君のとなりで微睡んで


 継承式に向けての挨拶まわり……なんてのが建前だって、もう幾つもの同盟ファミリーをまわっていればわかってしまう。いや、中には純粋に応援してくれるようなファミリー、そしてボスもいるんだろうけど。大抵の場合、屋敷に足を踏み入れた時点で超直感なんかなくたって勘付く。この顔合わせをきっかけに、あわよくば大ボンゴレに乗っかろうという策略に。
 今日訪れたファミリーの屋敷でも、そんな空気をひしひしと感じていた。リボーンと数人の護衛を引き連れて豪勢な応接室に足を踏み入れると、挨拶もそこそこに娘や孫の紹介に入る。お見合いしにきたんじゃないのにな、オレ。いつも通りそんなことを思いながら、けれどもちろん顔には出さないようにして。
「こちらがうちの孫娘でね……」
「はじめまして、沢田様。お噂はかねがね承っておりますので、お目にかかるとこができ光栄です」
 流暢な日本語を話しているけれど、目の前に立つ女性は見るからにイタリア人だ。ボスの孫、つまり今日挨拶に伺ったファミリーのご令嬢。軽く微笑んで会釈を返すと、とびきり美しく微笑んでくれた。
 中学校の頃のオレをダメツナと笑っていた同級生たちも、なんならあの頃のオレ自身だって、百パーセント信じられない話だろう。オレに、あの沢田綱吉に、外国人美女からの縁談が途絶えないだなんて。
 こういった類の紹介はほぼイコールでお見合いで、次期ボンゴレボスであるオレにどうにかして気に入られようとしているのがわかる。けれどオレには、彼女たちの笑顔の奥が透けてみえるようで。わかっているけれど初めっからオレのことなんて見ちゃいなくて、彼女たちが見据えるのはドン・ボンゴレの妻の地位だけ。なんとしてもボンゴレに取り入ってやろう、なんていう闘志を感じ取ってはため息を堪える日々だった。
 だってオレはさ、普通の幸せがほしいだけなんだよ。ボスになるとはいえ、そんなことすら望んじゃいけないのかって。何もかも嫌になってくるだろ。
「継承式に向けて、そろそろパートナーを見つけてはいかがかな」
「ははは……そう、ですね」
 しばしの雑談の後、想像通りにやってきた展開に曖昧に微笑んで、さあ今日はどう断ろうかと画策する。腹の探り合いみたいな会話をしながら、まるで現実から逃げるみたいに、オレはこのあいだのランチのことを頭に浮かべていた。

 ……バーニャカウダに大喜びする春日井さん、かわいかったよなあ。パスタを美味しそうに食べて、心底嬉しそうに笑うその表情には曇りも歪んだ思惑もなかった。ボンゴレ連呼にはヒヤヒヤさせられたけれど、裏を返せば彼女は本当に知らないんだ。オレのこと、ボンゴレのこと。ボンゴレ]世で居なければいけないこの世界で、オレをひとりの人間として見てくれる存在。見ているだけで心が浮き立つような、ころころ変わる表情。探らなくても気取らなくてもいい、どこかあたたかな空間。
 あーあ、ダメじゃん。オレはあの日、束の間の非日常が欲しくて春日井さんに近付こうとしたのに。その存在を、日常にしたいと願っている。軽率で身勝手な想いは、毎日膨らんでいく。もしも、マフィアじゃなかったら。こんなオレにも、チャンスってあったりしたのかな。
 溢しそうになったため息をこらえて、笑顔を貼り付けて向き直る。あれやこれやと話した末「オレもまだ若いので、パートナーについてはゆっくり考えさせていただこうと思っています」といつもみたいに言うと、「ええ、またぜひいらしてくださいね」と返ってくる。数年後には、こんなふうなきっかけから誰かを選ばないといけないんだろうか。




