きんぎょすくい

(現パロ)



「…祭りでも行くか」
「……え?晋助くん、今なんて…」
「祭りに行くか、って言ったんだろうが」


彼がスマホを睨みつける目付きは、お世辞にも良いとは言えない。そんな男が、ソファに寝転んだままおもむろに発した台詞を、私はすぐには飲み込めなかった。


「…いや、ええっと、どうしたの?なにか壊しちゃったとか…?別に怒らないよ、あ、物による、けど」
「…何を言ってんだてめえは…」


何を言ってんだ、なんてのは、こっちのセリフですよ。

この高杉晋助という男は、短気でせっかちで、ぶっきらぼうだ。いや、悪口ばっかり並べてしまったけれど、優しいところや意外に熱いところももちろんあって、全部ひっくるめて、私はこの人が好きなわけですけど。
まあ、そんなことはともかく。よくイライラしているところを拝見する身としては、人混みに自ら身を投じようなんて晋助が言ったことが、にわかには信じ難かったわけだ。

確かにお祭りには行きたかったし、それとなく匂わせてきたけれど。こんなにもあっさりと、というか寧ろ私から頼むことなくお祭りに行けることになる、なんて、謎が深すぎる。何か裏があるのではないかと考えてしまうことを、どうか咎めないでほしい。


「何をそんなに怪しんでやがる」
「だって、あんな人混みとか、その、晋助、苦手そうだし」
「なんだ、知らねェか?俺ァ祭りは好きな方だぜ」
「へっ…はぁ、そうだったんだ…」


同棲を始めても、まだまだ知らないことは多いなと思いつつ。渡りに船、ではないけれど、その誘いを素直に受けることにして、タンスの肥やしになっていた浴衣を引っ張り出してきた。何年ぶりだろう、浴衣なんて。

隣の部屋に移動して服を脱いで、わたわたと中身を確認していると、「まだか」なんて言いながら晋助が部屋に入ってくる。とりあえず浴衣用の肌着だけ身につけていた私は、辛うじて残っている恥じらいを発動させて、慌てて背中を向けた。


「ちょっと、ごめん、待っててくれない?着方調べたりするし…」
「来い、俺が着せてやらァ」


え、と小さく声をあげて振り向くと、どこから出してきたのか、というか、いつの間に着替えたのか。小紫の浴衣がよく似合う、晋助の姿があった。


「…色男がいる…」
「あァ?いいから早く立て」


歩み寄ってきた晋助が、その手を差し出す。さらりと揺れる髪の艶が、いっそ羨ましいほど。恐る恐る手を取ると勢いよく引っ張り上げられて、一気に近づいた目がすっと細められた。


「…誘ってるみてェな格好だな」
「っはぁ、ほんと!お洋服選んできますもう」


口角を上げる晋助がやたら色っぽくて、心臓が跳ね上がる。誤魔化すみたいに、手を振り解いて踵を返そうとしたけれど。
熱い手が露わになった肩にふれて、それは叶わなかったどころか、つい身体を震わせてしまった。


「まァ、そう言うなよ」


なんて。甘ったるい低音で鼓膜を叩かれて、なぜか息までほんの少し止めてしまった。

それをいいことに、「大人しくしてろよ」と私の髪をするりと撫ぜてから、拾い上げた浴衣をばさりと広げる晋助。背中に合わせるみたいにしてから、「ほら、腕通せ」なんて言ってくる。え、本当に着せてくれるんだ。


「えっと、こう?」
「そのまま腕広げてろ」
「は、はい」


少し身を屈めたり、それからあちこちに手を回したりしながら、実に手際良く私に浴衣を纏わせていく。
時々飛んでくる「ここ押さえてろ」だとかのご命令に、慌てながらも忠実に従っているうちに、何年かぶりの和装は完成してしまった。


「す、すごい、晋助」
「こんなもん簡単だろうが」
「そうですかね…」


次は髪の毛をセットしようと、欠伸をする晋助の横をすり抜けてそそくさと洗面台に向かうと、なぜか彼ものろのろと着いてきた。


「どうすんだ」
「どうするって、簡単に結ぶくらいかなあ…」
「仕方ねェから俺がやってやる。ゴムとピンよこせ」
「え、えええ!?なにするの!?」
「早くしろ」


「俺の気が変わらねェうちにな」と怖いことを言うから、ちょっと慌ててゴムとピンを出してきて洗面台に置いた。私の手からブラシを取り上げて、鏡に映る晋助が私の髪をとかしていく。
そうしてヘアゴムをひとつ口に咥えて、私の髪で器用に編み込みを作っていくから、「ほ…」と小さく声が漏れてしまった。


「痛かったら言え」
「あ、うん、わかった」


咥えたまま器用に喋る晋助に、首を動かさず口だけで答える、と。
鏡の向こうの晋助と、ばちり、視線が交わって。ひときわ大きく心臓が跳ねた。

咄嗟に顔を背けてしまって、「おい」と低い声が飛んでくる。「あっ、ごめん」と返しながら視線を戻したけれど、首を動かさないようにしていると、目のやりどころに少し困る。晋助が私の髪を触るしなやかな手つきとか、髪に落とされた伏し目がちの表情だとかが、どうしても目に入ってしまって。色気にやられてしまう…というか、見蕩れてしまうというか。

