艶陽のせいにしよう


 まだ正式にボスを継いだわけでもないから、オレの正体を知る人はきっとこの街にはほとんどいない。「継承したらのんびり街も歩けなくなるからな」なんて物騒なことを言ってくるリボーンをのらりくらり躱しながら、充てがわれた休日は好き勝手過ごしていた。一日寝ていると情けないことに怒られてしまうので、山本や獄寺くんたちと出かけることもあれば、ひとりでふらりと街を歩くこともあって。でも最近は、こんなオレにも時々予定が入るようになった。
 小さな電子音に呼ばれてスマートフォンを取り出すと、送り主は春日井さんだった。
「ツナさんこんばんは。この間お話してくれたカフェ、明日はいかがですか?」
 あれから一ヶ月が経って、初対面の次は春日井さんの方からお誘いがあって、話の流れで次はオレがお誘いして、もうすでに初めましてを含めると三回も会っている。そうしてたぶん次が四回目になる。このお誘いを断る気も、そうする理由もないから。
 余談だけど、SNSの登録名を「ツナ」にしていた自分にすごく感謝したっけ。一応リボーンの言いつけもあって、本名は隠しておきたかったから。
 たん、たん、小さな電子音を立てながら、ひとつひとつ文字を打ち込んでいく。たった一行だか二行だかの返信で、あれこれ言葉を考えているのがなんだか自分らしくなくて、けれど嫌な気もしなかった。
「大丈夫です。いつもの広場に二時でどうですか?」
「わかりました! ツナさん、いつもありがとうございます」
 誘う時、誘われる時、これって良くないのかなとは思うけれど、ただ断る決定的な理由も見つからない。それに会うたび春日井さんは嬉しそうに笑ってくれて、一年と少し前、イタリアに渡ってきたばかりの頃の自分を思い出してしまうのだ。オレは友達がそばにいたけれど、それでも全く知らない土地での新生活は不安でいっぱいだった。だから出会いが偶然だったとはいえ、オレが一時でも支えになれるのなら嬉しいと思う。……下心はない。たぶん。か、かわいいかな、とは思うけど。
 そんなこんなで明日の約束も成立させてから、ごろりとベッドに寝転んだ。コーヒーが好きらしい春日井さんとは毎回違うカフェに行っていて、オレが彼女のカフェ巡りに付き合うような形になっていた。オレは残念ながらブラックコーヒーが好きではなくて、いつもカフェラテやカプチーノを頼んでしまうけれど。春日井さんはそんなオレを笑うどころか気にする様子すらなくて、なんだかそんなことすら心地良かった。


◇ ◇ ◇



「ツナさん! こんにちは」
「あ、こんにちは」
「急なお誘いすみませんでした。お時間とか無理されてないですか?」
「いえいえ全然……えっと、その、行きましょうか」
 ふわふわした丈の長いスカートが、春風を受けて軽くはためいている。いつだって丁寧に挨拶をしてくれる彼女の言葉遣いは少し堅くって、それなのに距離を感じないのだからなんだか不思議だった。連れ立って歩き出すと、こつこつ、石畳を叩くヒールの音がどこか楽しげに聴こえてきて、気のせいだって思ってもオレの気持ちもなんだか浮き立ってしまう。
 数回しか会ったことはないけれど、春日井さんの印象は「正直な子」だった。思っていることは大抵顔に出るような、嘘がじょうずにつけないような、そんな感じ。だからこそオレの方も気を許せたりなんかして、けれどなんとなく、彼女が話している内容に嘘が混ざっていることもわかってしまった。
 なんとなく……そう思う部分には、もしかするとオレが持つ超直感なんかが影響しているのかもしれないけれど、きっとそれを差し引いたって春日井さんは嘘をつくのが苦手なんだろう。でもオレだって春日井さんに隠し事はしていて、人間ひとつやふたつそういう事があって当然だし、そもそもオレたちは単なる友達かそれ未満。当たり前に、深入りするつもりなんかない。

