突然の衝撃に、思わず目を覚ます。項垂れる私の髪からぽたりと雫が落ちた。どうやら目の前の人間に水をかけられ強制的に起こされたようだ。覚醒していく脳で懸命に今の状況を分析する。
私は異三郎さんのいる見廻組屯所へ向かっている最中だった。それから…そう、突然腕を掴まれ路地裏に引き込まれたと思ったら何かを嗅がされ、意識を失った。そして今に至るわけだ。
冷静に分析してみたはいいけど柱に巻き付けられ身動きの取れないこの状況、そして目の前に複数の人間。もしかしなくても最悪かつ危機的状態ではないだろうか。




「やっとお目覚めね。こんな状況でお眠りなんて随分図太い神経してるじゃない」
「あなた、は」





かつ、かつ。ヒールを鳴らしながら数歩近寄ってきたその女性に見覚えがあった。確か、そう、西園寺さん。
異三郎さんの両親に命じられて参加したパーティで出会った、異三郎さんに想いを寄せていた女性だ。


「私は異三郎様をずっとお慕いしていたのよ。貴女なんかが出会うずっと前から。なのに…なんであんたみたいな貧相な女が異三郎様と結婚できるの!?どう見たって不釣合いよ!身分も、容姿も…すべて不釣合いよ!」


憎しみのこもったあの表情が、今目の前にいる西園寺さんの顔に浮かんでいて、思わず身震いをした。
だけど、なんで西園寺さんが…。




「この状況が理解出来ていないようね。いいわ、私が説明してあげる」
「……」
「私はある人に頼まれてあなたを誘拐したのよ」


ある人…?首を傾げる私を嘲笑うかのように鼻を鳴らすと、私を囲う帯刀した集団の奥へ声をかける西園寺さん。

異佐次いさじ様」

かつん、かつん。広い空間によく響く軽快な音。ゆっくりとした足取りでこちらに歩いてきたのは、先日お目にかかったあのお方だった。


「お、お義父とう様...」

異三郎さんによく似ている眼差しをキツく釣り上げて私を見据えるのは、彼の父親である異佐次さんだった。どうして、なんで。混乱する私を見下ろすお父様は人一人分開けた距離で歩みを止める。

「先日ぶりだね、菜々緒さん」
「なぜ、お義父様が…」
「なぜも何も、あなたを誘拐するよう私に頼んだのは異佐次様なのよ」

本当は彼がここに現れた時点で予測はしていたけど、実際西園寺さんから言われた事実に動揺するしか無かった。
もしかして、私と異三郎さんとの結婚を認めることが出来なくて、力づくでも別れさせる為に誘拐したのだろうか。脅しだけならまだしも、最悪私を此の世から消してしまう方法を取るかもしれない。その考えに至った途端、じわりと嫌な汗が全身からにじみ出てくる。

「安心しなさい。君を傷つけることはしないよ」
「え、」

震える私に厳格な声色ながらも安心させるようにそう言うお義父様に思わず目を見開いた。安堵するのと同時に、なんのためにこんなことをするのか疑問に思う私に、お義父様はゆっくりとした口調で話し始める。

「今回のことで君と異三郎に知って欲しかったんだよ。一般人と名家の者が婚姻する事の危険を」

少し、私の話をさせてもらえないか。そう言うお義父様に私はゆっくりと、一つ頷いた。

「私の妻も、庶民の出なんだ」
「!お義母様が…」

初めて聞く事実に驚きの声をあげる。一度しか顔を合わせたことは無かったけど、凛とした印象がある彼女は、一目見ただけでも育ちの良さが伺えたものだ。私と同じとは、到底思えなかった。

「偶然にも出会った私たちが結ばれるのにそう時間はかからなかった。しかし、佐々木家のものには猛反対を受けよその名家からも咎められたものだ。しかし、当時の若い私達は周囲の反対を押しのけて婚姻した」

その後のことだ。そう言うと瞼を伏せ、辛い表情を見せた。

「妻は佐々木家と代々懇意にしていた名家に拉致され、言葉では言い表せないほどの乱暴を受けた。全ては佐々木家の名を落としかねない危険分子を追い出すためだと言っていた」
「そん、な…」
「あの事件以来、妻はどの名家の奥方にも負けない立派な所作、学を身につけ周囲を認めさせてきた。だが、妻…晶子の心には一生癒すことの出来ない、大きな傷が残ったままなんだ。君にもそんな思いはさせたくないのだよ」

「悪かったね」そう言って私の肩に一つ手を置いて謝罪をするお義父様。お義母様にそんな辛くて残酷な過去があったなんて、知らなかった。じゃあ、お義父様は私を憎んで誘拐したんじゃなかったんだ。こんなにも辛そうな表情をしているんだもの、お義父様の言葉に嘘偽りはないようだ。

「今回は私が君を誘拐する形になったが、もしこれが他の人間が首謀者であれば君は妻のように危険な目にあっていたのかもしれない。だから、これを機に異三郎との婚約を考え直してくれないだろうか。君は若くて容姿も良く、よく気のきく子だ。あやつ以外にもきっといい殿方がいるはずだ」

