放課後、僕は二階にある準備室に来ていた。
重たい引き戸を開けると、湿気た空気が溢れ出してすぐに肌にまとわりつく。
埃をかぶった資料の山が、人の出入りがないことを嫌というほど証明していた。

西園先輩たちはまだ来ない。
もしかして忘れているのかもしれない、それはそれで別にいい、そう思った。

周くんは何をしているだろう。もう帰っただろうか。
一度だけ、あの教室で僕が西園先輩に殴られていたとき、彼と目が合ったときがあった。
彼とだけじゃない。クラスメートとは何度も何度も目が合うことがあったけれど、彼だけは違った。
笑いもしない、怖れも見せない、ただ抑揚のない目だけをこちらに向けていた。

ピシャン、背後で勢いよく扉の閉まる音がして、僕は思わず肩を揺らした。
振り返ると同時に、外側から鍵のかかる音がした。


「まっ、まって、僕まだ…っ!」


突然暗くなった教室に胸がざわついて思わず扉にすがりつく。
声を荒げそうになったが、ここで取り乱したらあの人たちが喜ぶのは目に見えている。
舌の根まで乗り上げた言葉を飲み込んで、僕は抵抗をやめた。
廊下からは西園先輩たちのくつくつという笑い声が聞こえてくる。

耐えなきゃ、耐えなきゃ。ずるずると床に座り込んで、西園先輩の気がすむまで、時間が過ぎるのをただ待つしかなかった。
もう少し…その思いとは裏腹に、笑い声とともに西園先輩たちの足音が遠ざかっていく。

準備室には窓もなければ時計もない。何分、いや、何時間待ったか分からないが、忘れたのか故意かは分からない。
だけど、いくら待っても先輩たちが帰ってくることはなかった。

閉じ込められたまま、ここで一晩過ごせというのか。
やけに空気がひんやりとして、床の冷たさが手のひらから嫌でも伝わってくる。思わず膝を抱いて体育座りをするけれど余計にこっけいで、西園先輩がこんな僕を見たらどんなふうに嘲笑うだろう。

なんで僕だけ。どうして僕が。

考えてはいけない言葉だった。
先輩がいなくなっても、先輩の取り巻きがまた僕を同じように虐げるだろう。
逃げ道なんてない。
僕にはこの狭い準備室がお似合いなのかもしれない。

心臓の底からチリッと疼く痛みが喉の奥を締め付けて、言葉より先に目から気持ちが溢れてしまいそうになる。
ひとり震えていると、ふいにガチャリと鍵を開ける音がして、背中を預けていた扉が突然動いた。

驚いて体勢を直して見上げると、そこには周くんがいた。
いつか見た抑揚のない目。その目が僕を見下ろしている。

でもそれはほんの数秒で、周くんは僕の前を横切って教室の中に入ると、何事もなかったかのように手にしたメモ用紙を見ながら準備室にある本を取り出し始めた。
きっと準備室に用事があっただけで、そこに僕がいただけで、他には何もない。
黙々と作業を進める周くんの薄い背中を見ながら、僕はどうしていいか分からず、さっきまでの恐怖を思い出して静かに震えた。

作業が終わったのか、周くんが屑箱にメモ用紙を丸めて捨てた。何冊かに束ねられた資料を持つと、僕の前を横切る。
あろうことかそのまま閉められそうになったので、僕は慌てて扉をつかんだ。
驚いているだろうか。迷惑そうにしているだろうか。周くんの表情は見えない。


「ご、ごめん、僕も、出るから…」

「きみ、いじめられてるんだね」


聞こえるか聞こえないか、わからないほどの声で周くんが言う。
今更、そう言いそうになって言葉が詰まる。
いつも外を見てる周くんには、やっぱり外しか見えてなかったんだ。
僕がいくら教室の中で虐げられようが、西園先輩に蹴られていようが、周くんには全く関係のない世界。


「閉めていい?」

「あ…うん、ごめん、」


今でるから、と僕は身を乗り出した瞬間、乱暴に準備室の中へ押し戻された。
扉が閉まって目の前が暗くなったかと思えば、首に冷たい紐、いや、指が絡まる感触がして、周くんが馬乗りになって僕の首を絞めていることが分かった。
もちろん驚いて一瞬身をよじろうとしたけれど、薄暗闇の中で光る周くんの目はいつもより少し光っているように見えて思わず身体が強ばった。


「きみ、才能あると思うよ」


細い指からは想像できないほどの力で、周くんは僕の首を締めあげていく。どちらともなく瞳孔の開く音がした。
指の腹が首筋にある太い血管を押さえているのが分かる。血液がどんどん頭にのぼって、目が腫れ上がるんじゃないかと思うほどの強烈な圧力に、徐々に耳が遠くなっていく。


「死にたいでしょ?」


どうせ、耳元でささやかれたその言葉に、僕の目から自然と涙が流れる。
面白がって言ってるんじゃない。
笑いも、蔑みもない、ただ淡々と発せられただけの言葉なのに、重くて冷たくて、さびしい。


しに、たく、ない


途切れとぎれ、口をぱくつかせてそういうと、締めあげていた指から力がふっと抜けた。
解放された瞬間、こみ上げていた胃液と一緒に激しく咳き込んだ。周りの埃と一緒にかきこむように空気を吸う。涙が次から次へとこぼれて、何度も心臓の音を確認した。

もったいない。そんな周くんの言葉と同時に、ぱしゃりと無機質なカメラのシャッター音が聞こえた。

見ると周くんが僕の下半身を写真に収めているところだった。
はっとしてみれば、じんわりと熱くなったズボンには盛大に失禁をした跡がついていた。
首を絞められながら知らないうちに漏らしていたのだ。
恥ずかしさと恐怖で、僕の意思とは反して身体が震える。


「本当に死んじゃうかと思った?」


目も合わさずに周くんが言う。
僕は頷くことも出来ず、まだ肩で息をしながら震える身体を必死で抱きしめた。
その姿を見て、周くんはまた携帯のカメラを僕に向ける。
フラッシュがたかれ、まぶしさに顔を背ければ頬を掴まれて痛いほどに振り向かされる。


「俺ならもっと」


上手に虐めるのに、

周くんは相変わらず抑揚のない目で、今度はまっすぐ僕をみた。

フラッシュの光が白く濁った。





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