車は首都高を走っていた。
灰色のビルが競うように建ち並び、淡い光が窓のところどころに点々と灯っている。
万里くんがいまどの辺りを運転しているのか、外を眺めようと窓に触れると冷たくて、結露が指を濡らした。
もっともこんなに真っ黒に染められたスモークガラスでは、すぐ下の歓楽街の灯りすら濁って見える。


「って感じでいいんだよな?!おい折井!」

「あ…うん、とりあえず一通りわかった?」

「わっかんねぇよ中卒なめんな!!」

「なめてないし、慣れればわかるから。早く僕の穴を埋められるように頑張ってよ」


チッとお得意の舌打ち。
運転席から少し見える赤髪が苛立つように揺れ、助手席には沖さんが、うんともすんとも言わずにただ前を見据えている。
チラリ、隣を横目に見ると、先ほど会ったばかりの少年が小さな身体をさらに小さく折り畳んで体育座りをしている。

もう一度窓の外を見るとさっきまで見えていた街並みは消え、かわりに高いコンクリート舗装が連なっていた。


「こういうとこ、通ったことある?」


思い切って話しかけてみる。
再び街並みが顔を覗いたところで外を指差すと、少年はその先を見て遠慮がちに首を振った。
真っ白い髪の毛と赤い目、最初は充血してるのかと思ったけれど、こっそり見てみるとそうではないらしい。


「そっか、じゃあ初めてなんだね。僕はすっかり見慣れちゃったなぁ」


前は怖くて仕方なかったのに、なんて、付け加えた備考に苦笑する。
少年の針金のような指が、遠慮がちに窓へ触れる。滑った指先から水滴が滴り、ほんの少し外の光が入り込む。


「沖さん、陣さんに会うのって明日っすよね。それまであいつどうするんすか?」

「ヘリテイズに泊める」


はぁ、と間の抜けた万里くんの声。
ヘリテイズ、というのは、事務所からさほど遠くないところにあるホテルだ。
行き先の決まった車は途端にスピードを上げ、万里くんが下手に改造したマフラーの音が足元から響いてくる。


「逃げないように見張ってろ」

「…えっ?お、俺っすか!?」

「折井でもいい」


ミラー越しにさも面倒臭そうな万里くんの目と目があう。
器用なものだ。


「僕はどっちでもいいよ。どちらにしろ今から手続きしようったって公共機関しまって…」

「っじゃーお願いしまっす!」


打って変わって軽快な声に思わずため息が漏れる。
公共機関は確かに閉まってはいるけれど、やり方ならいくらでもある。言おうとして、口だけは達者でも若干二十歳いくばくかの赤髪を見たら仕方なく思う。


「そのかわり手続きのお勉強、ちゃんとするんだよー」

「あぁ!?ガキ扱いしてんじゃねぇよ!」


勢いよく右折した車の反動か、少年が鈍い音を立てて窓に頭をぶつける。
大丈夫?と思わず頭に手を伸ばすと、少年は咄嗟に硬く目をつぶると身体を丸くした。
ミラー越しに万里くんと目があう。
車は止まらない。






首都高を降り、廃れた商店街を横目に見覚えのある道を抜ける。
安っぽいスナックの看板やキャッチが並ぶそこを通り過ぎ、車はゆっくりとホテルの前に止まった。
ガラス張りの外観に真っ黒なバンが黒く光っている。
さて、と少年を見る。


「あぁ…万里くんそれ、上着脱いで貸して」

「あ!?」

「明日には返すから。この格好じゃさすがに怪しまれる」

「じゃあ後ろにスーツケース…」

「万里」


刺すような低音に車内が慄える。


「苛つかせるな」


しぶしぶ上着を脱ぐと、万里くんは早々にそれを後部座席へと投げた。
ちょっと柄が強すぎるけど仕方ない。少年に着せ、フードを被せる。小雨が続いていてよかった。

重たい扉を開け、先に降りた後に少年をおんぶする。まるで空気を背負うみたいに軽くて、細い息だけが彼の存在を浮き彫りにした。

コンコンと助手席をノックすると、すぐに窓が下される。


「じゃあ僕とこの子はここで。明日は何時ですか?」

「電話する」


了解です、とドアを閉めようとしたとき、ふと聞こうと思っていたことを思い出した。


「沖さん、この子の名前は?」

「ない」


いや、ないってそんな。
フロントに聞かれでもしたら、…まぁどうにでもなるけど。


「明日、陣さんに決めてもらう」

「なるほど、わかりました。じゃあ、とりあえずはこれが僕の最後の仕事ということで」


沖さんは何も言わず、窓を閉めた。ゆっくり持ち上がっていくそれをぎこちない笑みで眺める。
車は窓が閉まる前に動き、ホテルの門をくぐっていった。


「行こうか。」


きゅ、と小さな手が肩を掴む。
弱々しくて返事にもならないが、僕は一呼吸おき、ホテルの中へと足を運んだ。


フロントは思ったよりもすんなりと僕たちを通してくれた。
週末ということもあって、色々なことに寛容なのかもしれない。
部屋に入り少年を降ろすと、先ほどまで車内にいたせいか気づかなかった少年の汚れっぷりに思わず笑ってしまった。
そりゃ万里くんもああいうわけだ。


