君を彩る指先に




 きれいな手が憧れだった。指の先端までしなやかに美しく、ひとつのささくれもなく、その爪には色とりどりの装飾が施されているような手。目を引く高価なアクセサリーだって、きらびやかなドレスだって羨ましかったけれど、なによりも。お世辞にも綺麗とは言えない自分の手を見るたびに、ため息が溢れるのだ。


「どうした、何かあったか」
「……ぼ、ボス」


 中庭の掃除をしていた私のもとに現れたのは、私が使用人として働く屋敷のボスだった。「ジョットでいい」「そういう訳にはいきません」そんないつも通りのやり取りを交わしてから、苦笑いを溢すボスはすぐ側にあるベンチに腰掛けた。
 柔らかな金髪が、冬の淡い日差しを浴びてゆらめいていた。


「怪我でもしたのか?」


 少し眉を下げてそう問いかけてくるから、どうして突然、と首を傾げると、「手。見つめて、ため息をついていただろう」なんて言われて。なんとなしに、持っていた箒ごと両手を背中に隠してしまった。


「いえ……怪我はしていません、けど」
「……そうか、それならいいんだが」


 ゆるく微笑んだボスは、明らかに不審な私のその仕草を見ても、特に何も訊ねようとはしない。

 使用人の仕事は、水仕事が多かった。料理に洗濯、そして洗い物、掃除に至るまで、この手で水を触らない日はない。そんな中でオイルなんかで手入れをしても、追いつかずどんどん手は荒れてゆく。かさついてささくれて、“きれいな手”とは程遠いこの手。

 今日、屋敷に訪れた同盟ファミリーのお嬢様のその爪は、美しいマニキュアで彩られていた。庶民には手を出せない高価なその装飾に加えて、その手は白くすべらかで、女の私でもつい取りたくなってしまうほどに美しかった。


「……すこし、手が荒れてしまって」
「……そうか」
「羨ましい、ん、です。きれいな、手……」


 ぽつり、落ちてしまった言葉は自分でもわかるほど暗い声色で。慌てて取り繕おうと顔を上げると、丁度ボスが立ち上がったところだった。
 変なことを言ってしまったと、肝を冷やしたのも一瞬。立ち去ってしまうのかと思いきや、ボスの足音は私のほうへと迫ってくる。たった数歩の距離は瞬く間に埋まって、そのうえボスはなかなか止まらない。思わず後ずさりかけたそのとき、手を、握られて。からん、軽い音を立てて箒は地面に転がった。


「あ、あの」
「綺麗だ」


 狭い視界のなかで──かさついた手が、大きな手にゆるりと包まれる様子が繰り広げられてゆく。
 とても、顔を上げられなかった。何が起こっているのかすらよくわからないまま、それでもじわじわと顔に熱が集まっていく。私が固まってしまったからか、ボスはまた繰り返す。「綺麗な手だ」と、今度は幾分はっきりと。


「毎日、他でもない俺たちの為に。あらゆる仕事をこなしてくれる……美しく、強い手だ」


 ボスの手は、冬の冷えた空気をものともしない程に温かかった。ゆっくり、ゆっくりと、視線を上げてゆく。炎のぬくもりを湛えたようなその双眸が、紛れもなく私に向けられていた。


「俺は、好きだ。お前の手が」
「……ボス」
「だから……そんな顔、しないでくれ」


 握り込まれる力がいっそう強まって、私の赤らんだ手はきっとすっぽりと覆い隠されていた。
 視線はかち合ったまま、ボスの瞳が暖かくゆるむ。少し細められたその目と、弧を描いた唇につられるみたいに、私の口元までもが綻び始めてしまうのだから、ボスは本当に不思議なひとだ。

 守るように、慈しむように握られた手。憧れや羨望は消えないけれど、私も少しだけ好きになれそうな気がした。



20201217
#復活夢版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「マニキュア/ペディキュア」




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