「おい、ダメツナ」
「もうやめろよ、その呼び方」
 帰路についた車内で、しばしの沈黙の後リボーンが口を開いた。マフィア界ではアルコバレーノの存在はかなり柔軟に受け入れられていて、ゆえにああいった会合の場に赤ん坊がいても誰も不思議な顔はしない。つまるところあの場でリボーンは一部始終を聞いていたから、そのダメ出しかもしれない。前にも「愛人の一人や二人作ってみろ」なんて言われたし。
「女でもできたか」
「っ、はあ!? できてないよ」
 ……春日井さんはそんなんじゃないし。そう心の中で言い訳をしてみたけれど、リボーンが訊いてくるってことは。会ってること、バレてんのかな。尾行変装潜入お手の物な家庭教師をちらりと見やると、目深に帽子を被りなおしているところだった。
「……お前、忘れたのか」
「なにをだよ」
「マフィアから遠ざけるために京子と別れたことを」
「お、お前、古傷えぐんなよ! オレは普通に振られたんだからさあ!」
 リボーンの言う通り、オレにもかつて彼女と呼べる存在がひとりだけ居た。笹川京子ちゃん、だ。高校生になって、あのパンツ一丁衝撃告白のリベンジとしてあらためて告白して。オッケーを貰って、付き合っていたのは一年くらいだった。本当に本当に嬉しくて、大切で、紛れもなく幸せだったんだ。でも高校生活が終わりに近づくにつれ、オレはマフィアとして生きるしかないってはっきりしてきて、どうしたらいいかどんどんわからなくなっていって。そうして同級生たちの大学受験が迫る頃、京子ちゃんの方から「お友達に戻ってほしいな」って、そう言われてしまった。
 もうすでにお兄さんはイタリアに渡っていて、オレや獄寺くんや山本もそうするのだろうと、何となく勘付いたのかもしれない。お兄さんは相変わらず嘘をついていたみたいだけど、京子ちゃんだっていつまでも子供じゃなかった。オレがたくさん悩んでいたことも、たくさん隠し事をしていたこともきっと気付かれていて、それは京子ちゃんにとっても辛い事だったのかもしれないと、今更になって思う。
 危険から遠ざけるために別れた、とか。そんなカッコつけたことは言えないし、言う気もないけれど。本当にこのままでいいのかなって、マフィアのボスになるしかないオレのそばにいてもらうことなんてできるのかなって、ずっとずっと悩んでいた。もしも振られていなくても、オレの方から別れを告げる決断をしていたような、そんな気がする。京子ちゃんは、本当に優しいから。それとは正反対で、オレはいつまでも情けないから。オレの葛藤もぜんぶお見通しで、京子ちゃんの方から言ってくれたんだろうな、って思う。
「……なあ、リボーン」
「……」
「おい、って、寝てるー……」
 まあ、寝てても寝てなくても一緒か。オレどうしたらいいのかな、なんて質問に、リボーンは応えてくれるはずないもんな。
 ずっとせめぎ合っている。そばにいてほしい気持ち、遠ざけたい気持ち。決して過去と重ねているわけじゃない。でもまたオレは誰かを傷つけてしまうのかなって、そう思うと苦しくてたまらなくなる。
 ふとスマホを取り出すと、「今週の土曜は空いてますか?」なんてメッセージが届いていた。……会いたい、なあ。だって、平気なふりをしていたって毎日心はすり減ってゆく。ツナさん、って笑ってくれるだけで、そんな空虚さが少し和らぐような気がしてしまうから。「うん、空いてるよ」と打ち込む自分に苛立ちを募らせながらも、送信ボタンを押す指は止められなかった。



