犬かキャットか



「恵くん、ねこ飼いたいな」
「……はぁ、またいきなりですね」


 いきなりじゃない。結構前からぼちぼち言ってたよ。そんな私の内心を知ってか知らずか、マグカップを軽く傾けてから「駄目です」とバッサリ切り捨てる恵くんは、さながら小学生の駄々を宥めるお母さんだ。けれ私は小学生なんかじゃないし、よくある話みたいに恵くんにお世話を押し付けるつもりも全くない。
 カーペットに正座しながら「どうしても?」と訊ねると、目線の先のソファから「どうしても」とつれない返事をいただいてしまう。


「ここ確か、ペット可物件だったと思うよ」
「そういう問題じゃないです」
「心配しなくてもお世話はちゃんとします!」
「威張るとこじゃないでしょ」


 ぬかに釘、のれんに腕押し。ことわざの意味を嫌というほど思い知らされている私の前で、恵くんはマグカップをそっとローテーブルに置く。ことん、とふたりの部屋に響く音。長い指がそっと組まれるさまに見入っていると、恵くんがゆっくりと口を開いた。


「胡桃さん、こういうこと言うと嫌がるかと思って、言わなかったんですけど」
「えっ、なに……?」
「……俺たちが無事に帰ってこられる保証もないのに、ペットは飼えませんよ」
「……あ、それは……ごもっとも……」


 ……正論。言い返す言葉も見つからなくて口を噤む。私たちはあくまでも呪術師で、恵くんの言う通りに無事である保証はないわけで。


「すいません、そんな顔させるつもりはなかったんですけど」
「いや……うん、うん、でも恵くんの言う通りなんだよね……」
「……なんでそんなに飼いたいんですか」
「んん、ふわふわのねこのお世話をして、時々戯れさせていただきたいみたいな……そんな願望、恵くんにはないの?」


 少し考える素振りを見せた癖に「や、別に」とあっさり答えるから、「恵くんつめたい……」と唇を尖らせてみせた。小さなため息をこぼしてから、また恵くんはマグカップを手に取る。そこに描かれた白いイヌと、なんだかやたらと目が合った。


「……恵くんって、やっぱり犬派なの?」
「さぁ、どうでしょうね」


 いや犬派でしょ、でなきゃ犬マグカップなんか使わないよね……なんて考えている間に、恵くんがおもむろに立ち上がる。ついその姿を見つめてしまうと、どうしてか恵くんは私の隣にしゃがみこむから、追いかけていた視線が絡まった。

 軽く首を傾げると、突然わしゃわしゃと恵くんの大きな手が髪の毛をかき混ぜてくる。「わっ」なんて可愛くない声がこぼれて、そんな私を見つめる恵くんがゆるく目を細めた。さっきまでのつれない表情とは、まるで真逆の甘ったるさ。


「猫はアンタだけで充分ですよ」


 そのまま唇に落とされた、触れるだけのキス。そして恵くんは、私の頭を支えにするみたいに体重をかけて立ち上がるから、べしゃりとカーペットの上に潰れてしまった。


「充分って、」 


 いくら付き合ってだいぶ長くても、急接近は依然心臓によろしくない。ばくばく響く鼓動を聴きつつ、頭を押さえて小さく呟いた私をよそに、恵くんはもうリビングのドアに手をかけていた。


「可愛がるのも甘やかすのも、胡桃さんで手一杯だっつってんだよ」


 がちゃ、ばたん。

 恵くんの背中はあっさりドアの向こうに消えていったけれど、私はしばらく座り込んだまま呆然としてしまって──たっぷり十数秒後、ぼんっ、なんて湯気が出てもおかしくないくらいに身体が熱くなった。

 待って、あの、ちょっと待って、なにそれ……! 恵くん、いつからそんなこと言うようになったの……!?



20210216

title by「犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう」
/ official髭男dism

ツイッターで相互さんに
セリフをいただいて書いたお話でした。




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