任を押し付けられて辞めていた。

別に今日と決めていたわけじゃない。
遺書も書いていないし、住んでる四畳半の部屋だって散らかしたままだ。
ただなんとなく唐突に、人生にまつわる色々を辞めたくなっただけで。

聞き慣れたアナウンスがホームに流れ、電車の光が薄暗い闇を刺した。

一歩、また一歩、淵へ足を延ばす。


「おにーさん、大事なもの落としてるよ」


後ろから声を掛けられ咄嗟に振り向いてしまった。
瞬間、頭のすぐそばで大きな音がして轟音とともに電車が通り過ぎて行った。
ひゅ、と息を呑んで足元から這い上がる冷たいものに気付いて落胆する。

怖かったんだと。

もう一度先ほど声がした方へ振り向くと、そこには髪を明るく染めた高校生ぐらいの青年が壁にもたれかかって何かを指指していた。
その先をみると、僕の足元にコンドームがひとつ、ふたつ。
今度は顔がかぁっと熱くなる。


「こ、これ、僕のじゃないっ…!です…」

「へー、じゃあ落し物届けに行かなきゃ。ほら拾ってひろって!」


早くはやく、そう急かす彼に半ば押し切られる形で足元に転がるそれを拾い、ずかずかと進む青年の背中を追いかけて行った。


交番では案の定笑われてしまった。
一応預かっておきます、と、無駄に色鮮やかなコンドームたちは引き渡された。
警察官というと誰だって少しは身構えるものだろうに、青年はまるで友達のように彼らを笑わせて、雰囲気は何かに包まれたかのように温かい。

こんなに悪意のない誰かの笑い声を聞いたのは久しぶりのような気がした。
聞かないようにしていただけかもしれないけれど。

コンドームを届けるだけのつもりが結局数十分ほど青年は警察官と談笑し、交番を出る頃にはとっぷりと日が暮れていた。
駅前のロータリーにある大きな時計はもう夜の9時を指している。


「あー、バイト行けねぇや」

「え、あ…す、すいません…」

「え?あんたのせいなの?」


はっとして見ると、青年はニコッと笑った。
なんだか恥ずかしくて下を向いてしまう。

すいません、その言葉が舌の根にまで染み込んで、何かあるたびジワリと口から溢れ出るようになってしまっていた。
それが見透かされてしまったようで妙に恥ずかしかった。


「謝られるなら別の理由がいいわ」

「え、と…あ…」

「うそうそ、じゃー代わりに飲みにでも行こうよ」


青年を見るとまたニコニコ笑っていて、君は未成年じゃないのかとか色んな思いがぐるぐるしたけれど、声が出るより先にズンズンと進む彼を追いかけていた。

大きなビルの陰にあるひっそりとした路地裏に、どこか懐かしげなバーが開いていた。
彼はなんの躊躇もなくそこへ入ると奥へ歩いて行き、どかっとカウンター席に座る。

いいのか、と遠慮がちに店長らしき人をみると、にっこり笑ってぺこりとお辞儀をした。
ぎこちなくお辞儀をし返して彼を見れば、すでにメニューを見ながら手招きしている。
僕は急いで席に座った。


青年は駿と名乗った。外見と同じく爽やかで、風通しの良さそうな雰囲気もそのまんまだった。


「へー、青葉なんて名前初めて聞いた。なんかそういう日本酒ありそうだな〜、あ、日本酒飲みたい!」

「あ、あの…歳、いくつなんですか…」

「えっ、いくつに見える?」

「じゅ、19とか、ですか…」

「おぉっジャスト!じゃあ敬語使う必要もないな!」


な?とまたニコリ。
まぁ確かに年下になら…
何も言えずにまた下を向いてしまう。
そうするとまた彼は笑うから、僕はますます何も言えなくなって気を紛らわすようにお酒を飲む。

駿という人は不思議な人だった。
自分の話をしたかと思えば突然僕の話も聞いてきて、ついでにそばにいる見ず知らずの人にも話しかけてしまう。
でも侵襲的な感じはしなくて、それがいたって彼の普通のようだった。

わかったことといえば高校を中退してバイトを転々としていること、休みの日はよく釣りに行くこと、そこで出会った人たちとたまにこうやって飲みにくることくらいだった。


「で、その釣った靴下に…あ!青葉おまえ眠いだろ」

「…ねむくない…」

「敬語がとれた!眠いんだな。とーちゃん、俺さきに二階いくから」


とーちゃん…?

