澄みわたる秋空のむこう


「婚約は成立したか?」
 部屋に戻って、さっそく爆弾を落としてきたのはリボーンだった。ふたり同時に思いきりびくついてしまうと、そんな様子のオレたちにボスは微笑ましい目線を向けてくる。
「こ……こんやくっていうか……」
 おどおどしながら話し始める瑠璃さんに軽く目配せすると、口をつぐんで彼女は瞬きをくりかえす。……オレだって緊張は隠しきれないけれど、ちゃんとご挨拶、すべき……だよな。リボーンはぶっ飛んだこと言い過ぎだけど。
「……あの。瑠璃さんとは、その……お付き合い、させていただくことになりました」
 よろしくお願いします、そう付け足してボスに頭を下げると、「頭を上げてくれ、デーチモ」と声をかけられて。目の前まで歩み寄ってきたボスが、その大きな手を差し出してくれた。
「ありがとう。瑠璃をよろしく頼むよ」
「は……はい」
 温かい手に握り込まれて、背筋が自然と伸びる。ちらりと瑠璃さんを見遣ると、まだ緊張した面持ちであるもののほんの少し柔らかい表情をしている気がして、密かに胸を撫で下ろした。……のも束の間。
「……まあリボーンくんの言うように、婚約というかたちを取ってくれると有り難いとは思うがね」
 えっ、ボスまでそんなこと言うー!? なんて心の声が飛び出してしまいかけたのを、すんでのところで抑え込んだ。
 いや、生半可な覚悟でお付き合いしようなんて思ってはいないけど。それに、その先にそういう展開が待っているのはわかってるけど。でも瑠璃さんにとっては突然すぎるだろうし、もちろんオレにとってもそう。
 なんと返事をすべきか迷っていると、「さっきまで話してたんだがな」とリボーンが口を開いた。
「来月の継承式、その場で婚約発表すればいいじゃねーか」
「なっ……!?」
「チャンスだぞ。ここも歴史あるファミリーだ、身元に文句を言う奴もいねーだろうし、これを機にお前への縁談も止むだろーな」
「そ、そんな、突然すぎるって」
「いいじゃねーか。最近ずっと瑠璃のこと考えてただろ、ダメツナ」
「な、おま、おまえ!」
 ああ、リボーンは読心術なんてことを平気でやってのけるんだった。恥ずかしいことをばらされて、ていうかダメツナとまで呼ばれて何か言ってやりたくなるけれど、かといってここで否定してしまうのもなんだか違う気がして、どうしたものかと慌てながらも考える。するとボスが「最近、瑠璃も元気がなかったね」なんて言い始めるから、突然話を振られた瑠璃さんも「え!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「デーチモと暫く会っていなかったそうじゃないか。それを気にしていたんだろう」
「お、おじいちゃん、それは……」
 口籠る瑠璃さんのほうをつい見遣ってしまうと、自然と視線がかち合って、その頬がみるみる染まっていく。情けないことに自分の顔もなんだか、熱い、気がする。恥ずかしすぎるだろ、こんなところで顔なんか赤くしてたら。なんとか深呼吸をして鼓動を落ち着けようとしていると、「まあからかうのはこれくらいにしとくか」なんてリボーンが笑った。からかうって、やめてくれよ……。肩を落とすオレに向き直って、リボーンが帽子を軽く引き下げた。
「ツナ、お前の結婚がマフィア界に与える影響はかなりでけーんだ。相手によっちゃ、各方面からの反発や糾弾を受けるだろーな。だがこのファミリーの令嬢なら、不毛な争いはかなり減る」
「争い……」
「それくらいボンゴレボスの妻の座は重いんだ」
 リボーンの言うことは、痛いほどよくわかる。いくらボスになったって、オレの感情ひとつで変えられることなんかたかが知れている。それぐらい大きくて、複雑で、ぐちゃぐちゃに絡まった組織なのだ。
