一等星をみつけた日




「だって、お昼は暑かったんだもん」


 放課後の教室、薄いシャツに包まれただけの腕を頻りにさする私を、冷えた視線で見つめるきれいな瞳。抗議するみたいに言い訳を一つこぼすと、「まだ何も言ってねえよ」とその視線は逸らされていった。


「カーディガン着てこいよバカって思ったでしょ?」
「……まぁ」
「獄寺の考えてることは大体わかるよ」
「なんだよそれ」


 目の前に座る獄寺は、さして興味もなさそうに吐き捨ててから、黒板の真上にかかった時計に目を向けた。どうやら、先生に呼び出されたツナを待っているとかで。そこで特にこの後することもない私も、獄寺に話し相手になってもらおうと教室に居座っていた。


「つーかなんで居んだよ、帰れ」
「やだ冷たいなあ、獄寺ったら冷たいよ。余計寒くなってきた」
「ワケわかんねー」


 藍色がオレンジ色を押しつぶして、だんだんと日が暮れていく。1日が終わっていく。つい1ヶ月前までは、この時間だってまだもう少し明るかったはずなのに。早く帰らなくてはと、なぜだか急かされているような心地がしてしまうせいで、近頃の放課後はなんとなしに寂しかった。
 と、窓の外に意識を取られていた時だった。柔らかいものが勢いよく私のほうへ飛んできて、横顔に当たる。つい「わっ」と声が漏れた。


「え、なに」


 返事はない。でもよく見ると獄寺はシャツ一枚になっていて、こりゃなんとも寒そうな格好だ。あれ、でもさっきまでカーディガン着てたよね。
 首を傾げながら視線を落とすと、机の上に佇むのは柔らかそうなかたまり。それは見つめていた寂しい空が、ひとかけら落っこちてきたみたいな色をしていた。


「寒いんだろ」
「え?」
「……使えよ、それ」


 獄寺が顎で指し示したそれは、よく見なくても紺のカーディガンだった。おそらく、さっきまで獄寺が着ていたもの。……でも、なんで? 背けられた顔をすこし覗き込んで、真意をはかろうと試みる。


「か、貸してくれるの? まさか」
「まさかって何だよ」
「いや、だって。獄寺はさむくないの?」
「別に。お前のほうが寒そうだから貸してやるよ」
「……らしくない」
「うるせえ」


 口をついて出た言葉に、ぎろりと睨まれてしまったけれど。何はともあれ有り難い申し出だ。丸まったカーディガンを広げながら「ありがとう」とひとこと告げる。けれど返事はなくて、愛想のない奴、と心の中で舌を出した。

 相変わらずこちらを向こうとしない銀髪をながめながら、そっとカーディガンに袖を通していく。ほんのり体温の残ったそれは、冷えた身体に心地良かった。そうして身体をつつむ温かさを追いかけるみたいに、ふわりと鼻腔を擽られる。甘ったるいようで、でもどこか苦く燻るそれは、確かに獄寺の纏う香りだった。

 なんか、獄寺がずっと近くにいるみたいだな。そう、まるで、抱き締められて、いるみたいな。

 かっ、と一気に顔に血が昇ってきた。ほとんど無意識にそこまで考えてしまって、やっと。
 私、なんて想像してるんだろう。頭を軽く振ってみても、容赦ない温もりと、頭の芯まで蕩かすみたいな香りが、ゆるゆると私を襲い続ける。
 速度を上げていく鼓動に抗えないのに、獄寺が「なあ」なんて渦中の私を呼んだ。ゆっくり振り返ろうとする背中に「ストップ!」と咄嗟に声をぶつける。
 

「今こっち見ないで!」
「は?」


 どきどき、心臓が煩い。顔が熱い。獄寺の顔、とてもじゃないけど見られない。
 顔を背けながら余った袖に隠れようとすると、当然ながら甘くて苦い香りが余計に強くなって、だめだ、どうしよう。


「まって、ちょっと、いま喋らないで」
「……何も言ってねえよ」


 律儀にそっぽを向いたままの獄寺が、呆れたみたいにため息をついている。こっちの気も知らずに。
 あんなにも寒かった数分前の私は何処へやら、じわりと額に汗がにじむ心地すらした。きっと真っ赤な顔をうつむくことでなんとか隠しながら、慌ててカーディガンを脱ぐ。ぐちゃぐちゃにならない程度にたたんでから立ち上がって、それを獄寺の胸元に押し付けた。


「ありがとう! もう大丈夫!」
「な、お前、」
「またあした!」


 かばんを引っ掴んで教室を飛び出して、火照った身体で冷たい空気を切っていく。いったん、いったん整理しよう。さっさと帰って、頭を冷やして、それからもう一回考えてみよう。

 オレンジ色はもう、すっかり藍色に呑み込まれていた。薄暗く染まる昇降口でひとつ深呼吸をする。ここのところ感じていた寂しさが見つからなくて、そのかわり。熱くなった胸の中心には、さっきの温もりが残っていた。
 まさに、落とし穴に落ちたみたいだと思った。らしくない、らしくないよ。恋に落っこちてしまったみたいな、こんなこと。
 かがやくようなときめきが、心を埋め尽くしてくるみたいな、そんなこと。

 下駄箱におさまるローファーにかけた手を止めたのは、勢いよく階段を駆け下りてくる足音だった。それはそのまま、昇降口に向かってくる。程なくして、たしかにさっきまで聞いていた声が、「みょうじ!」と私の名前を呼んだ。


「おい、待てって!」


 きっと獄寺は、どこかおかしな態度だった私を追いかけてきてくれた。それだけのことで、胸が躍るみたいに高鳴ってしまうんだから。帰ってもう一回考えるまでもないのかもしれない。らしくなくっても、認めてしまうほかないのかもしれない。
 きっとその先できらめく翠色を想像しながら、ゆっくりと振り返った。



20201020
#復活夢版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「らしくない」




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