春風
「春の匂いだ」連れ立って寮を出た俺たちに降り注ぐのは、軽く汗ばんでしまいそうなほどの陽射し。先週までの寒さはどこへやら、だ。そんな折に隣から小さな呟きが聞こえて、軽く鼻を動かしてみる。確かに、そよぐ風には春の匂いが混じり合っていた。
「そうっすね」
「……え」
「……なんですか」
言い出したのはそっちだったろうに、彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返して俺を見つめる。瞳は淡い陽光をあびて、柔らかくきらめいていた。
「恵くん、わかるんだね。季節の匂い」
「あー……なんとなく」
「わかんないって言われることの方が多かったから、なんかびっくりした」
ついぽろっと溢しちゃったんだけどね、と付け足して笑ってから、彼女はまた大きく息を吸い込んでみせる。
細かい男だとか、誰かさんにそんな風に言われることが癪だった。でもこの人と居ると時々思う。俺はほんの少し、細かい男なのかもしれないと。
「……良いですよね、春の匂い」
「あ、私も春が好きなんだよね!」
同じだね、なんてどこか嬉しそうに頬をゆるめる彼女との、見落としてしまいそうな共通点。そんな小さくて細やかなものたちを捕まえて、俺はきっとそれを大切に抱え込んでいるから。またひとつ増えたそれを仕舞い込みながら、春風から隠れるみたいに口元を制服にうずめた。
「……俺も、好きです」
20210217〜 拍手ログ