 けれど、そうは言っても。やっぱり感情ひとつでごねたくなってしまうのは、仕方ないことだと言い訳はしたかった。だって、せっかく向き合えたばかりだし、そもそもオレたちはお互いをあまり知らないし、それに。そんな退路を断つような真似して、瑠璃さんが……オレに幻滅しちゃったら、どうしたらいいかわからない。ダメツナ全盛期だった中学生のころから数年経ったけれど、やっぱり名残はあちこちにあるわけで、瑠璃さんの知らない、知られたくないダメな部分だってたくさんある。本当に、めちゃくちゃ。
 リボーンにこんな不安を知られたら、いつかみたいにまた「すげーな、その負け犬体質」なんて言われてしまうかもしれないけど。
「でも……」
「さ、沢田さん」
 沢田さん? だんだんと聞き慣れてきた声が紡ぐ、あまり慣れない呼び名につい言葉が止まる。
「私は……えっと、構いません」
「……えっ」
 突然の呼び方を気にする暇も、それに突っ込む暇もなく。瑠璃さんが唇を引き結んでオレを見上げるから、隠しきれない動揺が上塗りされていくような心地がする。
「……私を気遣ってくれているのかもしれませんが……私でよければその……」
「えっ……あ、」
「い……いえ、あの、沢田さんが嫌なら断ってくださって結構です!」
「待って違うよ、嫌とかじゃなくって!」
 向かい合ってあわあわしていると、そんなオレたちを見ていたボスが笑い声をこぼす。「似たもの同士だな」なんてリボーンの声も重なって、気恥ずかしさを抱えながら二人で姿勢を正した。こっそり深呼吸をしても、さっき視界に映し込んだ瞳のきらめきが、鮮やかに焼きついて離れていかない。
「ツナ、あとはお前だけだぞ」
 そんなふうに畳みかけられて、海辺で瑠璃さんの手を握ったその時の緊張が丸ごと戻ってきたみたいに、また心臓がばくばくと動きはじめた。ボスやリボーン、数人いる護衛の方にも囲まれている状況は、むしろさっきよりも気恥ずかしい。いやでも。でも、女の子に言わせっぱなしは、さすがにダメ、だよな。
 思い切り息を吸い込んで、吐き出して、また吸い込んで。それから瑠璃さんの方に向き直った。
「……瑠璃さんがオレで良いのなら、その……こん、婚約、してくれませんか」
「……ご無理、されてませんか?」
「ううん、ちっとも」
 不安げに揺れる瞳は、オレの煮え切らない態度がこうさせてしまったのだろう。
 でも本当に、嫌だとか無理してるとかじゃなくて。嫌われちゃったらどうしようなんて、ちっぽけで情けない不安を引っ提げているだけで。もし君がそばにいてくれるのなら、そんな不確かなことを約束してくれるのなら。今のオレにとって、これほど嬉しいことってきっとないから。
「……君でいい、じゃなくて。君がいいって、思ってる」
 今の精一杯を絞り出すと、さっと瑠璃さんの頬には赤みがさす。そんな姿を見て、オレにも襲いかかってきた恥ずかしさについ目を逸らしてしまうと、すぐ近くにいたボスにまたがっしりと手を握られて。途端に周りからあふれ出す、柔らかな拍手や祝福の声。一気に部屋を包む空気があたたまって、いやでも、いろいろ急すぎて展開に追いつけない。
 ……だって。あきらめたはずの彼女の隣に立っているなんて、たった数時間前まで期待のかけらもなかった状況が、今この瞬間のオレを包み込んでいる。

 どこかふわふわした気持ちのまま隣を見遣ると、口元を押さえて照れたように微笑む瑠璃さんがいた。その横顔をながめているだけで、忙しなく左胸を擽ってくる高鳴りだって、やっぱりどこか心地が良くなってくる。君がいてくれる明日に、これからに、淡い期待がきらめきはじめていた。




chapter 1 fin.





- ナノ -