露時雨の美しいこと

 席官に任命されたのは、桜がはらはらと落ちるある春の日のことだった。唐突なその報せに面食らいながらも、およそ半年間、自分なりに精一杯やってきた。……つもりでは、あった。
 うまくいかないことだらけなのだ。虚の討伐に出ても、隊の訓練で稽古をつける側になっても。失敗ばかりで、どうして奴が席官に? なんて視線が刺さって、痛い。痛くてしょうがない。

 落ち葉が地面を埋めていく、薄ら寒い秋の日だった。隊首室に書類を運び込む私に「悪いな」と声をかけてくれるのは、我らが十番隊の日番谷隊長。私を席官に任命した張本人。

「……日番谷隊長」

 傾く夕陽が、近くで見ると存外柔らかそうなその銀髪にゆるりと溶け込んでいる。
 なんだか、我慢が、できなくなった。重い書類の束を抱えながら、それよりも重い重い声をこぼした私をちらりと見遣って、隊長は「なんだ」と、心なしか柔らかい声で言った。

「隊長、どうして、ですか?」
「……何がだ?」
「……席官になって、良かったんでしょうか」

 私なんかが。そう続けようとしたのに、隊長がひとこと「みょうじ」と私を呼ぶから、思わず口を噤んだ。

「……みょうじは、俺の目に狂いがあった、そう言いてえのか?」
「そ、そんな! とんでもないです、でも」
「それならもう、そんなこと言うんじゃねぇよ」

 遮られてばかりの言葉が、行き場をなくして喉の奥につっかえる。つい俯く私に「書類はそこに置いとけ」とぶっきらぼうに言いつけるから、どうすればいいやら解らないままに机に歩み寄った。

「……俺がそうしたいからそうしたんだ」
「え?」

 ふと聞こえたその声を聞き返すと、手元に視線を落としたまま隊長は続ける。「お前を」と、そうつぶやいてからたっぷり数秒、沈黙が漂う。

「…………私、を……?」

 耐えきれなくなって訊き返した私を、日番谷隊長がちらりと見遣る。透き通る翠玉みたいな瞳のど真ん中に私が映って、つい息を止めた。

「そばに置いておきたかった」

 そんだけだ、と言葉が結ばれた直後。ばさばさ、耳障りな音が隊首室に響き渡って。

「あっ……」
「な……にやってんだお前!」
「ああああ! すいません!!」

 あろうことか。運んできて、机に置きかけていた書類の束を、落とした。かたや宙を舞い、かたや床にきれいに散らばっていく。「バッカお前、早く拾え!」なんて隊長の怒鳴り声に、「なになに? なんですか隊長?」とおまんじゅう片手に部屋に駆けつける乱菊さん、大慌てで謝る半泣きの私。
 てんてこまいの隊首室の中で、さっきの言葉の意味と、私の不可思議な心臓の高鳴りだけが取り残されていた。

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