包んだしあわせ、ふたり分



 背中に視線を感じる。「向こうで待っててくださいって」と振り返らずに告げると、「なんでわかったの」と心地良い高音が返ってきた。


「視線が刺さるんで」
「すごい、わかるんだ……」


 あんま見んな、向こうで待ってろ、そんな旨のことを数回言ったにも関わらず、やっぱり胡桃さんはキッチンに程近い場所で俺を見つめ続けていた。

 オムライス食べたいね、と胡桃さんが言い出したのは休日の昼下がりで、そうですねと軽く同意すると、なんだか話の流れで俺が作ることになってしまった。……作ろうと思えば作れるものの、そう美味いもんでもないと思うが。


「恵くんが作ったオムライス、食べたいな」


 そう少し遠慮がちに頼まれれば、しょうがないですねと立ち上がるほかないのだから、俺は彼女に相当甘い自覚がある。とはいえ、止めても止めても料理しているところを見に来るのだけは、恥ずかしいので勘弁してもらいたい。

 ケチャップライスはともかく、卵を焼くのは少し苦手だった。お世辞にも綺麗とはいえない焼き卵が乗った二つのオムライスの、そのどちらの方がまだマシな出来なのかを見極めていると、「わー! できた!? ありがとう!」なんて胡桃さんがやってきて、小っ恥ずかしくて唇が尖った。


「……あんま綺麗じゃないですけど」
「そんなことないよ! 本当においしそう」


 どーも、と小さく呟きながら、スプーンとケチャップを持った胡桃さんの背中に皿を持ってついていく。俺の見立てでまだマシな方を向かい側に置くと、なぜだか彼女は楽しそうにケチャップを掲げた。


「もう一個わがまま言っていい?」
「……なんすか」
「……ハート描いてくれない?」


 ──これが五条先生あたりが相手なら、たぶん俺はケチャップを受け取り次第すぐ投げ返していただろうが。……照れくさくても胡桃さんが喜んでくれるならと、少しの躊躇いはあれどケチャップを受け取ってしまうのだから、俺はつくづく甘い。し、弱い。
 いったん向かいに置いたオムライスを引き寄せて、それから慎重に慎重にハートを形作っていく。「緊張しすぎだよ」と胡桃さんが笑うから、黙ったまま口を曲げて描き続けた。


「ほら、できましたよ」
「やったー! ありがとう!」


 なかなか綺麗に描けたそのハートを差し出すと、胡桃さんがやたらと嬉しそうにするから少し頬が緩む。自分のも適当にかけちまうかとケチャップの蓋を開けようとすると、しかしそこで彼女の待ったが掛かった。


「ちょっと貸して、私が仕上げしてあげる」
「え、別にいいですよ」
「いいからいいから」


 皿を引き寄せてやる気満々の胡桃さんに、仕方ないかとケチャップを渡すと、「ちょっとあっち向いてて」なんて言われて。俺の同じような言葉を全く聞かなかった胡桃さんのそれに従うのは、僅かながら不本意ではあったけれど。大人しく窓の外を眺めて待つことにした。

 少しして、「できたよ」と皿がテーブルを滑る音がする。視線を戻して、書かれた文字にかっと身体が熱くなった。
 そこにあったのは、『すき』の文字。ぼこぼこの卵の上に乗っかった、少し崩れかかったそれがものすごく可愛らしく見えてしまって、喉の奥からついおかしな咳払いが漏れた。…………可愛い。


「……どーも」
「え……それだけ? なんか恥ずかしい」
「い、いから、食べてくださいよ。冷める」


 あからさまな照れ隠しに気付いているのかいないのかは判らないが、胡桃さんは存外素直に両手を合わせてくれた。俺も真似をするみたいにそうして、スプーンを手に取る。
 そうして、俺が食べ始める前にもう「おいしい!」と声が聞こえてきて──相変わらず手料理を食べられるというのは恥ずかしいが、胡桃さんの緩んだ表情がそれ以上に嬉しくて、「そりゃよかった」と応える俺の口元も緩んでいた。

 食べ進めていると、「伸ばさないんだね」と唐突に言われて手が止まる。「何がすか」と訊き返すと、目線は俺のオムライスに落ちていた。


「ケチャップ。前は伸ばしてたのに」


 ……前。ああ、その言葉で思い出す。あれは胡桃さんの方がオムライスを作ってくれた時で、けれど直前に些細なことで喧嘩をしていて。出してもらったオムライスは「バカ」なんて赤い文字に占領されていて、目の前でスプーンでそれを伸ばしてやったことがあった。ちょっとした、幼稚な仕返しのような心持ちで。


「あー……そりゃ、『バカ』とか書かれてたら伸ばすでしょ」


 なんでもない調子で応えて顔を上げると胡桃さんは、なぜかほんの少し口元をむずむずさせている。なんか変なこと言ったかと思考を巡らせている間にも、その頬には少し赤みが差していた。


「……『すき』だと、伸ばさないんだ?」


 少し恥ずかしそうに──でも、嬉しそうに。そう指摘されて息が詰まった。手元に視線を落とすと、崩れかかってもなお形を保った『すき』が俺を見上げている。


 ……オムライスだけ見れば、そう美味いもんでもない。絶対に胡桃さんが作った方が味も見た目も良くて、でも。
 俺の拙い手料理にお礼を言ってくれて、楽しそうに食べてくれて、とっておきの仕上げをくれる胡桃さんのおかげで、とびきり幸せだと思ってしまう、そんな俺がいる。


「……悪いかよ、大事に食べて」
「ううん、悪くないよ。……恵くん、すき」
「…………俺も」



20210226



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