遠い花火


 確かにあいつとの勝負は楽しかった。
 勢いで携帯番号の交換、なんてやつもした。そこにはあいつと試合だけでなく野球論議も交わしたいという思いがあったのも事実だ。だからといって。
「日本の花火はいいものらしいな」
 いきなり電話をかけて来たかと思ったら、開口一番こんな事を云ってくるのはアリなのか、と御幸は些か戸惑った。
 普通、まず時候の挨拶とまではいかなくても「元気か」とかそういう事を訊いてくるのではなかろうか。
 いやいや、いくら日本語が堪能といっても、相手は台湾から来てそう長くない。そこまで望むのは酷というものだろう。
 しかし彼のような人間は、得てして勉強熱心で、日本人より日本語を知っていたりするものだが。
 そう、「あにはからんや」なんてしち面倒臭い言葉を使っていたり、やたら諺に詳しかったりするタイプだ。
 まぁ今は、わざわざ電話してきた本意を確かめる事が先決だ、と御幸は、無機質に光を反射している掌の中の機械に向かって率直に疑問をぶつけてみた。
「何が云いてぇの?」
「・・・来週の土曜に花火大会があるらしい」
 平静を装った御幸の問いに、相手は全く素の状態で糞真面目に答えた。
「これはまったくの偶然だが、その日ウチの練習は半日だけだ」
 来週の土曜日。花火大会。彼の高校の野球部の練習は半日だけ、という断片的な言葉が御幸の頭の中で一つの話となってくれない。
 だから何なんだと思っていると、
「・・・お前のところはどうなんだ?」
 どうでもいいような、よくないような口調で訊いてきた。
「夜の外出は赦されるのか?」
 夜の外出・・・。寮の門限は何時だったろう。
 そういえばマネージャー達が、花火大会で浴衣がどうの、とはしゃいでいた事を思い出す。
 そこで初めて先程の三つのピースが組み合わさって形となり、一つの答えを導き出した。
 成程。そういうことか。
「あぁ、思い出した!そういやウチもその日は半ドンだ」
 とってつけたように云うと電話の相手は、
「そうか」
 とホッとしたような声を出した。すぅっと緊張が解けてゆくのが目に見えるようだ。
「世界一見事だと云われている日本の花火を一度見ておきたいと思っていた」
 続けて何か云ったようだが、声のトーンが急に落ちたのとノイズのせいでよく聞き取れない。「え、何だって?」と訊き返したが、相手は何も答えなかった。
 とりあえずは来週の土曜日に花火大会があり、台湾からの留学生は一度見たいと思っていて、その日は丁度あちらもこちらも練習が半ドンだという事がわかった。それで充分だ。
「じゃあ、見に行こうぜ」
 御幸が云うと、電話の向こうから一呼吸置いて「・・・ああ」と小さい、しかしきっぱりとした声が聴こえてきた。





 道の両脇にずらりと並ぶ夜店の電球、提灯の群れが、今が夜だと忘れさせるくらいの明るさを演出していて、歩くのも困難なくらいの人の群れとざわめきは、これから空一面を彩る花々への期待も相まって、舜臣の心を高揚させた。
 
 ―――こんなものまで着て来て、少しはしゃぎ過ぎただろうか。
 軽い後悔を覚えたが、これは今夜花火大会に行くと告げた時に日本の母が着せてくれた心づくしのものだ。何ら恥じることはない、と顔を上げた時、待ちかねていた相手が来るのが見えて―――。
「・・・・・・・・・」
 舜臣は息を呑んだ。
「悪りぃ。待たせちまったか?―――お、お前も着て来たのか。さすがに似合うじゃねぇか」
 いいっつったのに着てけってうるさくてさぁ、と笑う御幸の、白地に紺の散ったシンプルな浴衣を眺めて問う。
「・・・お前・・・。それは誰に着付けて貰ったのだ?」
「ん?礼ちゃんだけど?」
「・・・礼ちゃん?」
「ウチの副部長だよ。美人で巨乳の」
「・・・くだらないな・・・」
「んー?舜臣君は御機嫌斜めですか?」
 流し眼はこの男にとって大した意味を持つものではない、とわかってはいても心が波立つ。が。
 浴衣を勧めたというその美人で巨乳の副部長とやらには感謝しなければいけないな、と平常心を取り戻しながら秘かに思った。
 感謝はするが、この着せ方は―――。

「私は和装は似合わないのよ」
 常日頃からそう云っていた高島は、自分は勿論、メリハリのある体型の女の子の着付けばかりしてきたから、ついいつもの癖で胸にゆとりのある着付け方をしてしまったようだ。
「・・・前がはだけているぞ。こんなだらしのない着方をしては駄目だ」
 器用に素早く、妙に艶めかしくなってしまっている胸元を直してやる。―――他の人間の目に触れる前に。
「上手いな、お前」
 感心したように云う御幸に、
「日本の事は色々研究してきたからな」
 濃紺の浴衣の袖を揺らして答える舜臣は幾分誇らし気に見えただろうか。
「では、行くか」
 そろそろ花火の時間だ。会場に向かって行きかけて、
「この人混みだ、はぐれるかもしれない」
 さり気ない風を装って差し出した手を、御幸は暫く不思議そうに見ていた。
 ―――らしくない事をしてしまったか―――。
 何だか恥ずかしくなり、行き場を失って引っ込めかけたそれを、ふわりと温かいものが包んだ。
「確かに、こうすればはぐれないな」
 繋いだ手を軽く上げて御幸がにぃ、と笑う。

 思わず握り締める手に力を込めた。
 
 人に押されて御幸がよろける。
「危ない」
 反射的に支えると、抱き寄せる形になった。
「大丈夫か?」
「あぁ・・・サンキュ」
 舜臣の鼻先で揺れる髪から仄かな匂いが漂ってくる。腕に御幸の体温を感じて慌てて離すと、ついでに繋いでいた手も離れてしまった。繋ぎ直すわけにもいかない。
 照れ隠しもあって舜臣は夜空を見上げて呟いた。
「夏ももう終わりだな」
 夜といってもまだ蒸し暑いが、秋の気配が近づいて来ているのを感じる。花火大会もこれが最後だろう。
 勿論‘夏’は季節としての‘夏’の事だけを云っているのではない。
 思えば、自分達の夏を終わらせたチームの男とこうして肩を並べて歩いているのは不思議な心持がする。
 そしてこの男の夏も終わったのだ。
「そうだな。終わったな」
 だが、御幸は完璧なポーカーフェイスで静かに頷いた。
 もう吹っ切れているのか、まだ引き摺っているのかはその顔からは読み取れない。
 いや、もうその眼は既に次の年に向いているのかもしれない。
 舜臣が見る事の出来ない未来に。

 御幸がふいに幸せそうに笑った。
「また来年の夏にお前と対戦するのが楽しみだな」
 舜臣は言葉に詰まった。
 自分に来年の夏は来ない。再び対戦することはない。
 黙っているのは辛いが、今そんな事を云って、折角の浮き立った雰囲気を壊すことはないだろう。
「対戦もいいが・・・」
 話を逸らす為に、云うつもりのなかった事を思い切って口に出してみた。
「・・・・・受けて欲しかったな、お前に」
 それはずっと切望してきた、紛れもない本音だ。舜臣の胸の中で温め続けて来た、大切な想いだ。
「俺も受けたかったぜ、お前の球」
 捕手なら誰だってそう思うだろ、あんな受けやすい球ないもんな、と御幸もあっさりと云って、大仰に溜息をついてみせた。
「あ〜あ、礼ちゃんも何やってたんだろうなぁ」
「また‘礼ちゃん’か」
「スカウト部長でもあるからな。美人で巨乳の」
「・・・その形容詞は必要なのか?」
 ツッコミはスル―して、
「なんでお前を獲得しなかったんだって話」
 舜臣の眼をじっと凝視める。
 舜臣が青道に留学する。そして御幸とバッテリーを組む。 
 もしかしたら、あったのかもしれない。そんな夢のような日々が。もし叶うなら。
「オールスターとかやってくれねぇかな?そしたらお前の球を受けられるのに」
 どうやら御幸の中でそのメンバーに自分と舜臣が選ばれるのは決まっているらしい。さすがの自信だ。いや、舜臣だって。
 もしそんなチームが結成されたら。必ず正投手になってみせる。
 稲城実業の成宮。薬師の真田。それに青道のあの一年生。どんな強敵をも押し退けて、正捕手になるであろう御幸と組んでみせる。
 拳を握り締めたその時。

 ドン、と音がして辺りが一際明るくなった。
 御幸の端正な横顔が花火に照らされる。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「おっ、スゲェ。今の見たか?」
「あ、あぁ・・・」
 花火より綺麗なものに見惚れていたとは云えず。

 次々と花火が打ち上げられて、その度に御幸の顔が輝く。
 ここにも花がある、と舜臣は思った。
 天に咲く花、地に咲く花。そして今自分の隣で咲いている花。 

 このまま時が止まってしまえばいい。
 思わず祈ったが、願いは叶わず、無情に時は過ぎて。
 二人の前で最後の花火が弾けて消えた。

「―――終わったな」
「・・・そうだな」
 二人は黙って、人波に流されるままに道を戻り始めた。
 少しずつ人が散り、終いには誰もいなくなる。あの混雑が嘘のようだ。もう手を繋ぐ必要はない。
 喧騒が急速に遠のく。明るさも消えた。祭は終わったのだ。

 分かれ道にさしかかる。
 ここで別れてしまえば、もう逢う事はないかもしれない。
 だが、舜臣の心は静かだった。

 日本に来て良かった。
 日本の野球を知った。肌で感じる事が出来た。
 仲間に会えた。日本の父母に会えた。
 そして―――御幸一也に逢えた。
 戦う喜びを知った。ほんのひとときだが、心が通じた。
 そして知った。この甘く幸せな痛みを。
 恐らくは生涯消えないであろう痛みを。 

 立ち止った御幸の唇から発せられるのは、当然別れの台詞だ。それを覚悟したのに。
「お前に逢えて、良かった」
 御幸が口にしたのは、そんな言葉で。

 お前に逢えて良かった、だと?
 それを先に云うな。
 俺が云えなくなってしまっただろう。

 差し出された手を、舜臣は無言で握った。

 じゃあな、と御幸が軽く手を振り、背中を向けた。
 浴衣が翻り、闇に白い影がポゥと浮かび上がる。
 その幻想的な姿は、この世ならぬもののように見えた。
 何度も瞬きをしたが、それは視界から消えず。
 幻ではない。あの至福の時は、確かに在ったのだ。
 
 舜臣も、じゃあな、と後ろ姿に手を振り、見送らずに歩き出した。
 
 云い残した事がある。
 でも、それでいい。
 この先も決して口に出しはしない。それでいい。

 これから先、心折れるような出来事が何度も起こるだろう。 
 その度に、きっと思い出す。今日二人で見た花火の鮮やかさを。それに照らされた横顔の聖らかさを。最初で最後に触れた指を。抱き寄せた躰を。自分だけに向けられた柔らかな微笑を。
 そうすれば、何だって乗り越えて行けるに違いない。

 この日を舜臣は一生忘れないだろう。
 
 舜臣の唇から微かな言葉が漏れた。誰に聴かせるつもりもない、届く筈もない言葉が。



 
 寮へ向かっていた御幸は歩みを止めた。
 ―――今、何か―――。
 聴こえる筈もない言葉を聴いた気がして振り返ってみたが、そこにはただ薄闇が拡がっているだけだった。
 ―――空耳か―――。
 それでもかまわない、と口角を上げる。
「―――俺もだぜ」
 誰にともなく呟いて、再び足を進めた。

 
 御幸もこの日を一生忘れないだろう。 





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ご本の表紙を描かせて頂いたご縁で、何としゅんみゆSSを貰ってしまいました!ヽ(>▽<)ノ
お礼を頂くような働きは何一つしてないですけど、しゅんみゆと聞いておててが勝手にくれくれしていました。
海老で鯛を釣るとはまさにこの事。申し訳ない。

しっとり切ない浴衣しゅんみゆが理想のシチュすぎて、もうどんな言葉を尽くして萌えと感謝の気持ちを綴ればいいものやら…!
御幸との思い出があればどんな出来事も乗り越えられるだろうっていう部分に呼吸が止まりそうなほど萌え滾りました。
離れていても戦友として繋がっている舜臣と御幸が大好きです。

その後は淡い青春の思い出エンドでも再会ハッピーエンドでも好きに想像していいそうです。
恋愛未満の友情しゅんみゆもラブラブしゅんみゆも大好きすぎて色んな妄想が止まらない(*´д`*)
一粒で二度も三度もおいしいお得仕様…!曽根さん、本当にありがとうございました!

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