涙の還る場所




 いつからか俺は、なまえに「泣くな」とは言わなくなっていた。

 学生の頃はただ、ひたすらに涙を見ていたくなかった。どうすればいいのかわからなくて、辛そうな姿を見ていたくなくて。泣くんじゃねえ、そう言いながら、あの手この手で涙を止めてやろうとしていた。
 俺が押し付けた不器用な言葉たちに、なまえは笑ってくれた。それで安心していた未熟な俺は、あるとき気付く。その笑顔がひどく辛そうで、いつもの明るいそれではないということに。


「ごめ、んね、隼人……」
「……いいから、謝んな」


 大人になるにつれ、涙の持つ意味は深くなってゆくものだ。簡単なことでは泣かなくなる代わりに、一粒一粒が重たく零れ落ちる。
 いま目の前にいるなまえだってそうだ。学生のころみたいに、部活や友情に起因するような、青い涙はもう流しちゃいない。もっと深く重い、身動きがとれないほどの傷が涙を黒く染めていた。

 ──だからこそ。堰き止めるのではなく、受け止めてやりたいと思うようになった。


「好きなだけ泣けよ」
「…………うん」
「ちゃんと、ここに居てやるから」
「……うん、」


 腕の中で泣くなまえが一際大きくしゃくり上げるから、震える背中をそっと撫でた。ゆっくり撫でて、それから柔らかくとんとんと叩いて。

 今も昔も変わらない。涙を見ていたいとは思わない。辛そうな姿は見ていたくない。泣き顔よりも、いつも通り、太陽みたいななまえの笑顔を見ていたいと思う。かける言葉だって、きっとまだひどく不器用なままだ。
 それでも、歳を重ねて“受け止めてやりたい”と思ったことはきっと間違いではなかった。不器用に言葉を並べ立てるよりも、涙を無理やりに拭い取ってやるよりも。泣いていいと、そう言って抱き締めてやることが、きっとなまえの涙をただしく導く一番の近道だった。

 ひとしきり泣いたらしいなまえが軽く胸板を押すから、抱き締めていた腕の力を緩める。自らのシャツの袖で軽く頬を拭って、ふう、と小さく息をつくさまを、俺はただ静かに見守っていた。


「……隼人、ありがとう」


 顔を上げたなまえが笑う。まるで雨上がりのようにからりとした笑顔に、「あぁ」と一言返す。
 こいつが──なまえが泣ける場所でありたい、なんて。そんな大層なもんじゃないかもしれない。けれど、これからもずっと、なまえの涙を受け止めるのは自分でありたいと思う。

 頬に残って光る涙をそっと拭って、それからひとつ、触れるだけの口付けを落とす。なまえはまた、眩いばかりの笑顔をくれた。



20200129
#復活夢版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「涙」




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