五分間の思想

人間には、主役になれる人間と、なれない人間とがいる。王様がいれば影武者がいる。椅子でふんぞり返る社長がいれば、トイレ掃除のおばちゃんだっている。
主役になれない側の人間からしたら、主役の人間、社会を彩る役目を担う人間は、ただの羨望の対象でしかないだろう。
主役になれる人間からしてみれば、のし掛かる責任や他人の監視の目、といったものに苛まれることのない凡人は楽だ、なんて思っているかもしれない。しかし、実際は誰もが自分の人生の主人公なのだ! 自分のしたいことをし、自分の意見を尊重しあう、それが人間である。したがって誰しも自分を粗末に扱ってはいけない。自分を卑下するなんて絶対にしてはいけない。誰しも自分を第一に優先する権利が平等にがあると僕は考え



そこでチャイムが鳴った。掃除の終わりのチャイム。自分の持ち場である図書室の掃除を早めに終わらせていた私は、読んでいた「ー回帰ー人類のあるべき姿」なる本を棚に戻し、教室へ戻ろうとスリッパを履いた。

11月も終わりに近づいている廊下は信じられないほどに冷たかった。ましてや学校の廊下なんてものは。廊下は、教室に光を取り入れるためだろう、常に陰になっているから。それは小・中・高と変わらない学校の構造だ。

あと五分もしたら始まる授業に間に合うように、教室へと続く階段をかけあがりながらも私の頭は、先ほど読んだ本によって埋め尽くされていた。

「皆自分の人生の主人公」
それならどんなに良いだろう。

私はそうはなれなかった。
常に誰かの陰にいて、誰かをたてて、誰かを誉める。私の周りは自信や魅力や才能で満たされた友人で溢れかえっている。私の存在はまるで台風の目だ。それは決して、唯一の晴れ間といったり、常に友人に取り巻かれている、といったような意味ではない。からっぽな中心にいても、常に誰かに包囲されて、自分の欲しかったものを、ふわふわとひけらかされている、という意味だ。しかも気圧やらなんやらの関係上、私はそれを掴むことは出来ない。
幸せや自信の存在量は一定なのだ。誰かに幸福が訪れれば、周りは少し嫌な思いをする。他人の幸福を、心から喜ぶことのできる人間なんていない。誰かを僻み、羨んで生きる、そんな汚い存在だから、幸福を掴んだ者の周囲から、幸福は余計に遠ざかっていく。結果、幸福者の周りには不幸者がたくさんいることになる。これが正しいわけではないし、必ずといってこうなるわけじゃないけれど、少なくとも、私の周りでは、そうだった。

私の不幸を肥やしにして、皆は幸せを手に入れる。自信を手に入れる。

私は何をやってもダメなのに、皆は狡い。と、僻んでことあるごとに噛みつこうとしていた時期もあった。
でも、そんなことをしたって現状は変わらない。
今はただ、そんな人間がいることを、忘れないでほしいだけだ。

そんなことを考えながら席につく。とめどない思考終止符を打つように、チャイムが鳴った。






[back]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -