きっと今宵も持てあます
「ブランコ、乗りたいなあ」
隣を歩くなまえがそうつぶやいたのがきっかけだった。秋の宵、この季節の日が暮れたばかりの時間をそう呼ぶと本のなかで知ったのは、もう何年前のことだったろう。そんなほの暗さの中、オレたちはちいさな公園にふたりきりで立っていた。
「大丈夫かな、おとなが乗って怒られない?」
「オマエが乗りてーって言ったんじゃん」
「それはそうなんだけど」
ためらうなまえの横をすり抜けて、寂しそうなブランコに一足先に腰掛けて。ぎし、と金属がきしんで、そんなオレを見てまた「大丈夫かなあ」とかなんとか言いながら、なまえも隣に腰掛ける。するとちいさく感嘆の声をあげるから、こらえきれず笑いをこぼした。
「すっごい久しぶりだ……ね、こいでもいいかな」
「なんでオレに聞くの。いーと思うけど」
「だっていつも、そうやって答えてくれるから」
なまえが後ろにさがってそれから地面を蹴れば、かちゃかちゃ、きいきい、いろんな音を立てながら、そのすがたが揺れていく。なんで──そう言いつつもオレは、質問されるのが好きだった。質問というか、なまえのそれは確認にも似ている。たとえば今、オレがやめとけとでも言っていたなら、なまえはきっとブランコを漕ぐことなく静かに座っていたはずで。主導権をにぎっているみたいな心地がして、ずいぶんと気分を良くしてしまうオレがいた。
「一虎くん、こがないの?」
「んー、どーすっかな」
「いっしょにやろ」
もう“大人”とよばれるような歳にしては、ずいぶんと幼く子どもじみた笑顔。けれどなんだか、その笑い方がうれしくて、懐かしさすら感じてしまって、気付けば「わかったよ」と言葉を返していた。
「一虎くんできる? 押そっか」
「バカにしすぎだろ」
「ふふ、じょーだん」
ああ、でも。ブランコなんて何年乗っていないだろう。クラスメイトと公園で走り回るなんて遊び方、いつからしていないだろう。ポケットにありったけの金を詰めて、自転車のうしろで揺られて寂れたゲームセンターに向かうあいだ、オレはいつも横目でブランコをこぐ子どもを見ていた。ガキくせぇな、なんて強がりをとなえながら。
彼女がやっていたのを真似するみたいに、鉄のチェーンに思いきって身を任せた。慣れない景色にどきりと心臓が跳ねて、情けないそれをごまかすために深呼吸をする。勢いづいた空気が肺に吸いこまれて、ふわり、身体ごと宙にほうり出されたような心地がした。
「……っぶね、」
子ども用のブランコだ、当たり前だけどオレには小さくて、後ろに振れた拍子に地面に足が当たった。そんなオレを見てブランコをこぐなまえが笑って、「がんばれ一虎くん」なんて声が、不安定に揺られながらオレの方に飛んでくる。
「……くそ、見てろよ」
「えっ、なに?」
高く、速くこいでやろうと思った。隣で笑うなまえより。いたずらを思いついた時みたいな、幼稚な高揚感がこころを満たしていく。ほとんど勘で身体をひけば、無理な動きにがちゃんと鉄が鳴って、それでもブランコはすこし加速する。
「ぜってー負けねー」
「まってまって、なんの対決?」
そうやってどこか面白そうな声で言いながら、なまえのほうもブランコをまた鳴らして揺らしていく。ブランコの軋む音。こすれる木の葉。とおくの道路、車の排気音。耳元、風を切る音。ふたりの笑い声。静かな公園にいろんな音が重なって、それは聞いたことがあるのに聞き慣れないもので、自分が大人であることを忘れてしまいそうだった。ほんの今だけなら、忘れてしまってもいいのかもしれない、そう思うくらいに。
「かずとらくん!」
「んー、なに!」
ふたりのブランコのリズムはばらばらで、たがいちがいに揺れていたかと思えば、いつの間にかとなりあっていて。風を切りながら呼ばれたとき、オレたちは同じぐらいの高さにふわりと浮かんでいた。
「たのしい?」
「……うん、めっちゃ!」
「よかったー!」
「なまえは?」
「めっちゃ、たのしい!」
──しばらくそうしてからオレたちは、ざりざりと何度か音を立ててブランコを止めた。
もうすっかり辺りは暗くなって、藍色だった空はくらく沈んでいる。たちならぶ数少ない街灯が、薄ぼんやりと光っていた。
「……う……なんか気持ちわるい、酔ったかも」
「大丈夫かよ」
「笑いながら心配されてもなぁ」
唇をとがらせて、それからすこし肩をすくめる仕草に、吹きぬける風の冷たさを思い出した。上着を脱ぐオレを見て目を丸くしているなまえの肩に、ふわりとそれをかけてやると、「えっ」なんて声があがる。
「寒いだろ、着てろよ」
「えっ、え、うれしい、ありがと!」
「ん」
「一虎くんは? 寒くないの?」
「ブランコのおかげでむしろあちいわ」
地面に仕方なしに置かれていたカバンを持ち上げて、軽く砂を払って渡す。また「ありがとう」と嬉しそうに笑うなまえから目を逸らしたのは、すこし照れくさかったから。
そんなオレを知ってか知らずか、数歩先をあるきだしたなまえが振り返る。「はやく帰ろ」そう言って、オレの上着に袖を通した手を、ぴんと差し出しながら。そのちいさくてあたたかい手のひらを求めるみたいに、ゆっくり、砂を踏んで歩み寄った。束の間の非日常から遠ざかって、また、日常へと手を引いてもらうために。
20211008
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