私に言い聞かせるようにそう告げる。つまり、危険な目にあいたくなかったら異三郎さんと別れてほかの男と結ばれなさいと、仰っているのだ。少しその未来を想像してみて、すぐに辞めた。そんなの、全然想像つかないし、幸せな情景など浮かばなかった。

「お義父様、それは有り得ません」
「な、なにを…」
「私は異三郎さん以外の人と結ばれるなんて、想像出来ないんです。確かに私は庶民です。凡人です。だけど、こんな私でもいいと肯定して、愛してくれる彼を、私も愛しているから」
「それは一時的な感情に過ぎない!よく考えてみるんだ…君は危険な目にあってもいいというのか…?」
「…こんな事言ったら、異三郎さんに怒られてしまうけれど」


真っ直ぐお義父様の目を見据えて、しっかりとした口調で告げる。


「彼のいない安全な人生と、彼と一緒に過ごせる危険な人生なら、私は後者を選びます」


ずっと、彼のそばに居たい。
それが、私の願いだから。



「君はそこまで異三郎を…」
「…異三郎さんには内緒にしてくださいね?」
「全く、君という人は… 」


おどけた様に言った私に少し呆れながらも皺を作って笑みを浮かべた。


「君なら、佐々木家でも上手くやっていけるのかもしれないな」


憑き物が取れたように穏やかな表情を見せるお義父様。認めて、下さったのだろうか。「手が痛いだろう、今、解いてあげよう」と私の後ろに回って縄を解いてくれようとしてくれた。


「あーあ、こんなはずじゃなかったのに」


穏やかになり始めた雰囲気を斬り捨てるような冷たいその声色と同時に、一発の銃声が鳴り響く。銃弾は真っ直ぐ私の頬をかすり、背後の柱に穴を開けた。つう、と頬から顎に血が伝って落ちる。目の前には小さな銃を片手に笑う西園寺さんがいた。

「あんたがここで異三郎様を諦めたら何もしないつもりだったけれど…まさか異佐次様があんたを認めるなんて計算外だったわ」
「西園寺殿...?話が違うではないか!」
「ふふ、ごめんなさい、異佐次様。でも私は最初からこうするつもりであなたに手を貸したのよ」

1歩ずつ歩み寄り、しゃがんで私と視線を合わせる西園寺さんの目は、狂気に染まっていてゾッと背筋が凍った。この人、正気じゃない。額に冷たい金属が押し付けられるけど、そこ間を割ってお義父様が私を庇うように立ちはだかった。


「その銃を下ろしなさい、西園寺殿」
「あら、その子を庇うの?無駄よ。私は最初から貴方も殺すつもりで手を貸したのだから」
「なに...?」
「私のシナリオはこうよ。異三郎様と婚約したこの女を認められず、怨みを持った異佐次様がこの女を殺して、その後殺人を犯した罪の意識に押し潰され自殺をする。勿論、私がいた痕跡は消し去るつもりよ。そして、邪魔者がいなくなった後は私と異三郎様が結ばれてめでたし、めでたし」

どう?完璧でしょう?と狂ったように笑い始める。完全に常軌を逸した様子の彼女。ここまで狂わせるほど、西園寺さんは異三郎さんを愛していたのだろう。だけど、こんなのは本当の愛なんかじゃない。
あまり考えたくはないけど、もし、異三郎さんに私以外の好きな女性が出来たとしたら…勿論手放しで喜ぶことは出来ないけど…彼の幸せを願って見守るだろう。決して、彼の大切な人を傷つけるなんて出来るわけもないのだ。



「西園寺さん…あなたは本当に異三郎さんを愛してるわけじゃない。異三郎さんを思い続けてる自分が好きなだけだよ」
「なん、ですって…?」

笑みを消し、怨みの篭った視線をぶつけてくる。一瞬怯んでしまうが、その視線を跳ね返すように私も彼女を睨みつけた。


「もし本当に彼のことを愛してるなら、私だけじゃない…彼を大切に育ててきたお義父様も殺すなんて発想になるはずがない!」
「私は、異三郎様さえいれば、それでいいのよ」
「そんなの自己中心的な考えだよ。だって、あなたはこれっぽっちも異三郎さんの幸せを考えてないじゃない。結局、自分が一番なんだよ」
「知ったようにペラペラと…余っ程死にたいようね。いいわ。望み通り、あなたから殺してあげる」

西園寺さんは周りを囲っている部下達に命令し、私を庇うように立っていたお義父様を引き離した。

「菜々緒さん!」
「この子を殺したら貴方よ。黙って見てなさい」
「…」

かちり、安全装置が外される音がやけに耳に残る。ああ、どうしよう。このまま私が死ねば、異三郎さんはきっと悲しんでしまう。信ちゃんも、真選組のみんなも、万事屋の3人だって。
来月には結婚式の予定だったのに。白いドレスを着た私に、異三郎さんは「綺麗ですよ、菜々緒。やはり貴女には白が似合う」と歯の浮くような台詞を言ってくれるはずなのに。二人での生活はきっと、分かり合えないこともありながらもお互い少しの妥協をしながら、寄り添って過ごすことが出来ただろう。
そんな幸せな未来を想像して、涙が出た。

「あら、いまさら命乞い?泣いたってもう遅いのよ」








「さようなら」














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