 あれ以来、やたらとリボーンの視線を感じる気がする。このあいだの会話のせいで、単にオレが気にしすぎてしまっているだけかもしれないけれど。
「今から女の所か」
「……」
「まあいいんじゃねえか。ボスになるんだ、愛人くらいいた方がいいぞ」
「そ、んなんじゃないって! 変なこと言うなよ」
 気恥ずかしさとかいろいろ、そんなものをひっさげながら、小さな家庭教師に背中を向けて部屋を飛び出した。昔っから合わないとこあるなあと思ってはいるけれど、恋愛ごとになると尚更だ。……けれどあいつの言うことは、良くも悪くもマフィアらしい。オレもいつかは染まってしまうのかな、なんて、少し怖くなってしまったりもする。
 あの人は、春日井さんは。……愛人とか、そんなんじゃない。でもそれじゃあ、オレは彼女にとって、彼女はオレにとって、なんなんだろう。お友達? 勉強仲間? シンプルに言葉にしようとすればそうなのかもしれないけれど、絡まり始めた感情はそれだけで落ち着いてはくれない。そうして思い悩みながらも、遅れるわけにはいかないと待ち合わせ場所に向かったのが今朝のこと。
 
 ……あー、なんかあったかいなあ。背中がぽかぽかして、ゆるやかな空気の匂いが心地良い。ゆらゆら揺蕩う意識の中、ペンが紙を滑る音もなんだか耳に馴染む。そうだ、なんか授業中みたいだ。授業中の居眠りってなんであんなに気持ちいいんだろ。うっかり眠り込んで何回怒られたかわかんないや、オレよく卒業できたよな。

 …………って、今、オレ何してたっけ。
「っわ、っ……!」
 辻褄の合わない状況にとたんに意識が冴えて、勢いよく身体を起こしたオレの前で、春日井さんが両手で思いっきり口を抑えている。あ、ああ、大声出しそうになっちゃったのか、オレのせいで。「ごめん」ととっさに謝ると春日井さんはこくこく頷いて、ちいさく深呼吸をしてから「大丈夫ですよ」って笑ってくれた。
「……ちょ、大丈夫じゃ……」
「え?」
「お、オレ、今……寝てた?」
「あ、はい。寝てましたね」
 なんでもなさそうに、むしろなんだか嬉しそうに春日井さんはそう言って、「起こしちゃいましたね」って眉を下げる。
「いや、いや待って、勉強中に寝るオレが悪いって、ごめん……」
「そんな、いいのに」
 ぱちぱち目を瞬かせて、本当になんにも気にしていなさそうに春日井さんは言う。「ツナさん、お疲れなんですよね」って言われてとっさに否定できなかったのは、事実としてここ数日は会合や挨拶まわりが続いていたからだった。けれど、それは勉強をがんばる春日井さんの横で眠り込んでいい理由にはならない。ましてや、せっかく会っている貴重な時間に。口元をむずむずさせていると、「本当にいいんですって」と春日井さんは笑い混じりに言った。
「なんて言ったらいいんだろう……私、ツナさんがリラックスしてくれたと思うと嬉しいっていうか……」
 うーん、と言葉を探すようにペンを口元に当てるから、オレはじっと動きを止めて、期待すら込めてその言葉の続きを待ってしまう。
「お互い肩肘張らずにいられる時間なのかなあって、ちょっと思ってるんです」
 ささやくようにそう言って、どこか照れくさそうに春日井さんは笑ってみせる。すとん、と落ちてきた言葉。だってオレも、そう思ってた。
「あ、えっと、私が大変なだけで、ツナさんはそんなことないのかもしれませんけど……」
「……ううん、春日井さんと同じだよ、オレも」
 オレも、っていうか。たぶん春日井さんより先に、なんなら初めて会った時から、そんなふうに感じていた。
 ……現実逃避、ってやつなのかもしれない。いつだってオレは逃げてばっかりだから、この歳になっても逃げ道を探すことをやめられなくて。ねえ、ごめん。あとちょっと、ほんの少しだけ、逃げていてもいいかな。
「よかった、ツナさんとお友達になれて。あのとき、諦めなくてよかったです」
 安堵をうつしたその表情に、その声に、「そうだね」ってつぶやいた。オレもそう思うよって、心から笑い返せたらよかったのに。滲む葛藤をひた隠しにして、憂鬱を呑みこんで、「ありがとう」なんて言ってへたくそに笑ったオレなんかに、春日井さんはまた優しく笑いかけてくれる。





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