はっとして重たい顔を上げると、優しそうに微笑む店長がこくりと頷いた。
お父さんだったのか、ていうかここが家だったのか、酔いの回った頭でぼんやり考えていると、とつぜん視界がぐわっと回った。
驚いて下を見ると、浮いている。
違う、駿にお姫様抱っこをされている。


「ちょ!ま…こわっ…」

「え、高所恐怖症とか?」

「ちが…ちがう!うあぁ」


怖がる僕はおかまいなしで、駿は古い木彫りの階段を登っていく。

二階は一階とはまた違うアンティーク風な趣で、どこか生活感が溢れていた。
ポリヒモの長いのれんをくぐると奥に扉があって、駿がその扉を開けて中に入る。
どうやら彼の部屋みたいだ。意外と片付いているんだなぁとぼんやり思っていると、ぴたりと動きが止まって、浮いていることへの恐怖が再びじわりと広がっていく。


「こわいこわい!まってほんとに…!」

「だーいじょうぶ!これぐらいの魚なら何度も釣ってんだよ」


ぽかんと口が開いてしまう。
駿を見るとどことなく顔が汗ばんで、ちょっと赤い。
大口たたきながら、僕の体重を支えるのがきついんだろう、必死な目と目があったものだから思わず吹き出してしまった。


「ばっ…ばかじゃないの…」


そのままハハハと声に出して笑っていると、急に手が放されてボフンとベッドの上に落下した。
なんてこと、とすぐに抗議の体勢に入るや否や、ニコーッと変わらず笑顔の駿。


「やっと笑った!」


ハ、と目が醒める。
自分の口元に手をやって、口角が上がっているのを確かめる。

ほんとだ、そう言って、そんな確認してる自分が可笑しくてまた笑う。
笑っているのに、何故だかポロリと涙が出た。

ああ僕、笑ってるんだ。


「笑ったり泣いたり忙しいやっちゃな」


ふわりと頭に手が置かれ、駿はそのままくしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜる。
慰めるでもなく咎めるでもなく、だけどあったかい声。

ああ、こんな声を聞いたのは、こんなふうに泣いたのはいつぶりだろう。
我慢しようともぼろぼろ涙が止まらなくて、嗚咽みたいに息が詰まって、なんとか伝えたくて言葉を必死で探す。

いつもそうだった、いつもこんなふうに、どんなふうに言えば相手に伝わるか、相手が怒らないか、そうやってこんなふうに頭を使ってきた。
本当に伝えたいことはそんなことじゃないのに。


「ごめん、僕、ずっと頑張ってきたつもりなんだけど、やっぱり変われなくて、悲しいことも苦しいことも、いつかは忘れられると思ってたんだけど、やっぱりぜんぶ悲しくて、僕、どうしてもだめみたいで」


笑ってごまかしながらでも言葉がうまく出ない。ひとつずつ間を置いてゆっくり紡ぐそれを、駿が何も言わず聞いてくれている。そんな気がした。


「だからもうずっと、ずっと死にたかっ…」


言いかけて止まったのは、唇に何かが触れたから。目が開いたままの駿のその瞳に僕の瞳が映っている。

ゆっくり唇を離してから、頬を伝う涙を駿がぬぐって言った。


「俺、釣り好きなの母さんの影響なんだけどさ。カモノハシって知ってる?」


唐突な質問に、首を横に振る。
ニコリ、また駿が笑う。でも今度はいままでと少し違う、笑顔。


「カモノハシって夢みないらしくてさ。母さん昔からずっと眠れなくて、夢みたことないらしいんだわ。カモノハシといっしょって言ってた」


こくり、こくり、ひとつずつゆっくり言葉を待って頷く。
涙を拭う駿の指が少し震えた。


「だからすげぇ薬飲んで最後、たぶんゆっくり寝たかったんだろうけど。今日駅で見たときの青葉の顔が、その日の夜の母さんそっくりで怖かった」


もう片方の駿の手がぎゅ、と握られる。
やっぱり偶然じゃなかった。
駿は僕が線路に飛び込んでしまうことを分かってて、だから声を掛けて。

飲みに誘ったのも、また線路に飛び込もうとするであろう僕を止めたかったから。


「青葉がどんなことされてきたのかなんて分からないし、悲しいことも苦しいことも、たぶん忘れられない。だけど」


言いかけた唇を今度は僕が塞いだ。
一瞬強張った駿の身体が状況を理解したように動いて、僕の頭を強く引き寄せる。


「っ、ふ、んん、ぅ…ッ」


噛むようにキスをして、どちらのものかわからない唾液が口から溢れて垂れる。それを追いかけるように首筋に向かう唇をまた奪って、舌を絡めて。

あおば、掠れた声が僕の名前を呼ぶ。


「生き直そう、1人じゃ無理なら俺が手伝うから。俺のそばにいて、息してるだけでいいから、いっぱい笑わせるから」


お願い。
そうぽつりと付け足して、駿が泣きそうな顔でくしゃりと笑った。
僕は頷いて、真似するように笑った。







カーテンを焦がすような光が朝を知らせていた。
泣きすぎて腫れぼったくなったまぶたを少し開けると、同じタイミングで駿が目を覚ました。
抱きしめられた腕がそっと伸びをして、それからまた僕を抱きしめる。

もう怖い朝はきっとこない。

じわりと暖かいものが胸の奥に広がって、同時にまた涙がこみ上げそうになる。


「駿」


呟くようにいうと、駿はこっちを向いてニコッと笑った。


「すごく幸せな夢をみたんだけど、聞いてくれる?」










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