そんな私のときめきを知ってか知らずか、晋助は器用にゴムで毛先をまとめ、またピンを口に咥えて、髪のあちこちに挿していく。
何をしているか正直よくわからないが、晋助が私なんかよりずーっと器用なことだけは、よーくよくわかった。


「…こんなもんだろ」
「わあ…!!すごいね…!」


ほどなくして、黙って残ったゴムとピンを片付けはじめる晋助をよそに、角度を変えて鏡を覗き込む。編み込みが施されていたり、後れ毛が綺麗に出ていたり、ちょっと不器用な私にはよくわからないのだけど、まるで雑誌に載っているヘアアレンジみたいで。
「すごいねえ」とまた繰り返して鏡を覗き込む私に、「化粧はそれで終いか?」と訊ねてくるから、「リップだけ塗り直すよー」と、なおも髪型を眺めながら返すと。


「貸せ」
「え?」
「ほら」


洗面台に置きっぱなしの化粧ポーチから、言われるがままにリップを取り出して、手渡す。その意味を理解したのは、晋助の長い指が、小さな音を立ててリップの蓋を抜き取ったときだった。

唇を閉じると、どこか満足げに口角が上がる。頭の後ろを大きな手のひらで支えられて、生温い紅色が唇をすべっていった。

ほんの一瞬だったはずなのに、随分と長いあいだ、そうしていたような気がする。ふわりと晋助の香りが離れて、塗り慣れていたはずのリップが全くちがうものに見えてしまったのは、どうしてだろう。


「行くか、そろそろ」


はっとして振り返って、私より少し背の高い晋助を見上げると、鏡越しではない視線が絡み合う。
それがなんだか、随分と久しぶりな気がして。その綺麗な瞳を、惚けたみたいに見つめてしまった。


「なまえ、」


私が我にかえる前に、その瞳の儚いきらめきがゆっくりと近づく。慌てて瞼を下ろしたけれど、もう唇は、息遣いが触れるほどに近付いていた。

でも触れることなく離れていくのが、目を閉じたままでも判る。ああ、リップが、とれてしまうからかな。
どこか物足りない気持ちをぶら下げていると、頬に手のひらが当てられて。今度は目を開ける前に、熱を持ったままの唇が耳元に寄せられた。


「綺麗だな」


ねえ、なんだろう。今日の晋助は、なんだか、おかしい。
普段あんなに淡白で、無口で、無愛想なのに。

だけど。悪くないかも、と思った。
だってね、好きな人にお願いを聞いてもらって、甘やかされて綺麗と言われて、喜ばない女なんて。そんなのいないでしょ。
つい綻ぶ顔を隠しもせずに晋助を見上げると、その目元も少し緩んでいるような気がした。


「晋助、」
「何だ」
「ありがとう」


ちらり、私を見遣って。少し口元も緩めてから、晋助は黙って私のかばんを掴む。私が何か言う前に左手を引かれて、重たい鉄の扉を押して。下駄をひっかけるやいなや、夏の夜に連れ出されてしまった。

涼しい風が吹き抜けて、空には星が瞬く。これから目に映るであろう屋台の光も想像してしまって、なんだか気持ちがふわりと浮かび上がる。
甘えてやろうなんて、普段あまり考えないようなことが頭を過るのも。このふわふわした不思議な夜と、なぜだか特別甘ったるい晋助のせい、ってことで。


「晋助、恋人繋ぎにしてよ」
「…あァ?」


鋭い瞳が私を捉えて、なんだ思い違いだったか、なんて少しだけガッカリしながら、ため息をついた。
誤魔化すみたいに「睨んでなんて頼んでないよ」と茶化してやると、存外すぐにその視線は緩む。それからどこか甘さを湛えたものにすりかわるから、つい口を噤んでしまった。

程なくして、絡められる指。一本ずつ確かめるようにして骨張った指が滑り込んできて、あつさにやられたみたいに、頭の芯がぐらりと揺れる。


「蕩けた顔しやがって」
「…してない、そんな顔」


確かめなくてもわかる、赤くなっているであろう顔。隠すみたいにそっぽを向くと晋助の笑い声が聞こえて、それにすら情けなく心臓が跳ねた。

だって。だって、仕方ないでしょ。やっぱり甘すぎるんだもん。


「…ねえ晋助、金魚すくいやりたい」
「馬鹿。金魚は飼えねェからスーパーボールにしろ」


流石にダメかと肩を落とすと、何故だか楽しそうな晋助と目が合う。「なによ」と口を尖らせると、もっとわかりやすく口元が緩んだ。ほんと、こういう時だけよく笑うんだから。


「スーパーボールなんていらないよ」
「なまえが風呂で遊ぶのに使えるぜ」


喉を鳴らして笑う晋助に、反論してやろうかと思ったけれど。なんだか、その美しい横顔を見ていたら、一緒に笑う以外の選択肢がない気がしてきて。
私もくすくすと、あふれ出す気持ちをこぼすみたいに、笑った。


今夜は忘れられない夜になる気がする、なんて。
そんな甘ったるいことを言ったなら、晋助にまた笑われてしまうだろうか。



20160813

20200722 加筆修正


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