 イタリアは先払いのお店が日本より比較的多い印象だったけれど、春日井さんとはじめに会ったときのお店は後払いだった。そしてそのときオレが勝手に会計を済ませたせいで、毎度彼女は「ちゃんと自分の分はお支払いしますので!」なんて念を押してくる。今日のお店は先払いで、例の如く財布を構えて注文列に並ぶ春日井さんの真剣な表情に、ついすこし口元が緩んでしまう。
「あ、ツナさん」
 一つ前に並んで注文していた春日井さんが、困ったような顔で振り返った。「どうしたの?」と歩み寄ると、「メニューが読めなくて」と申し訳なさそうに肩をすくめる。
「飲み物はギリギリわかるんです。た、食べ物が、暗号で」
 暗号って。つい小さく笑ってしまいながら、今日はおやつも食べちゃおうかなって笑っていたのを思い出す。カウンターに歩み寄って、「ティラミスとかどうですか?」と尋ねるとこくこく頷くから、もうオレのと一緒でいっかと店員さんに二人分注文してしまう。そうしてカプチーノも追加で頼んでいると、「つ、つなさん」って戸惑ったみたいな声がして。
「ちょ、ちょっと、近い、です」
「あ、ご、ごめん」
 そう広くないレジの前、同じメニューを覗き込めば当然そこそこ距離は近くなる。無意識に距離を詰めていたことを謝って、そうしてすこし身を引くのと同時に、春日井さんは顔を隠すようなかっこうのままゆっくりと後ずさってゆく。ちらりと覗いた耳はほんのり赤くなっていて、……か、かわ、いい。咄嗟に浮かんだ感情が危うくそのまま飛び出しそうになって、わざとらしく口を押さえた。
 すると「お客さん、大丈夫?」とカウンターの向こうで店員さんが口角を上げている。なんかちょっと、うーん、面白がられているような……。けれど後ろにもまだ人は並んでいて、レジを詰まらせるわけにもいかない。とにかくここを離れてしまおうと注文を済ませて支払うと、おつりを受け取ると同時にヒールの音が近づいてきた。
「つ、ツナさん、お金」
「ごめん、もう払っちゃった」
「でも……」
 申し訳なさそうに俯く姿に少し胸の奥がうずいて、それを誤魔化すみたいに「まあ、今日はいいから」って早々に財布をポケットにしまう。
「なんか……びっくりさせちゃったみたいだから、お詫びってことで」
「お、お詫びだなんてそんな……」
 何か言いたげに口元をむずむずさせていたけれど、結局言葉が見つからなかったのか、観念したみたいに「ありがとうございます」って春日井さんはつぶやく。「いえいえ」って答えると、俯きがちだった春日井さんが顔を上げてしまいそうになるから、「どこ座りましょうね」なんてわざとらしく言って、かち合ってしまいそうだった視線から目を逸らしていた。

 コーヒーとドルチェを受け取って、ふたりで座ったのは窓際の席。やわらかい日差しに包まれながら、いくらか落ち着いた様子の春日井さんは「あったかいですね」と微笑む。「そうですね」と返事をすると、彼女は一瞬目を見開いてからふっとゆるめた。
「ツナさん、別に敬語じゃなくたっていいですよ。ひとつ歳上なんだし」
「え、でも」
「ときどき外れてますし、気にせずお話してください」
「……じゃあ、そうさせてもらおうかな」
「はい、ぜひ!」
 じゃあ春日井さんは口調を崩さないのかと訊いてみたけれど、年齢のこともあるのでと断られてしまった。食い下がるほどのことでもないし、まあ慣れたら崩してくれるかな……と、自然とこれからも関わっていくことを想像する自分がいる。
 いただきます、と丁寧に手をあわせる春日井さんを見ていると、ゆるやかに流れる時間のぬくもりに目を細めてしまう。自分の立場とか色々、難しいことを考えなくてもいいような気がして。そんなはずないって、わかってはいるけれど。
 ティラミスをひとくち食べて、目をきらきらさせて、「おいしい……!」ってゆるむ表情。彼女が笑ってくれると、ただ、嬉しいと思う。心安らぐこの時間を、まだ手放したくないと思った。
「あの……さ」
「なんでしょう?」
「よかったら……その、イタリア語。こういう予定の合う日に、勉強とか手伝おうか」
「……え、いいんですか!」
 まるい瞳が見開かれて、差し込む光を取り込んで輝いた。予想以上の反応に面食らいながら「オレで良ければ、だけど……」と返事をすると、春日井さんは「本当にありがたいです」って両手を握り合わせている。
「独学じゃ厳しかったんです……まわりに教えてくれるひとも居なくて」
「じゃあ……ちょうど良かった?」
「渡りに船、願ったり叶ったりです!」
 つい笑ってしまうと、春日井さんもつられたみたいに笑ってくれた。心がふわりと軽くなるような心地がして、いろんなことを忘れられるような気がしてしまうのは、やわらかい雰囲気やどことない安心感のおかげかもしれない。我慢できず自分から接点をつくってしまったことに、すこしの罪悪感を抱きながらも、弾んでしまう心を抑えきれない自分がいた。








- ナノ -