夢うつつにささめく

 ひどい喧嘩をした。きっかけは些細だったけれど、「もう知らない!」なんて心にもない言葉を投げつけて飛び出してきた手前、自分から戻ることもできなくて。ふらふらと住宅街を歩いていると、突然目の前で何かが爆発した。
 そう、爆発、した。信じがたいけど確かに。咄嗟に目を閉じると、多分、身体が浮かんだ。混乱やらなんやらで目を開けられないでいると、立っていた筈なのに何かに座っている感覚。それから「おい」なんて低音と、どこか安心感のある香りに包まれて。導かれるみたいに、恐る恐る瞼を上げてみた。

「……10年バズーカか……」

 私と並んで座るその人は、もやの向こう側でため息まじりに小さく呟いた。その間にも少しずつ視界が晴れて、ゆっくりと姿があらわになっていく。
 目を凝らしていると、浮かび上がるのは銀髪、それからきれいな翠色の瞳。ほとんど反射みたいに「はやと?」と言葉がこぼれ落ちていった。

「……おー、久し振りだな」

 私の知るそれより幾分低い声でそう言ってから、「久し振りっつーのもなんか変か……」と軽く頭をかく指には、やはりごつごつと指輪が嵌められていた。

「えっと……隼人、なの? ほんとうに?」
「あー……お前な、今、10年後のなまえと入れ替わってんだよ」
「は、はあ……」

 まったく理解が追いつかず首を傾げたけれど、目の前の彼は至って真剣な表情で佇んでいる。
 爆発に巻き込まれたと思ったら、10年後にタイムスリップしたってこと? そんな話ある? と言いたいけれど、隼人が嘘をついているようにも見えない。
 それに、すごく……私の知っている隼人よりもずっと、大人っぽい。隼人と、そう呼び捨てにして良いのかすらわからなくなるその雰囲気に、少し肩を縮こまらせてしまった。

「まあ、五分経てば戻るから安心しろ」

 ぽん、と頭に置かれた手に解されるみたいに、自然と肩の力が抜けた。私の大好きな、あったかい手。
 ああ、私。さっき隼人に、ひどいこと言っちゃったんだっけなあ。途端にそんなことを思い出して、じわりと涙が滲む。それに気付いたらしい彼が、勘違いからか「わりぃ」と慌てて手を跳ね除けるから、ぶんぶんと首を横に振った。

「……獄寺さんは、24歳、ですか?」
「……まあな……なんだよ、その呼び方」
「その、呼び捨てにできる見た目じゃないので……」
「そうか……」

 熱くなった目元を適当に擦ってから、「獄寺さんは」と続ける。彼は何も言わずに続きを待ってくれていた。

 夢、なのかもしれない。どこから夢かはわからないけれど、こんなにも非現実的なことを受け入れるにはそう思うほかなかった。でも、それならそれで乗っかってしまっても良いのかもしれない。いつだって美しいその色を見つめて、膨らんだ疑問をぶつけてみた。

「なんで……私なんかの、傍に居てくれたんですか」

 瞳は少しだけ揺らいだ後、直ぐにふっと緩んだ。「過去形、じゃねえよ」なんて言葉と一緒に。

「今も変わんねえ」
「……あ……え、それって、」

 獄寺さんは、それ以上なにも言わなかった。私もうまく言葉が繋げられなくて、かるく唇を噛む。じわじわと熱くなる頬をごまかすみたいに俯くと、自分のちっぽけなこぶしが視界に映り込んだ。手の甲が、拭ったばかりの涙で光っていた。
 すこしの沈黙の後「じゃあ俺もいっこ訊くぞ」と、獄寺さんが口を開いた。

「お前が……なまえが俺の傍にいてくれんのは、なんでだよ」
「……え?」

 顔を上げると、向けられていたのはゆるく細められた目。柔らかいその視線にどこか暖かさを感じて、なんとなく逸らしてはいけない気がした。

「それは……もちろん……その」
「ん?」
「す……すき、だから……です……けど……」

 ばくばくと心臓が跳ねて、最後のほうはほとんど消え入るように溶けていった。隼人にならもう少しだけ、はっきり言えるのに。確かに知っている温もりなのに、獄寺さんはまるで、知らない人みたいな表情をするから。それが、この緊張に拍車をかけているような。

「同じだよ、お前と」
「……おな、じ?」
「今も昔も、なまえが好きだから傍にいる。そんだけだ」

 ゆっくり伸びてきた手が、するりと頬を撫でて降りていく。愛おしむような、そんな言葉が似合いの視線をくれるから、一度引っ込んだ涙がまた滲み始める。

「わ、わたし、全然かわいくないのに?」
「可愛いだろ」
「……喧嘩したとき、可愛くねえって言われました」
「悪かったな。本心じゃねえよ」

 後から後から流れてくる涙を、獄寺さんのあたたかい手が優しく拭ってくれる。それに。「でも隼人、いつも冷たい」「恥ずかしいんだろ、多分」「私といるとき楽しくなさそう」「緊張でもしてんじゃねえか」「こないだ、私の誕生日忘れてた」「……それは、本当に悪かった」止まらなくなった不安を次々にぶつける私に、嫌な顔ひとつしなかった。だから、なによりも大きく私の心に巣食う不安も、ひとりでにこぼれ落ちていく。

「……隼人に、本当に好きって思ってもらえてるか、わかんなくなる……」
「……心配すんな」

 やさしく髪をかき混ぜるみたいに撫でられて、つい肩を竦めた。その瞳にはたしかに私が映り込んでいて、手の温もりも香りも全部、本物みたいで。

「これ、ゆめじゃ、ないのかな」

 そんな言葉を、言い終わるのと同時だった。さっきと同じ浮遊感に包まれて、途端に視界がぐにゃりと歪む。間に合わなかった、きちんと見られなかった、獄寺さんがどんな表情をしていたか。

 まわる景色の奇妙さにきつく目を閉じてしまいながら、息を止めた。薄らいでいくあたたかさを思い浮かべて、祈らずにはいられなかった。
 どうか、どうか今の夢みたいな時間が、夢なんかじゃありませんように、と。



ツイッターで、相互さんにセリフやシチュエーションの案をいただいたお話でした。ありがとうございました!



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