さわれない優しさが揺れる


 時間がかかってしまいますの、大きなものを創造るのは──その言葉通り、とんでもないサイズの何かが一瞬のうちに飛び出してきた。八百万さんの、背中から。
 降ってきたシートを、慌てつつも支える。八百万さん自身が避けようとしていないのだ、きっとこの中に入るべきなのだろう。何が何だかわからないまま一緒にしゃがみこむと、「厚さ100mmの絶縁体シートです、上鳴さん」と、八百万さんの声。
「──……なるほど」
 声色だけで上鳴くんが笑った気配がして、一拍遅れて理解する。──放電できるけど、操れるわけじゃない……つまりこれは、上鳴くんが個性を思う存分使うための……なるほど……!!
「これなら俺は……クソ強え!!」
 その叫び声を合図にするみたいに、身を縮こめてぎゅっと目を閉じた。瞬間、バチバチッ、なんてとてつもない音とが響いてきて。こんなにも分厚いもの越しなのに、と上鳴くんの放電の威力に身体が勝手に震えた。と、とんでもない。シートがなければ、きっと私たちだって危なかった。

「さて……」
 八百万さんの、すこし安心したみたいな声。うっすら目を開けると、めくられたシートの下から外の光が差し込んでいる。ゆっくりと持ち上げられて表れていく視界には、あちらこちらに煙が立つ光景。しゅうう……と焼け跡みたいな音がして、鼻をつくのは焦げくささだった。このたった数秒のあいだに、100mmを隔てた先がこんな風になるなんて……。どくどくと心臓がうるさくて、解けない緊張のせいでまだ少し身体が震えている。
「他の方々が心配……合流を急ぎましょう」
 呆然としていたけれど、それもそうだと顔を上げて。ひゅ、と息を呑む声が、響香ちゃんと被った。……だ、だって、八百万さん、服、が……
「つか服が超パンクに……」
 そんな響香ちゃんの声に「また作りますわ」と優しく微笑んでくれた八百万さんに、「ひょ……」と変な声が出てしまう。あまりにも、その、おおきくて。
 すると外から上鳴くんの足音がして、響香ちゃんが慌てて「上鳴、こっち見んな!」と八百万さんを庇ってみせて、私はといえばその横で情けなくワタワタしていた。
 ……けれど、シートから離れたところを歩く上鳴くんは驚く様子もなにも見せない。一体どうしたんだろうかとよく見てみると……様子が、おかしい。
「……上鳴くん……?」
 ウェ〜〜イ……と声を震わせて、顔の筋肉ぜんぶが緩み切ってしまったような表情でよたよたと歩く……あれは、上鳴くんで、いいんだよね……?
「あー……上鳴、個性訓練のとき言ってたんだけど。個性使いすぎると、アホになるんだって」
「ええ、アホに……」
「まさしくアホだね……」
 アホになる、申し訳ないけれどそんな言葉がふさわしいと思ってしまうような、そんな状態の上鳴くんだけど──なんだか今の私には、ものすごく格好良く映っていた。
 だって個性に反動があることを知っていて、反動を受ければ自分がああなることをわかっていて。それでも敵に立ち向かうために、自分や私たちのために、ここぞという時にためらうことなく、個性を精一杯使ってくれた上鳴くん。うん、ヒーローって、きっとこういうことなんだ。同じような状況だったのに怖がっていた自分が情けなくて、悔しさにも似た何かも込み上げてくる。
 三角座りのまま地面の砂を握りしめて、上鳴くんに歩み寄っていく響香ちゃんをぼうっと見ていると。背後から「あの……」と八百万さんの声がして、はっとして振り返った。
 あ、服が、直ってる。けれどそんな安心も束の間で、八百万さんの表情は心配そうで、けれど少し気になるような色を滲ませているから、ずくんと心臓が嫌な跳ね方をした。
 ……ああそうだ、きっと、私の個性のことだろうな。でもここまで言ってしまったんだ、このままごまかすのはあまりに不誠実だし、ちゃんと説明して……それから、ありがとうも言わなくちゃいけないけど、迷惑をかけてしまったことを謝らないと。そう思って、ちょうど立ち上がった八百万さんに倣って立ち上がると、やっぱり私はほんとうのことを言うのが怖いのか、手足が小さく震えている。少しでも落ち着けようと両手を握り合わせたところで──ぐらり、視界が突然大きく傾いた。
「灰咲さん!?」
 よろめいてしまった私を支えてくれたのは、目の前にいた八百万さん。それから「大丈夫!?」なんて響香ちゃんの声と足音が聞こえたけれど、それはどこか遠い。そして「だいじょうぶ」と答えた私の声は思っていたよりもずっと震えていた。
「灰咲さん、お顔が真っ青ですわ」
「うん、本当。無理しないで座ってていいよ」
 なんだか言葉を返す余裕もなくて、ふたりの肩を借りながらまたそっと腰を下ろした。「個性の使いすぎで疲れたのかもしれないね」と響香ちゃんが言ってくれて、そういえば戦闘の真っ最中、頭がぐらぐらしていたような気がする。記憶は朧げだけど……。座っていると幾分落ち着いてきて、「ごめんね」と私の前にしゃがみこむふたりに謝ると、「謝らないでください」と八百万さんが顔をしかめる。
「灰咲さんは、とっても私たちの力になってくださったんですから」
「そうだよ。ああやって遠ざけてくれてなかったら、本当に危なかったと思うし」
 じわりと涙が滲んできて、「ありがとう」と返しながら俯いた。情けない、でも、優しさがあったかい。ふたりの目はまっすぐで、きっと本心だ。そっか、私でも誰かの役に立てたんだ……。

 と、顔を上げた先。
「っ、あ……!!!!」
 私の反応を見たふたりが振り向いたけれど、遅かった。依然“アホ状態”のまま首根っこを掴まれた上鳴くんと、「手ぇ上げろ、“個性”は禁止だ」なんて、低い声で唸る敵の姿。「使えばこいつを殺す」と続けられた言葉に、びくりと肩が揺れた。ふたりは恐る恐る立ち上がって両手を掲げるから、私もなんとか脚に力を込める。つらいけれど、立っているくらいなら、ぎりぎり。
 この状況、私の“個性”なら──そう一瞬思ったけれど、もう使える余力は、残ってない。撃てたとしても、上鳴くんを巻き込んでしまう。
「……それと、おまえ」
 バチ、バチ、片手に電気を纏わせる敵に突然睨まれて、「ひ、」とか細い声をあげてしまった。おまえ……私の、ことだろうか。マスクのようなものの奥で鋭く光る目に、背筋がぞわりと震える。
「妙な個性だったな。観察してたが、おまえの攻撃を食らった仲間が、次々に戦意を喪失してやがった。……どういう能力だ?」
 冷や汗が滲む。……戦意を喪失、って、なに? 全く心当たりがなくて、ただでさえ危うげに揺らぐ視界に混乱が加わって、立っている地面が歪むような感覚すらしてくる。だって私の個性は花吹雪で、花びらと風が出るだけの……私自身に跳ね返りがきてしまう以外は、何の変哲もない個性。生まれた時から、ずっとそうなのに。
「し、しり……ません、だって、」
「嘘をつくなよ。早く吐け、正直に言えばこのアホは見逃してやるぜ?」
 ざり、と砂が擦れて、敵がこちらに歩み寄ってくる。「吐かねえなら、まずはそこの二人から殺すか」……なんて。バチバチと指先から電流を迸らせて、でも、待って、私は、本当になにも、しらないのに。

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