「好きにしていいけど、まずはお風呂かなぁ」


やけに綺麗なユニットバスにお湯を張る。
彼のぼろぼろになったシャツやパンツは洗面台に水を張って浸すことにした。そのうちに少年にはお風呂に入ってもらう。

着替えも持ってくるようにお願いすればよかったかな。今にも万里くんの盛大な舌打ちが聞こえてきそうだ。

ホテルの一室から見える申し訳程度の夜景を見ながら、この歳になって、こんな場所で子守をするとはまさか思わなかったと独りごちる。
そして、こんな身になることも。

少し経って、キィ、とユニットバスの扉が開く。
ホテル仕様の薄いバスローブを不恰好に羽織った少年が湯気とともに顔を出した。
汚れが落ちて文字通り真っ白になった彼を見て思わず目を見張る。

まるで人形みたいだ。

一瞬言葉に出しかけてはっとした。
おいで、と手招きすると、少年はおずおずと遠慮がちにこちらへ近づく。

濡れた髪の毛を手ぐしで整えると、備え付けのドライヤーを当てる。
大きな音に驚いたところを見て、耳が聞こえないわけではないのだなと、別に確認するわけでもなかったがなんとなくそう思った。


「これは、喉をつねった痕?」


鏡越しに少年の顔を見て、浅黒く、緑になった喉を指差す。
しばらく間をおいて、こくり、ひとつ少年が頷いた。


「じゃあここからここまでの、これはなんの痕?」


首の付け根から後ろまで、黄色く、生々しいそれを指でなぞる。
少年は俯いて、それから口を少し開けて喉元に手をやろうとしたものだから、そっとそれを制止する。


「大丈夫」


ドライヤーの音が、喋らなくてもいいように鳴り続ける。


時計は日付が変わるところだった。
明日はたぶんそんなに早くはないだろうが、いつ電話が鳴るかもわからない。
携帯を一つ取り出して、ベッドサイドの淡い光の灯る場所へ置く。

少年は鏡の前に立ちすくんで、固まっているようにも見えた。


「お薬。飲んだことある?」


シートから一粒取り出して見せる。ピンク色の小さな粒だ。
机の上に放っておいた銀色の腕時計を手に取り、カッティング用のフックを抜き出して半分に割った。


「半分こしよう。」


半分の欠片になった薬を掌の上にのせると、少年は不思議そうにそれを見る。
備え付けられたウォーターサーバーから水とお湯を拝借して、半分に割った薬を口へ放り、喉の奥へと流し込む。
飲んだかどうかもわからない量だ。

続いて少年も飲む。
相当喉がかわいていたのか、コップのぬるま湯をいっきに飲んだようだった。


「これで眠れるよ。おいで」


セミダブルのベッドに横になると、手招きして呼ぶ。も、少年が固まるので、仕方なく抱っこしてベッドへ引き上げた。

そのままお互い向き合うような体勢で横になる。まだ夜は寒さが残る。少年の肩まで布団を被せると、あやすように背中のあたりをさする。


「万里くんみたいな子は苦手?さっきの、赤い髪の人。」


少年はひとつ間をおいて首を横に振った。
あ、大丈夫なんだ。


「ああいうタイプが多いから。きっと明日から会う人たちは」


ひとつ、ふたつ、ぼんやりとだが顔が浮かぶ。
そんなに話す機会もなかったが、態度で人柄なんかは嫌でもわかる。
それがよくても、悪くても。


「僕が寝てる間に、どこかへ行ってもいいんだよ」


少年は赤い瞳で、初めて僕の方を見た。
驚いているのか、戸惑っているのか、分からないけどそのまつ毛は微かに震えて揺れている。


「嘘じゃないよ。最初に好きにしていいっていったのは本当。どこかへ逃げて、逃げて、なんなら別の人になったっていい。きみが、どこかで生きてさえいれば」


つう、と、少年の目から涙が溢れた。
表情ひとつ乱さず、感情が伴うわけでもなく、ただ小さくて細いそれが、重力にまかせて枕元へと落ちていく。

乾いた親指でそっと拭う。
そのタイミングで閉じられた瞳が一瞬またたいて、それからゆっくり落ちていく。


「今日は疲れたね」


明日が決してきみにとって悪いものではありませんように。
静かに願って、僕は目を閉じた。




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